あなたのまわりにいる「一目置かれる人」は、おそらくみんな「語彙力」の高い人ではないでしょうか? 語彙力を高めることで、会話の質は高まり、正確で手短な会話ができるようになります。そういう人には信頼が集まりますし、仕事でも大役を任されることが多いはずです。

語彙力に関するベストセラーを多く持ち、「言葉のプロ」として知られる明治大学文学部教授・齋藤孝先生が考える、語彙力アップのためのポイントはどんなものでしょうか。

■語彙力が上がると会話の「質」が高まる

語彙力が上がると、端的に会話の質が高まります。もう少し詳しくいうと、会話のなかの「意 味の含有率」が高まるため、正確かつ手短に話を伝えることができます。

語彙力がなければ、もやっとした言葉を繰り返し使わざるを得ません。例えば、「やばい、ほんとやばいんだけど、やば過ぎる、いややば過ぎる」みたいに、中身がなにも伝わらない話し方になってしまいます。これではいいたいことを伝えられず、ただ少ない語彙でグレードを強調しているだけです。

極端な例のようですが、案外このような話し方をしている人はちらほら見かけます。語彙力の向上は、まず「語彙力を上げよう!」と意識することからはじまります。そうすると、語彙力がある人とない人の話を区別できるようになるからです。語彙力がある人の会話に気づけるようになると、より意識が高まって語彙力を上げていく心の準備が整います。

わたしは、YouTube やニュースサイトなどのコメント欄の意見を、1日に300以上は読んでいます。すると、ちょっとしたコメントのなかにも高い語彙力を感じる人がいます。そんな人の言葉遣いや言い回しなどを覚えておくために、スマホのメモ欄にコピーするときもあるほどです。こうした地道な作業を続けることで、語彙に意識を向けるのが習慣化しているのでしょう。

また、語彙力は実際に使わなければ、なかなか上がりません。そのため、とりあえず「覚えたばかりの言葉はすぐ使う」ようにするのも大切です。意味の理解があいまいでも、いまは検索すればすぐに正しい意味がわかります。意味を間違えて使うのは恥ずかしいので、面倒でもいちどしっかり調べて、その語彙を実際に使ってみましょう。

2回ほど実際に使ってみるだけでかなり自分の語彙になるので、すぐにアウトプットするのがもっとも効率のいい語彙力の上げ方になります。

■読書は、語彙力アップの「しこ踏み」のようなもの

語彙力を上げるのに、地道ながら確実な方法はなんといっても読書です。これは相撲でいえば、「しこを踏む練習」みたいなもの。先に述べた、会話のなかの「意味の含有率」を高めるは、語彙の宝庫である本を読んで、豊かなインプットをすることがとても効果的です。

わたしは、人に1分も話してもらえれば、その人の読書量を大体当てることができます。なぜなら、ふつうの話をしていても、そのなかに「活字だけで使われる言葉」がたくさん出てくる人は読書家だからです。

例えば、先ほどから「意味の含有率」について述べていますが、含有率という言葉は日常の会話ではあまり使いませんよね? それでも、読書している人ならときに使うし、同じく読書している聞き手ならいわれてもすぐに理解できます。ほかにも「含蓄がある」など、文章でよく使う言葉は、読書をしている人しか実際にはなかなか使えません。

逆にいえば、話し上手で、かつ意味の含有率が高い話し方ができる人は、読書をしている人が多いということです。辞書をめくればあきらかですが、ほとんどの語彙は日常ではそれほど使わないものです。その多くは本を読むと出会うような言葉であり、それらは日常で使う語彙よりも圧倒的に多いわけです。

そこで、みなさんにはぜひ読書をしていただき、本に出てきた言葉を積極的に使って話してほしいと思います。これだけで、本当に驚くほど語彙力が上がります。ビジネス書を読んで「需要供給曲線」と出てきたら、それをすぐに使いましょう。

「需要供給曲線的にいうと、いまこのサービスは苦しいね」みたいに、不自然なまでに使っていると、どんどん自分の「使える語彙」が増えていきます。家族や友人と楽しみながらやってみるといいでしょう。

読書といっても、語彙力アップに焦点を絞るなら、1冊全部を読まなくても構いません。新書などは語彙が豊富なので、10ページほど読んだら、その内容を要約して誰かに話してみる。すると、そこに使われている語彙が自然と身につきます。

例えば、「エビングハウスの忘却曲線」や「正常性バイアス」といった、ふつうに過ごしているとなかなか出会わない学術用語も、2回ほど使えば自分のなかに定着します。別に「正常性バイアス」の意味を、詳細に理解しなくても構いません。ざっと調べて、「このままで大丈夫と思ってしまう傾向」のことだとわかれば、もうふだんの生活のなかでどんどん使ってみましょう。

これまでなら、「大丈夫と思っちゃうよね」と話していた場面で、「それって正常性バイアスだよね」といえるようになると、ほかの人よりも豊かな語彙がひとつ身についたことになります。

■素読や音読をするだけで語彙力は上がる

むかしは、子どもの頃に論語などの漢文を素読(音読)する教育をしていました。「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」といった文章を、いまでいう小学生くらいの子どもはみんないえたのです。

漢文の素読を小さいうちからやっていたため、むかしの人は、意味はわからずとも語彙がとても多かった。そして、難しくて語彙が豊富な古典を何度も体に入れているので、大人になると本(活字)がより読みやすくなったのです。

