俳優・小泉孝太郎、衆議院議員・小泉進次郎氏の兄弟が、きょう10日に放送される日本テレビ系バラエティ特番『1周回って知らない話 2時間SP』(19:00~)に、テレビで初めてそろって登場する。

  • 小泉進次郎議員(左)と小泉孝太郎=日本テレビ提供

芸能生活22年の孝太郎は、オープニングでMC・東野幸治から「いつもニコニコしてる。悪いコト考えたりするんですか?」と聞かれ、うなずきながら「だから悪役が楽しいんです。嫌な人と会ったとき、悪役なら発散できるから」とひそかな楽しみを告白する。

そんな孝太郎に対する今どきの視聴者のイメージは、「爽やかで清潔感のあるイケメン」という声が多い一方で、「裕福な家庭で育ったエリートおぼっちゃま」の印象も。父は言わずと知れた元内閣総理大臣・小泉純一郎、弟は元環境大臣・小泉進次郎という政治サラブレッド一家の長男は、一体どんな幼少期を過ごしたのか。「子どもの頃、父はほとんど家に居なかった。平日は東京で、週末は地元の会合、土日は冠婚葬祭の数が半端じゃない…1日15件とか。だから父は常に線香の香りがして…」と振り返る。さらに、「学校から帰って一番最初に会うのが警察の警備の人」と政治一家ならではの物々しい暮らしを明かすと、東野が「家の間取りってどんな感じなんですか?」と直撃。秘書、後援会、お手伝いと、いろんな人が出入りしていた小泉家の食卓とは。

父・純一郎氏からは「小泉家の名に甘んじるな」と教えられ、細かい“純一郎ルール”に縛られてきたという孝太郎。金銭感覚が狂わないようにお小遣いや食べ物には厳しい制限が設けられ、中でも“お菓子は一切禁止”というルールは、孝太郎少年にとって拷問そのものだった。友達がこっそりくれる1枚の板ガムにすら感動していた孝太郎は、今でも楽屋でお菓子を見るとついやってしまう行動があるという。また意外なことに、「人の上には立つな」「リーダーシップは執るな」とも教えられ、学校の学級委員や応援団長をやらせてもらえなかったという。国のトップにまでなった父がなぜそのような教えを説いたのか。

さらに、授業参観で生徒を叱ったり、先生にダメ出しをしたりと、父の破天荒すぎるエピソードや、「あれがあったから反抗期もグレたこともなかった」と孝太郎が今でも感謝している“純一郎流”親子のコミュニケーション法に、スタジオも感動となる。

そんな厳しいしつけの中で幼少期を過ごした孝太郎は、なぜ政治家にならず、役者の道に進んだのか。その理由は他でもない父の言葉がきっかけだった。父が息子にかけた言葉、孝太郎が役者に目覚めた瞬間とは。3歳の頃からの親友・上地雄輔が当時の秘話を語る。

さらに芸能界入り後、父・純一郎氏が総理大臣に就任したことで孝太郎の人生も激変。落ちたはずのオーディションに合格、芸能事務所からオファー殺到…当時の複雑な心境を赤裸々に告白する。そして、「身の危険はありました。街中を歩く時も背後を気にして…」と、常に危険と隣り合わせな総理の息子の宿命にスタジオ騒然となる。

事務所に所属してわずか3カ月でドラマのレギュラーキャストに抜てきされた孝太郎だが、総理の息子という肩書きに、当時は心無い声も。そんな孝太郎に真摯(しんし)に接してくれたのは、事務所の大先輩・いかりや長介さんだった。50歳も離れた大御所にもかかわらず、役者としての基礎をイチから丁寧に指導してくれたいかりやさんのことを「心のよりどころでした」と慕っていた孝太郎。亡くなる直前にいかりやさんが孝太郎にくれた、今も忘れられない言葉とは…。

また、いまだに独身の孝太郎に、東野が「結婚はしないの?」と直撃。孝太郎が結婚しない理由、その男前な結婚観を聞いた岡田結実は「プロポーズします!」とメロメロに。

そして、小泉進次郎氏が、普段は見せない“弟の顔”で兄への思いを語る。「小学生くらいまでは、すごくウザったい弟だったと思います。お兄ちゃんが行くところはどこでもついていったから…」と幼少期を懐かしそうに振り返る進次郎氏。

そんな弟は、政治の道へ進むのが当然と思われていた兄の背中をどのような思いで見ていたのか。そして、兄が芸能界へ進むと決めたときにどう思ったのか。その後、兄に代わって政治の道へ進むことを決断した裏にはどんな思いがあったのか、真相を打ち明ける。

さらに、お互い多忙を極め、ゆっくり会うことがなかなかできない今、兄に何を伝えるのか。進次郎氏の言葉を受けた孝太郎も「どこか進次郎に後ろめたい気持ちもあって…」と、20年以上抱え続けていた思いの丈を初めて語る。