元プロ野球選手で野球解説者の古田敦也氏が15日、YouTubeチャンネル『西岡剛チャンネル 【Nishioka Tsuyoshi Channel】』で公開された動画「【対談 02】西岡剛×古田敦也『キャッチャー教育について / 捕手の大変さとは?』」に出演。バッティングを“マネ”していた選手について語った。
西岡剛から「僕が小さい頃に感じた意見なんですけど、古田さんと落合(博満)さんは(バッティングが)すごく似てるなって。それって意識されていましたか?」と質問され、古田は「僕は2年目に首位打者を獲りましたけど、明らかに落合さんのモノマネをしてましたね」と即答。その経緯を語っていくことに。
古田氏は「1年目にプロに来て、150キロを投げるピッチャーが各球団にいるわけやんか? アマチュアの時はそんな速い球見たことない」と説明しつつ、「プロ第1打席が中日の小松(辰雄)さんだった。僕が出会った小松さんはもう晩年で、スピードは140キロくらいだったけど、あの投げ方ですごいスピンのきいた球が来る。(その試合は)ナイターで、夜の試合もあんまりやったことがないから、すごい速く見えたわけ。『こんな球を打っていかなあかんのか、プロは』と思って」と当時受けた衝撃を打ち明ける。
さらに、「『ここで生き残るためにはこれを打たなあかんな』って必死で考えてた」と続け、「結局、初ヒットを打つのが、木田(優夫)っていうピッチャーからで、それも150キロくらいの真っ直ぐだったんだけど、結果的にはその時はもうバットを短く持って、上から1、2、3でカーンと打ったら、たまたま当たって、左中間に抜けた」と回想。
そして、「試合に出るようになって生き残るのは大変やなと思ったけど、やっぱり右バッターで一番誰が優れてるのかなといったら、当時は落合さん。『落合さんってどうやって打ってるのかな?』って」と落合氏のバッティングを意識するようになったきっかけを明かし、「今みたいにインターネットもないし、昔でいうと、分解写真が見られるくらい。でも、そんなんで分からへんやん? 試合した時に(落合さんを)近くで見て、『こういう感じでタイミングとって、テイクバックこうやってるのか』って」「『こういう感じで逆方向に打っていったら、打率残るのかな?』って、見よう見まねで意識しながらやってましたね」としみじみと振り返っていた。
【編集部MEMO】
古田敦也氏は1965年8月6日兵庫県生まれ。川西明峰高、立命館大、トヨタ自動車を経て、1989年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。MVP2回(93年、97年)、首位打者(91年)、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回など数々のタイトルを受賞。2005年に通算2000本安打達成。2006年選手兼任監督に就任し、2007年現役引退。2015年に野球殿堂入り。現在は野球解説者として活躍。