いまは、読書する子ども(もちろん大人もですが)がかなり減っているといわれますが、そこには語彙力の低下も一因としてあるでしょう。そんないまの時代に、素読や音読は語彙力を上げるのにいい面があるとわたしは見ています。

太宰治の『走れメロス』などの短編を音読するだけでも、語彙力はかなり上がります。わたしは、かつて子ども向けにいろはかるたをつくり、そこに「メロスは激怒した」などの文章を入れました。すると、3歳くらいの子どもでも、すぐに「激怒」という言葉を覚えて使いこなします。

また、「必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した」などの文章から、「邪知暴虐」もあっさり覚えてしまいます。素読や音読は慣れてくると面白く、語彙が豊かになり、大人にとっては音読するだけでもストレス解消になるので、おすすめしたい語彙力アップ法のひとつです。

■四字熟語や慣用句、漢熟語はまとめてインプット

四字熟語なども、ふだんの会話である程度使いこなせると語彙力があると見られるので、機会を見つけてまとめてインプットすればいいと思います。

仕事でピンチのときに、「やばい、やばい!」というのと、「ああ、これは四面楚歌の状態だ」「まったく孤立無援だよ」と表現するのとでは、後者のほうが、圧倒的に語彙力が豊かであるのはいうまでもありません。ほかにも、「青天の霹靂」「画竜点睛」「針小棒大」など、ふだんの会話でも四字熟語は実は使い勝手がいいので、大量に仕入れておくといいと思います。

慣用句もうまく使いこなせると、使い勝手のいい語彙が増えます。「溜飲が下がる」や「後塵を拝する」などは、日常会話でとても使いやすい言い回しですが、これらも慣用句辞典や慣用句集などでまとめてインプットできます。

わたしは慣用句のほか、漢熟語も高校時代に漢字練習帳のような教材でまとめて覚えた記憶があります。例えば、「畏」というあまり使わない漢字を覚えたことで、神に対して恐れを抱くような意味を含む「畏敬の念」や、恐れかしこまる友人の意味で「畏友」という言葉を使えるようになりました。

■新しい語彙も会話のなかで積極的に使う

いまの時代は、インターネットやSNSを通じて言葉の変化のスピードが速くなり、新しい表現が次々と生まれています。これらの新しく生まれた言葉も、わたしは積極的に使っているほうだと自認しています。

ただし、会話で使う言葉と文章で書く言葉の違いは多いので、新しい言葉を受け入れられるかどうかは、使う人のセンスにもよるでしょう。例えば、「真逆」という言葉は、わたしにはどうも使い勝手がよくない感じがします。話し言葉で使うぶんには口語的な面白さがある表現だと思いますが、文章にしてみると軽くなり過ぎてしまう。やはり、文章では「正反対」にしたほうがいいと感じます。

文章で「〜しちゃって」のような表現はほとんどしませんが、それと同じように、わたしにとって「真逆」は、まだ口語の領域にある感じがするのです。一方、SNSやサイトのコメント欄などでは、「真逆」を使ったほうが適する場合は多いでしょう。

少し前に「エモい」という表現も広まりました。使うかといわれれば、わたしは積極的には使いませんが、語感に含まれる感情やニュアンスが伝わるのも理解できるので、ときに流行り言葉を会話で使ってみるのもいいと思います。

わたしは学生と何十年もかかわっているので、積極的に使おうと思わずとも、自然と彼ら彼女らの言葉に影響されてしまいます。むしろ、言葉が移り過ぎないように気をつけているほどです。

ほかには、時代の変化によって、本来の正しい表現ではない言葉が広まってしまうこともあります。例えば、「的を得る」と聞くと、わたしは気持ち悪く感じてしまいます。的を手に持つわけではないのだから、「的って得るものではないでしょう?」と思ってしまうのです。そうではなく、的は射るもの。このような、どうしても譲れない表現は意外とたくさんあります。

ただし、よくいわれる「ら抜き言葉」については、わたしは今後の主流になっていくのではないかと予測しています。なぜなら、言葉は、短く効率的に使えるほうが残りやすいからです。会話において「食べれる」で済むのなら、「食べられる」よりも「食べれる」のほうが、やがてスタンダードになる可能性は高いのではないでしょうか。

それでも、「ら抜き言葉」が主流になっていくとして、テレビのアナウンサーや言葉を使う職業の方、あるいは誰しも「文章」を書くときには、やはり「ら抜き言葉」にしないように気をつけたほうがいいでしょう。

言葉にはフォーマルなものとカジュアルなものがあり、TPOを間違えると、フォーマルな場にジーンズとサンダルで出かけてしまうような話し方になりかねません。少なくとも、フォーマルとカジュアルの使い分けを意識するだけでも話し方は変わるし、その意味では、フォーマルな言葉の代表である「敬語」を勉強しておくとかなり便利です。

これはフォーマルな服を一着持っていると便利なのと似ていて、フォーマルな言葉はカジュアルな場でも使えるので、大人の語彙力アップは敬語のインプットから入るのもいい手です。

いずれにせよ、新しい言葉や表現は次々と生まれるので、柔軟に取り入れながら、まずは会話のなかで積極的に使ってみるといいと思います。

※今コラムは、『人生を変える「超」会話力』(プレジデント社)より抜粋し構成したものです

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 写真/塚原孝顕