e-Sportsやネット通信のほか、スマートフォンで手軽にできることなどから、プレイしている人も多いコンピュータゲーム。ドットの世界で「勇者が魔王を倒しにいく」「侵略してくる宇宙人から世界を守る」などなど、時をさかのぼればとても歴史の深い、昔からある娯楽の一つです。

  • ファミコンからのゲーマーがボヤくこととは? ※画像はイメージ

一方最近のゲームは技術の進歩により、本当にそんな世界があるんじゃないか、というほどリアリティのあるものがたくさんありますよね。しかしそんな素晴らしさに困ってしまうこともあるようで……、MSX研究所長(@yoshimatsuTUQ)さんの投稿が話題を集めていました。

昔のファミコンあたりのRPGだと「町の人全員に話を聞く」とか普通だったけど、この癖を2000年代以降もやってた人は「町の人の話が進行で変わるたびに全員に聞いて回ってたらゲームが終わらなくなった」とボヤいていた。そらそうだろう。提供された物を全部見るのはもはや不可能だ……。
(@yoshimatsuTUQ)より引用

確かに、昔は技術的な面や容量的な面でも限界があるため、キャラクターとの会話のバリエーションも少なかったと思いますが、最近だとまるで生きているかのようにいろいろなことを話してくれますよね。だから全部見ないと気が済まない! と思っている方にとっては寄り道が多くなり辛いものがあるのかも知れません。

この投稿には「全員に話したくなりますよねwだから僕のプレイ時間いつも100時間超えちゃうのかもしれないけど」「ぼくは全部聞きたい派で平均クリア時間を大幅にオーバーしちゃいます……進行したら最初の町から回って進めての繰り返しで……人生足りなくなりました……」「割と最近それめんどくさいというのはあります(ソシャゲでもストーリー解放しても読まない……というかその余裕がない)」などの意見が。

一つのゲームに時間がかかってしまうことが良いことなのか悪いことなのか、難しいところですね。

また、「看板や何か怪しいものも一通り調べないと気が済まないんですよね」「マップも隅々まで行きたい派なんですが、今やってるゼルダのオープンワールドのやつで死にそうです」などの声も。……気持ちは分かります(笑)。

「それだけゲーム内の世界が広く豊かになったってことですから……」「その昔のファミコンのRPGだと『町人』でしかなかった存在に、最近は名前があって個性があってバックボーンがあって複雑な人間関係があって話す内容も多種多様なので大変ですね」「情報社会だなぁ、一つひとつ見極めて精査していかないとなのに情報量が膨大すぎる」との声も。

もちろんクオリティの高いゲームは素晴らしいですが、娯楽にあふれた現代では一つのゲームにそこまで時間を割けなかったりします。ゲームに限らず、好きなものとは自分が納得のいくやり方で上手に付き合っていきたいですね。