どんな人も、特定の音楽を聴くたび、頭の中に蘇る個人的な記憶があるだろう。

逆に、思い出とともに脳内で自動再生される音楽や、特定のシチュエーションや季節によって喚起され、無性に聴きたくなる音楽もあるに違いない。

■18歳の早春の記憶が蘇る

日ごとに暖かさが増すこの麗らかな季節、僕はといえばイギリスのパンクバンド、ディスチャージのファーストアルバム『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』を聴きたくなる。
人によっては眉をひそめたくなるほど馬鹿やかましく、ダークな雰囲気のハードコアパンクだが、聴くたびに僕の頭には、18歳だった1988年の早春の記憶が蘇るのだ。

高校の3年間をただ愉快に過ごしてしまったため、受験したすべての大学から不合格通知を受け取り、進学先がないまま高校を卒業したその年の3月、僕は予備校が始まるまでの期間を利用し、気晴らしにアルバイトをすることにした。
家の近所の配送工場で、全国の学校に向けて教科書の出荷作業をする、2〜3週間だけの短期バイトだった。
そのバイト期間中、自転車で片道20分ほどの現場までの行き帰りや休憩、昼休み中に、僕は飽くことなく、ウォークマンでただひたすらこのアルバムを聴いていた。

今と比べると当時は、浪人期間を経て大学に入る人の割合が高く、友達の多くも現役受験に失敗していた。
だから僕も表面的にはさほど気にはしていない体を装っていたが、内心は忸怩たる思いがあり、これから始まる浪人生活のことを考えて暗澹たる気分になっていた。
そんな僕の毛羽だった気持ちに寄り添う音楽が、ディスチャージのヒリヒリするようなハードコアサウンドだったのだ。
だから今でも、『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』に針を落とすたび、早春の生ぬるい空気感ともに、当時のほろ苦い記憶が蘇ってくるのである。

  • レコードの端に針を落とす瞬間のワクワク感

音楽を再生することを示す表現として、何気なく“針を落とす”と書いたが、実は正確ではない。
僕はディスチャージの『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』をCDでしか持っていないからだ。
それに今は膨大なコレクションの山に埋もれ、目指す1枚のCDを見つけ出すことも簡単ではなくなってしまった。
だから最近はもっぱら、加入している音楽ストリーミングサービスのApple MusicかSpotifyで聴くことにしている。

  • 数千枚のCDの山に埋もれ、見つからない『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』

浪人決定のあの春は、CDも持っていなかった。
レンタルレコード店で借りたLPからダビングした、カセットテープで聴いていたのだ。
でも、『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』くらいの“個人史的名盤”(音楽界全体においても歴史的名盤であることは間違いないが)であれば、やはりアナログレコードでコレクションしておきたいので、次に機会があれば買おうと思っている。

というのも僕はここ数年、一時期は遠ざかっていたアナログレコードをよく聴くようになっている。
そしてCDやデータですでに持っているアルバムであっても、個人的思い入れの強いものは、少しずつアナログ盤で買い直しているのだ。

  • もうすぐアナログ盤で買い直すであろう『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』

■時代の流れに合わせて音楽の聴き方を正統進化させていったのだが…

僕は新しいもの好きなので、音楽の入手方法と聴き方は、時代に合った最新スタイルを追求してきた。
中高生の頃のレコード&カセットテープからはじまり、大学生から20代の頃はCDとMD。
30代になると、当時発売されたばかりのiPodに飛びつき、手持ちのCDをリッピングして聴くようになる。
音源をCDではなく、主に配信で買うようになったのは30代の半ば頃からだっただろうか。
そして40代になると、ストリーミングを導入しているサブスク音楽配信サービス、つまりApple MusicやSpotifyを利用するスタイルへと移っていった。

つまり、何か特定の“聴き方”に拘泥することなく、時代に合わせて音楽の聴き方を正統進化させてきたのである。

ところが40代後半になった頃、なぜかアナログの良さを再確認するようになり、家でレコードを回す時間が徐々に増えてきた。
まるで音楽を聴くのが好きになった中学生の頃へ原点回帰するかのように。
一時期は部屋の片隅でホコリをかぶっていたレコードプレーヤー、Technicsの『SL-1200 MK3D』も面目躍如。
今では毎日、張り切って働いている。

  • Technics『SL-1200 MK3D』

最近はレコードをよく聴くと話すと、「やっぱりデジタルよりもアナログの音はいいよね」などと言う人もいるが、僕は基本的に音質にはほとんどこだわりがない。
「本当に! まったくその通りだよ」などと話を合わせるが、実は僕がアナログレコードを聴く理由はそこではないのだ。

