テレビ東京系バラエティ『ゴッドタン』の人気企画「腐り芸人セラピー」でのトークや、ネットで連載しているお笑い考察など、独自の視点で芸人を語る姿が注目を集めるお笑いコンビ・平成ノブシコブシの徳井健太。そんな彼の考察が『敗北からの芸人論』という1冊の本になった。優勝劣敗が常の芸能界、すべてがライバルと思われるような世界で、徳井はなぜ嫉妬もなく人を褒められる悟りの境地になれるのだろうか――胸の内に迫った。

  • お笑いコンビ・平成ノブシコブシの徳井健太

■不仲でも貫いた“面白い”への純度100%の思い

書籍には、大きな挫折を経験し、どん底を味わいながらも、自身のスタイルにこだわった21組の芸人たちの生き様を、徳井ならではの視点で考察。そこには、なんとも言えない芸人への愛情いっぱいのエールと共に、自身の生き様も綴られている。なかでもコンビを組んでいる吉村崇への愛憎入り交じる思いは、徳井という人間の“特異性”を如実に表している。今年で結成22年目となる平成ノブシコブシだが、コンビを結成してから長きに渡り、吉村に「殺意」を抱いていたというのだ。

「僕は日本一面白くなりたいと思ってNSC(吉本総合芸能学院)に入ったのですが、いざお笑いの世界に入口に立ったとき、ダウンタウンさんの圧倒的なすごさを改めて痛感し『もう日本一になるのは無理だな』とすぐに心が折れました。さらにNSCの同期にのちにピースというお笑いコンビを組む2人(綾部祐二と又吉直樹)がいて、彼らの桁違いの面白さにも『もうダメだな』と感じて、完全に夢がなくなってしまった。ただ唯一あったのは“面白いと思われたい”という思いだけでした」。

一方の吉村は、芸人になったのだから「モテたい」「売れたい」「金持ちになりたい」という、ある意味で当たり前の思いを持っていたという。そんな吉村には、徳井のメンタルは到底理解できない。

「吉村からしたら、僕が『モテたい』とか『売れたい』とか『金持ちになりたい』ということに興味がないことに『格好つけているだけだろ』と感じていたと思います。そう思う気持ちも分かります。だから僕のことをずっともどかしいと思っていただろうし、僕は僕で、ただ面白いと言われたい……うまくいくわけがないですよね(笑)」。

かみ合わないまま、時間ばかりが過ぎていく。徳井自身もその時間は相当に辛い日々だったという。

「当時のメンタルの壊れ方はすごかったと思います。常に無感情で“楽しいなー”って口癖のように言っていました。もう精神科に行くギリギリの状態でした」。

それでも、徳井から「コンビを辞めよう」という言葉は一切言わなかった。あくまで吉村が「辞めたい」と言ったなら「分かった」と解散するつもりだったという。

「本当にずっと吉村から『解散したい』と言ってくれって心のなかで思っていたのですが、自分からは言いませんでした。なんでしょうね、意地なんですかね。ここで辞めたら、これまでの時間が本当に無駄になってしまう……みたいな感覚だったのかもしれません。本には吉村に対して『殺意』という言葉を使っていますが、それはこの辛い修行が終わるのは、僕が死ぬか、吉村が死ぬかのどちらしかないと思っていたんです。売れて修行が終わるなんてことは、微塵も考えていなかったですね。お笑い芸人が言うことではないですが(笑)」。

■雪解けは吉村の一言から「兄弟みたいな関係に」

そんな苦行は、ある吉村の言葉によって変化する。書籍にも書かれているが、『はねるのトびら』の収録後「ウケるウケないはどうでもいいけれど、心が折れてはダメ。プロならやりきらないと」と吉村に言葉をかけられ、徳井の心は大きく波打った。

「その言葉で仲良くなったというより、吉村に負けたなと思ったんです。いままでは希望がないなか、強いて芸人としてのモチベーションを保っていたのが、吉村よりも1ミリでも面白くいたいという思い。ギャグや大喜利に関しても、他の誰に負けてもいいから、吉村よりは面白ければいいやみたいな。でも収録後にかけられた吉村の言葉で『吉村にも負けているな』と感じたんです」

そこから何かが変わったという徳井。徐々に仕事も入るようになった。いままで見たことのないような景色も広がったことで、吉村がずっとその場所で、1人で戦ってきたことに敬意を持つことができた。

「まあそれでも僕は相変わらず“面白くありたい”というところで戦っていたので、どんどん仕事は減っていきました。吉村はそんな僕にイライラしていたと思うのですが、自分的には、1人の仕事もいただけたので、良い距離感が保てるようになったんです。それが結成15年目ぐらいで……。そこからはある意味で兄弟みたいな関係になれた気がします」。