いわゆるR33型の日産スカイラインGT-Rは、先代モデルにあたるR32型と比べるとボディが大きくなった。これはベースになっている、スカイラインの後席の快適性を向上させるために広くしたためだ。また、R32型と比較するとボディ剛性確保のために補強が施された結果、スカイラインGT-Rの車両重量は約100kg重くなった。
【画像】イギリスに日産から”正式”に輸出された100台のスカイラインGT-Rのうちの1台(写真20点)
それでも”RB26”として有名な2.6リッター直6ツインターボエンジンをリファインし、Vスペック系にはアクティブLSDを採用した。このアクティブLSDはATTESA E-TS PROと呼ばれる電子制御トルクスプリットシステムと連動して作動。条件が整うまでは後輪駆動の利点をすべて提供し、アクティブLSDが左右のリアホイール間の最適なトルク配分を計算することで、トラクションを向上させた。
また、SUPER HICAS後輪操舵は一連のセンサーを使用して、車両の動き、旋回速度、ドライバーのハンドル操作をモニター。そして、ドライバーの意図を反映するように後輪の角度を調整する。結果として、ニュートラルなステアリングと比類のないコーナリング性能を発揮した。ドイツのニュルブルクリンクの北コースでは、R33型のプロトタイプはR32型スカイラインGT-Rのラップタイムを21秒も短縮。スカイラインGT-Rとして初の単体でのテレビCMでは「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーが用いられた。
そんなR33型がイギリスの自動車オークションサイト、アイコニック・オクショニアズに出品されていた。イギリスにはたくさんの日本車が中古車で輸出されているが、このスカイラインGT-Rはなんとイギリスに日産から”正式”に輸出された100台のうちの1台。しかも初代オーナーは、元F1ドライバーのジョニー・ハーバートだった。
当該車両、1998年4月14日には日本からイギリスに輸出され、当時ザウバー・チームに所属していたジョニー・ハーバートに登録されていた。「R30 GTR」という特徴的なナンバープレートが与えられ、現在も引き継がれている。ジョニー・ハーバートがこの車を所有していたことは、オリジナルの英国ログブック、セールスノート、雑誌の切り抜き、そして彼がこの車とともにポーズをとり、誇らしげな表情を浮かべた写真に、しっかりと記録されている。
この車両は後期生産型の「シリーズ3」である(「シリーズ3」とは、R33の進化的な開発変更が頂点に達した1997年と1998年という生産末期に製造されたR33 GT-Rモデルの非公式な呼称である)。1998年に生産されたGT-Rはわずか1,175台で、それ以前の年よりもはるかに少なかった。ダークグレー・パール(KN6)塗装で生産された後期生産V-Specの37台のみのうちの1台であり、それ自体が希少なスカイライン・カラーの1つであるため、この車両は特別で人気の高い車両となっている。
1990年代後半、ジョニーはイギリス・サリー州にあるスカイラインGT-Rスペシャリスト、アビー・モータースポーツ社で定期的なメンテナンス(とパワーアップ)を受けていたそうだ。出品者が2020年にこの車を購入後、アビー・モータースポーツ社にこの車を戻したところ、懐かしんでくれたそうだ。長年、動態保存されていた個体だったので、アビー・モータースポーツ社にてカムベルトの交換、すべてのフルード交換などを含む1万ポンド相当の整備一式が施された。
オークションでは最低落札価格に満たなかったようだが、現在は6万6700ポンド(日本円換算約1240万円)で個別販売に応じている。久しぶりの円安の時代において日本円換算で聞くと”高い”と思ってしまうかもしれないが、R34型のスカイラインGT-R相場が10万ポンド越え当たり前のイギリス。元ジョニー・ハーバート号が急に破格に聞こえてくる。
文:古賀貴司(自動車王国) Words: Takashi KOGA (carkingdom)