新体制での“再建”へ…巨人、次期監督候補に挙がっていた5人。原監督退任で…

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 2023年シーズンをセントラル・リーグ4位で終えた読売ジャイアンツ。2年連続Bクラスに低迷し、指揮官を務めた原辰徳監督の今季限りでの退任が決定。来季は阿部慎之助新監督が指揮を執ることとなった。監督人事においては、他にも候補者の名前が挙がっていた。今回は、巨人の次期監督候補として名前が挙がった人物を紹介したい。
 

 


阿部慎之助

 
 原辰徳監督から直々に後継者として指名されたのが、今季一軍ヘッドコーチを務めている阿部慎之助だ。
 
 2000年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団した阿部。ルーキーイヤーから正捕手格を担い、プロ2年目には早くもベストナインとゴールデングラブ賞を獲得した。
 

 
 2004年には33本塁打を放つなど、球界屈指の“打てる捕手”に成長。2012年には打率.340、27本塁打、104打点、出塁率.429と傑出した数字を残し、打撃3冠(首位打者、打点王、最高出塁率)に加え、最優秀選手(MVP)に輝いた。
 
 2015年以降は一塁へコンバートされ、晩年は代打の切り札としても活躍。2019年限りで19年間の現役生活に別れを告げた。
 
 引退後は巨人の二軍監督、一軍作戦コーチを歴任し、2023年は一軍ヘッドコーチ兼バッテリーコーチを務めた。
 
 現役時代には長らく正捕手としてチームを支え、リーグ優勝8回、日本一3回を経験している。来季からは監督としてチームをどのように導くのか注目だ。






桑田真澄

 
 現在は読売ジャイアンツファーム総監督を務める桑田真澄も、監督候補の1人に挙げられていた。
 
 PL学園高から1985年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。ルーキーイヤーから1軍マウンドを経験すると、高卒2年目の1987年には28試合登板で15勝6敗、防御率2.17と圧巻の数字を残し、最優秀防御率、沢村賞に輝いた。
 

 
 同年から6年連続で2桁勝利を挙げるなど、長期にわたって先発陣を牽引。2002年には12勝、防御率2.22をマークし、2度目の最優秀防御率を獲得した。
 
 その後は2桁勝利から遠ざかり、2006年に巨人を退団。翌2007年からメジャーリーグでプレーしたが、2008年3月に現役引退を表明した。
 
 引退後は長らく現場から離れていたが、2021年に巨人の一軍投手コーチ補佐に就任。2023年はファーム総監督に就任した。
 
 投手陣の課題を抱えるチーム状況だけに、来年以降は一軍の主要ポジションに就くことも考えられる。







高橋由伸

 
 2016年から3シーズンにわたり、読売ジャイアンツの一軍監督を務めた高橋由伸。再登板を望む声も多かった。
 
 慶応大から1997年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。プロ1年目から主力級の活躍を見せ、翌1999年には打率.315、34本塁打、98打点の好成績でベストナインに輝いた。
 

 
 その後も中心打者としてチームを支え、2007年には打率.308、35本塁打、85打点の活躍で2度目のベストナインを獲得。翌年以降は故障もあって、代打での出場が多くなったが、バットで存在感を示した。
 
 監督就任に伴い、2015年限りで現役引退を表明。18年間の現役生活に幕を下ろした。
 
 指揮官時代は3年間で2度のAクラス入りを果たしたが、2018年限りで退任。リーグ優勝こそ叶わなかったが、主砲・岡本和真らを育てた手腕は高く評価されている。
 
 現在48歳と若く、現場復帰を期待するファンも多いだけに、今後の動向に注目が集まる。






落合博満

 
 現役時代には読売ジャイアンツでも活躍し、監督として中日ドラゴンズの黄金期を築いた落合博満。その手腕の高さから監督候補に名前が挙がっていた。
 
 1978年ドラフト3位でロッテオリオンズ(現マリーンズ)から指名を受け、プロのキャリアをスタートさせた落合。プロ3年目にレギュラーに定着すると、翌1982年には三冠王に輝いた。
 

 
 さらに1985年から2年連続で三冠王を獲得。特に1985年は打率.367、52本塁打、146打点と圧巻の成績を残した。その後、中日を経て1994年に巨人へ加入。3シーズンにわたり活躍した。
 
 現役引退後は、2004年から中日の監督に就任。8年間指揮を執りリーグ優勝4回、日本一1回、全てのシーズンでAクラス入りを果たすなど、驚異的な結果を残した。
 
 その後はゼネラルマネージャー(GM)を務めたが、2017年以降は現場を離れている。今後、監督として再び指揮を執ることはあるのか、注目が集まっている。







松井秀喜

 
 指導者経験こそないものの、読売ジャイアンツでの現場復帰が期待されていたのが松井秀喜だ。
 
 1992年ドラフト1位で巨人に入団。ルーキーイヤーからセ・リーグ高卒新人記録となる11本塁打をマークすると、翌1994年からレギュラーに定着。1998年には打撃3冠(本塁打王、打点王、最高出塁率)に輝いた。
 

 
 その後も巨人の中心選手として活躍。2002年には打率.334、50本塁打、107打点と傑出した数字を残した。同年は最優秀選手(MVP)に輝き、チームをリーグ優勝、日本一に導いた。
 
 同年オフに海外FA(フリーエージェント)権を行使し、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。メジャー2年目の2004年には31本塁打を放ち、2009年には日本人初のワールドシリーズMVPを獲得するなど、メジャーでも多くの実績を残した。
 
 最後はNPBに復帰することなく、2012年に米国の地で現役を引退した。根強い人気を誇るだけに、将来の監督就任を待ち望む声も多い。



 


 

 
【了】