数々の名匠に愛され、話題作への出演を重ねている俳優・池松壮亮。このほど、山本周五郎の小説を宮藤官九郎の企画・監督・脚本によって映像化した青春群像劇『季節のない街』(ディズニープラス「スター」で全10話独占配信中)の主演に抜てきされ、また新たな魅力を放っている。宮藤との初タッグが実現した本作の撮影は、「とても贅沢な時間。ものすごく楽しかった」と充実感をみなぎらせた池松。『ラストサムライ』の映画デビューから20年が経った今、池松が振り返る分岐点と、俳優としての幸せを明かした。

  • 池松壮亮

■「いつか一緒にやりたい」と夢見ていた宮藤官九郎との初タッグに喜び

裕福とは言えない“街”を舞台に個性豊かな住人たちの悲喜を紡いだ原作は、黒澤明監督が『どですかでん』のタイトルで映画化し、1970年に公開されたことでも知られる名作。今回の映像化は、「黒澤明監督作品の中で『どですかでん』がいちばん好き」という宮藤が長年温めてきた企画となる。舞台となる“街”を、12年前に起きた災害を経て建てられた仮設住宅のある街に置き換え、現代に再構築。希望を失い街にやってきた主人公の半助が、その住人たちの姿に希望を見つけ、再生していく姿を描く。

池松は「『どですかでん』として映画化された山本周五郎の小説を、宮藤さんが映像化する。しかもディズニープラスで。良い予感しかなかった」と微笑み、「すべての掛け合わせがうまくいきそうだなと心がときめきました。いい作品になるという予感しかなかった」とオファーを受けて胸が躍ったと述懐する。

意外にも宮藤とは初タッグとなったが、「宮藤さんとは、なんとなく近いところにいるような感覚がありました」と特別な想いを抱いていたという。「僕は20代の頃に、ミュージシャンの峯田和伸さんとよく一緒に過ごしていたんですが、宮藤さんと峯田さんもすごく仲が良くて。いずれ出会うけどまだすれ違っているだけのような、近いところにいるような感覚が勝手にありました。また宮藤さんの作品を観ても、そういった感覚があって。『いつか一緒にやりたいな』と宮藤さんとのご縁を夢見ながらも、僕はあまり舞台やドラマを多く通ってきていないのでなかなかお会いする機会がなくて」と打ち明けつつ、「今回オファーをいただいて、とてもうれしかったです」と喜びを噛み締める。

しかも今回は、池松のファンだった宮藤が「一緒にやるならこの作品だ!」と熱烈なラブコールを送って初タッグが実現した。池松は「俳優として何よりも幸福なのは、作り手の方が『どうしてもやりたい』と思っていた企画に混ぜてもらえること」としみじみ。「僕が演じた半助という役は、この街のホスト役のような存在です。半助が街をどのように見つめるのかによって、この物語のトーンや色、見え方も変わってくる。つまりこの物語を描いた宮藤さんの分身のような存在になるわけです。宮藤作品初参加でそういった役を任せていただけたことは、本当に光栄なことでした」と笑顔を見せる。

■個性たっぷりの面々と過ごした2カ月半は「とても贅沢は日々だった」

黒澤監督の『どですかでん』は、日本を代表する名優たちが人間の生きる力を体現し、今なお多くのファンを生み出し続けている名作だ。宮藤による『季節のない街』にも、仲野太賀や渡辺大知、三浦透子、濱田岳、藤井隆などなど、個性派俳優が集結。仮設住宅のある街で、たくましく生きるワケあり住人たちをユーモラスかつ情感豊かに演じている。

池松は「宮藤さんの脚本は、本当に見事。どんな設定も、どんなキャラクターも面白くしてしまうような包容力がある。宮藤さんならではのユーモアと鋭さと人間味を持ったキャラクターばかりが描かれていました」と称えながら、「さらに今回驚いたのは、宮藤さんの監督としてのすごさです。本作は群像劇なので、かなりの人数で一斉にお芝居をすることが多くありました。そんなとき宮藤さんは、その場の空気やタイミングなど一発でパッと修正ができる。舞台を何本もやっていらっしゃるからなのか、まるで特殊能力でも使っているかのようでした。とても感動しました」と手腕に惚れ惚れ。

  • 『季節のない街』場面写真

実際に仮設住宅を建てて行われた撮影は、2カ月半に及んだ。「毎日のようにみんなでご飯を食べて、一緒に過ごして。近くに銭湯があって、お風呂に入ると荒川(良々)さんがいたり、水風呂に入ると隣に宮藤さんがいたり。都心から離れて、オープンセットの街で、日が昇って沈んで、一緒に星を見て、また明日、という生活はとても贅沢は日々だったと感じます。本当にその街でみんなと暮らしているような期間を過ごすことができたあの日々は、この作品を特別なものにしてくれたと思っています」と充実感もたっぷりだ。

信頼を寄せるメンバーと作り上げた本作は、どのような作品になっただろうか。「本作は、この国が経験した痛みを扱っている」と切り出した池松。「東日本大震災から12年が経ち、2025年には戦後80年を迎えます。そういった時代の変わり目の中で、失われていくものってたくさんありますよね。期限付きだけれど、その街に確かに暮らしていた人々を描くことで、忘れることや、失われていくことへの、ささやかな抵抗になればと思っていました」と願いを込めていた。