祝・生誕60周年!ホンダS還暦ミーティング|ホンダスポーツ360も特別に展示

1976年7月に設立されたホンダツインカムクラブが主催する”ホンダS還暦ミーティング”が、11月12日、中伊豆ワイナリーヒルズぐらっぱの丘(静岡県伊豆市)にて開催された。

【画像】ホンダSを愛する人々が集う。当日、会場には100台近いSが集合!(写真26点)

S誕生のきっかけ

ホンダは初の四輪車開発にあたり、スポーツカーとトラックを選んだ。その背景にあるのは特振法(特定産業振興臨時措置法案)の施行が予定されており、自動車の輸入自由化を前に国内の自動車メーカーを車種グループごとに規定し、育成を図ることが目的とされていた。当時ホンダは二輪車メーカーとして成長していたが、まだ自動車の販売は行われていなかったのだ。そこで急遽スポーツカーとトラックを生産することで、2つの車種グループに属せるようにしたのである。結果としてはこの法律は廃案になったが、本田宗一郎氏の「出すからには世界一でなければ意味がない」という強い思いから、どちらのエンジンも水冷直列4気筒DOHCが採用された。

1962年6月に建設途中の鈴鹿サーキットで開かれた”第11回ホンダ会総会”で、赤のスポーツ360をお披露目。10月の第9回全日本自動車ショーにスポーツ360とスポーツ500、トラックのT360を発表。特振法の廃案などでスポーツ360は生産されなかったが、T360は1963年8月に、S500は同年10月に発売されたので、今年でSは生誕60周年を迎えたことになる。

人間は60歳で還暦のお祝いをし、赤いちゃんちゃんこを着るならわしだが、スポーツ360が鈴鹿サーキットで初お披露目された時代、赤のボディカラーは法律で規制されていた。消防車などの緊急車両と誤認されるという理由からだったが、ホンダが孤軍奮闘の末使用許可を取り付け、民間で初めて赤のボディカラーをまとったのがSなのだ。赤つながりの余談である。

その後ホンダのSはS600、S800と排気量を拡大し、かつ、当初のチェーンドライブからシャフトドライブに変更しながら生産を続け、1970年5月の生産終了までにトータルで約2万5000台が世に送り出された。例えばトヨタスポーツ800はおよそ3000台、ダットサンフェアレディのSPとSRは合わせて9000台ほどと考えると、4輪初参入のメーカーがいきなりこれだけの数を作ったというのは驚きである。

ホンダも積極的に応援するクラブ活動

ホンダツインカムクラブはホンダASシリーズ(『S500』、『S600』、『S800』)のオーナーズクラブとして、ホンダASシリーズの動態保存や、それにともなう情報交換や会員相互の親睦を深める等の活動を積極的に行なっている。

いくつか例を挙げてみよう。2013年には、メーカーであるホンダの全面協力の下、ツインリンクもてぎにおいてホンダS50周年記念イベントを開催。そこには元社長で、ホンダSの開発にも携さわった川本信彦氏をはじめとした多くの開発者が集まり、当時の開発秘話や本田宗一郎氏とのやり取りなどが飛び出す講演会が行われたほか、コースではオーバルを利用した走行会なども実施された。

そこにはホンダの粋な計らいで1962年の第9回全日本自動車ショーでお披露目されたスポーツ360の復元モデル(現在オリジナルは現存していない)もサプライズで公開され、大いに会を盛り上げた。本来であれば、2013年の東京モーターショーでデビュー予定だったが、いち早く公開したのだから、ホンダがいかにこのクラブの活動を重要視しているかが分かろうというものだ。

次いでS800の生誕50周年記念イベントも以前ホンダのサービスセンター、白子SFのあった現本田技研工業白子ビルから、ホンダSが生産されていた狭山工場までパレードを行うなどの活動を行ってきた。

このような大きなイベントだけでなく、ツーリングなども行い、会員同士の親睦も深めている。

ホンダSの魅力は精緻性

そのホンダツインカムクラブが久々に大きなイベントを開催した。それがホンダS還暦ミーティングだ。コロナ禍によりイベント開催ができない状況が続いており、今回も開催が危ぶまれる中、ワンデイのランチミーティングという形で行われ、会場には100台近いSが集合。更に、ホンダから50周年で公開されたスポーツ360も特別に展示された。

ではSの魅力とは何か。参加者たちに聞いてみたのだが、その多くは時計のように精密で高回転型のエンジンやきびきびとしたハンドリング、愛嬌のあるデザインなど様々な意見が飛び出した。クラブ顧問でホンダS還暦ミーティングの実行委員長である那須望さんは一言、「精緻性」だという。「エンジンやハンドリングなどを含めた全てです。その全てが専用設計で流用部品なんかないんです。スイッチひとつとっても全部専用で作ってあるですよ。そこから当時の技術者の息吹みたいなのが感じられるんです」という。そうやって、「きっちりと作り込んであるところが最大の魅力です。もう50年も所有していますが、停まっているところを見ていても、精緻に作ってあるなと感じますね。持っていてよかったと思います」と教えてくれた。

また本田宗一郎氏の手が入っているところもそう感じさせる一因のようだ。「例えばドアのところがキックアップしているでしょう(サイドウインドウ下端の部分)。これは宗一郎さんが考えたそうです。ヘッドライトの下がちょっと内側に傾いてるのもそう。最初のデザインは真っ直ぐだったのですが、間が抜けているからこうやればいいと本田宗一郎氏がデザイナーにアドバイスしたそうです」

そんなSなのだが、実は間違いもあった。会場にあった水色のS600クーペのリアにあるエンブレムを見ると”Coope”だ。まさにエラーコインならぬエラーエンブレムだ。

そうやって会場を見渡すととてもきれいなS800クーペの左ハンドルが目に留まった。このオーナーは本田技研工業取締役代表執行役副社長の青山真二氏だ。車好きでほかにも初代NSXなども所有。今回はエントラントとして参加されていた。乞われて開会式であいさつした氏は、「古い車は楽しいですし乗るのが好きなんです」と語る。そして、「(ホンダは)バッテリーEVに邁進しつつありますが、その時代においても皆さまに購入してもらえるよう、乗って楽しんでいただける車を作っていきますので、期待をしてください」とコメント。

さらには個人的にはと前置きしたうえで、「アディティブ・マニュファクチャリング、3Dプリンター系の技術進歩は素晴らしいものがあります。そういったものを活用して、Sに限らず、製品を大事にお乗りいただける方々に補修パーツを提供していけるようなことも取り組んでいきたい」と話していた。

ワンメイクでこれだけ長く活動しているクラブも珍しければ、これだけ長く愛される車も珍しい。そこに宿る技術者魂や、本田宗一郎氏というエンジニアをはじめとした錚々たる開発陣の英知の終結だからこそ、未だに光輝いているのだろう。ランチが終わって参加者たちが帰路につく後姿を眺めながら、そして甲高い独特のホンダミュージックを聴きながらそう思った。

文・写真:内田俊一 写真:内田千鶴子

Words and Photography: Shunichi UCHIDA Photography: Chizuko UCHIDA