ニューヨークで知った故郷の落花生
杉山さんは会計士としてニューヨークの大手会計事務所で働いていた。忙しい毎日を送っていたある日、「かつて遠州半立ちという浜松の落花生が、万博で世界一を獲った」という新聞記事を偶然目にし、「故郷にこんな素晴らしいものがあったとは!」と大きな衝撃を受けた。
それまで農業には全く関心がなかった杉山さんだが、この世界一の落花生で、世界一のピーナッツバターを作りたいと思うようになった。
杉山さんにとってピーナッツバターは特別な思い入れがある食べ物だ。多種多様な人種が集まるアメリカでは、言葉も宗教も食べ物も、人によって違いがある。だが、ピーナッツバターはその大きな垣根を越え、どの家庭にも自然と置かれていた。「ピーナッツバターは人と人とをつなぐことのできる存在」。アメリカ生活で実感したこの思いが、ピーナッツバター作りの発端となった。杉山さんにとって特別な存在となったピーナッツバターを、遠州半立ちで作りたい。杉山さんは帰国を考える。
ところが、遠州半立ちは浜松でも忘れ去られた品種で、既に栽培されていなかった。あきらめることなく文献や郷土資料を読み漁った結果、万博に出品していた当時の栽培者の末裔(まつえい)にたどりつき、ようやくお茶缶1杯ぶんの種を入手できたという。
「当初は浜松の農家に落花生を栽培してもらって、僕はピーナッツバターだけを作ろうと思っていたんです。ですが入手できた種はごくわずか。遠州半立ちの未来を託された自分自身が、浜松で落花生作りからやるしかないと思ったんです」(杉山さん)
ピーナッツバターを作るため、幻の落花生を復活
人と人をつなぐピーナッツバターを一年でも早く作りたい。帰国した杉山さんは、その一念で、空いている土地がないか地主のもとをまわるところから始めた。もともと自身が就農する予定ではなかったこともあり、耕す機械もない。クワ一本からのスタートだった。とんでもない荒れ地を耕して落花生を育てる。浜松はタマネギ栽培が盛んなこともあり、周囲は高付加価値なタマネギ農家ばかり。先の見えないことをやっていると周囲から思われても、根気よく栽培を続けていった。すると当初は冷ややかだった周りの農家も、次第に落花生がもたらす利益に関心を持つようになり、今では多くの農家がタマネギ栽培の合間に落花生を栽培するようになった。
杉山ナッツが大切にするポリシー
同社は商品を売るだけではなく、ポリシーやストーリー性を大切にした展開を行っている。杉山さんは「1年に1回でいい。人と人をつなぐ力のあるピーナッツバターを、結婚記念日、誕生日など、ハレの日に食べてもらえる存在にしていきたい」と語り、ただ作って売るだけのビジネスにはしたくないと強調している。
このポリシーを反映しているのが販路だ。杉山ナッツのピーナッツバターは大手流通網やECサイトでは販売していない。地元店舗や一部百貨店、イベントでの出店を主としている。
「僕たちのピーナッツバターはただの商品ではないんです。『落花生で人とつながり、自分たちもお客さんも、関わった人すべてが幸せになれるようなピーナッツバター』。このストーリーを直接お客さんに訴えかけたい。だから大きなスーパーやオンラインでは展開せず、お客さんに直接届けることを大切にしています」(杉山さん)
その年の「テーマ」によって変える、土づくりと栽培方法
こだわりの真骨頂は、ピーナッツバター作りのプロセスだ。杉山ナッツのピーナッツバター作りは、まず、その年の「テーマ」を設定することから始まる。
テーマは、お客さんとの会話からヒントを得ることも多いという。お菓子づくりや料理に使いたい。もっととろみのあるものがほしい。お客さんの声をもとにおもしろそうだなと思ったものをやってみる。そして、そのテーマに合った落花生を作るための土づくりや栽培方法を考え、実践する。
例えば、「舌触りの良いねっとりしたピーナッツバター」がテーマとなった場合、普段より圃場(ほじょう)にカルシウムを多く与え、油分の多い一番花に実る莢(さや)を大きく太らせる。テーマに応じて土づくりや栽培方法を変えるというこだわりようだ。
さらに、100年以上前の遠州半立ちという品種の魅力を最大限引き出すため、化学農薬を控え、土づくりには地元浜名湖の海藻やカキ殻、わらや米ぬか、もみ殻などを使用。当時の農家が使用していた資材や農法を再現することで、“杉山ナッツのこだわり抜いたピーナッツバター”というストーリーに説得力を持たせている。
ピーナッツバターを通して地域とつながる
杉山ナッツが大切にしているポリシーは、杉山さんが行っている地域の活動にもつながっている。
土づくりに使っている浜名湖産のカキ殻や海藻類は、もともと農業用資材としては見向きもされず、漁師も処分に困っているような代物だった。しかし杉山さんが肥料としての活用方法を見いだしたところ、周辺の農家も導入するようになり、今ではカキ殻の加工業者も増え始めた。はじめは自分たちのために行っていたことが、次第に地域貢献へとつながったのだ。
また、地元小学校に声掛けを行い、1人1株落花生を栽培してもらう取り組みもスタートさせた。落花生を栽培するだけではなく、ピーナッツバターにして販売まで行うというもので、パッケージデザインも子どもたちが考えて売りに行き、売上金の使い道も自分たちで考えてもらうという。100年以上前に落花生で盛り上がった街が、今再び盛り上がろうとしているようだ。
ピーナッツバターに込めた思いが、世界に広がる
ピーナッツバターへの真摯(しんし)な取り組みは、日本を飛び出しスリランカにまで届き始めた。
スリランカで子ども支援を行っているリトル・トゥリー・スペシャル・ニーズ・チルドレン・センターという孤児院を運営する団体から、杉山さんの圃場を見学したいという手紙が届いたのだ。
スリランカはもともと落花生の産地として有名で、同団体では、子どもたち自身が自分たちのおやつとして落花生を育てているという。「子どもたちが将来自立して生計を立てられるように、ピーナッツバターなど加工品の製造をやってみたい」という団体の思いに共感。杉山さんは同団体と連携し、栽培や加工のノウハウをシェアしながら子どもたちの支援を行っていく予定だ。
落花生の6次産業化としてピーナッツバターを作っているのではなく、ピーナッツバターを通して人と人をつなげていきたいという、シンプルだが強い思いがあるからこそ、杉山ナッツのポリシーが広く海外にまで伝わり始めた。100年以上前に世界で認められた幻の落花生が、人と人をつなぎ幸せをもたらすピーナッツバターとして、再び世界へ羽ばたこうとしている。
自分たちの利益だけを考えるビジネスは成長しないと杉山さんは指摘する。
単に作って売るだけではなく、生産者の立場から作物や商品を作り上げるまでのストーリーを伝え、共感してもらうことも大切だ。店頭で、SNSで、臆せずに、自ら産物に込めた思いを発信してみることから始めてみよう。