パンクロックばかり聴いていた少年時代とは違い、今は好きな音楽のジャンルも広がったとはいえ、根っこの部分はいつまでたってもパンクス。
耳の良さが磨かれる若い時期に、ドカドカうるさいラウドミュージックばかり聴いてきた僕には、音質の違いなんてよくわからないしどうでもいい。

僕にとっては、そこそこ重低音が響き、安定的にでかい音さえ出れば、再生装置など何でもいいはず。
それでも僕がレコードプレーヤーを使うのには、理由がある。
レコードをかけるという行為自体が、僕の“気分”を良くさせてくれるからだ。

  • 今日は何を聴こうか…

今日はこれを聴こうと決めたアナログレコードを棚から取り出し、指紋を付けないようにジャケットから慎重に引っ張り出す。
盤の両面をチェックし、埃がついていればクリーナーを使って磨く。
そしておもむろに、ターンテーブルの上に盤をセット。
レコードプレーヤーのメインスイッチをオンにし、スピーカーとの接続を確認する。

プレーヤーのスタートスイッチを押すと、ターンテーブルに載せたレコードが回転を始める。
回転が安定したら、アームを手で持ち上げ、針の先をそっとレコードの端に乗せる。 するとプツプツという特有のノイズのあと、イントロが再生される…。

スマホの上を親指でスイスイと何度か撫でれば、どんな音楽もすぐに再生できるこの時代に、わざわざこの儀式めいた面倒臭い一連の動作をすることこそが、アナログレコードの良さなのだ。
少なくても僕にとっては。

こうやって再生されたアナログレコードの曲は、手軽にスマホからBluetoothでモバイルスピーカーに飛ばしたときよりもなぜか心に響く…ような気がする。
完全に精神的なものだが、“再生の儀”によって音楽の世界に没頭する準備が整えられるからであろう。

■世界中に信奉者を生んだ歴史的名機を保有することの喜び

僕が使っているレコードプレーヤーは、Technicsの『SL-1200 MK3D』。 買ったのは、25年ほど前だ。
僕はこのプレーヤーを、このまま一生使おうと思うほど気に入っている。
とはいえ機械だから、いつか壊れる日が来るかもしれない。
そのときに買い直すとしても、やっぱりSL-1200シリーズの最新版を選ぶだろう。

松下電気(現・パナソニック)がオーディオレーベルであるTechnicsから、1972年に発売開始したSL-1200シリーズは、歴史的名機として名高い。
ターンテーブルのスタート・ストップがすぐに行える革新テクノロジーである「ダイレクトドライブ方式」を採用したため、世界中のDJにあっという間に広まり、特にクラブやディスコではほぼ独壇場とも言える状況が長く続いたのである。

  • 名機として名高いTechnics『SL-1200 MK3D』

僕の持っている『SL-1200 MK3D』は、1998年に発売されたシリーズ4代目だ。 SL-1200シリーズは初代から少しずつ改良されているが、MK3Dは先代に比べ、ピッチコントローラーの横にリセットボタンがついたり、暗い場所でも回るレコードがよく見えるようにLEDが追加されたりしている。

SL-1200シリーズはその後もマイナーチェンジした新機種がリリースされていくが、2008年の『SL-1200 MK6』発売を経た2010年、役割を終えたということで生産終了が発表された。
ところが世界中の音楽ファンからの熱望に押される形で生産を再開。
2016年からは再び、最新機種がリリースされるようになった。
それほど、熱烈なファンがいまだ世界中に数多くいる機種なのである。

SL-1200シリーズはどれも、フロアの振動が激しいクラブなどで使われることを想定しているため、非常に重量感がある。
そのおかげでちょっとやそっとの振動では針飛びしたり音が揺れたりすることなく、安定的に再生を続けてくれる。

そのほかにもSL-1200には、優れたスペックが数多く備えられているのだが、僕がSL-1200を選び、これまでずっと使い続けている最大の理由は、ただ単に“かっこいいから”に他ならない。

レコードプレーヤーは家の中の目立つ場所を占拠するものだから、インテリアとしての側面も重要だ。
その点このSL-1200は、シンプルでソリッドでこれ以上はないというほどの素晴らしいルックスをしている(主観ですが)。

レコードを再生するための一連の挙動も含め、もともと音楽なんていうのは気分と雰囲気で味わうものだと思っている。
そんな僕にとって、最高に気に入っているかっこいい再生装置を眺めながら聴くひとときは、至福のものとなるのだ。

  • 音楽とは雰囲気で味わうもの

文・写真/佐藤誠二朗