お笑い芸人としてだけではなく、役者としても独自の存在感を発揮しているなだぎ武さん。その広範にわたる表現活動を支える思考に迫ります。

なだぎさんの語るオリジナリティの生み出し方や運を引き寄せるためのコツ、はたまた、正解のない「笑い」という表現に取り組み続けている理由には、わたしたちが日々を生きていくうえでも参考となる興味深い発想が数多くありました。

■前編はこちら:なだぎ武さんに聞く、生きるためのヒント—「嫌なことから逃げてもいい」。自分を直視することから、次の道が見えてくる【前編】

■オリジナリティを得るために、原点を意識する

——まさに、「職人肌」「職人芸」という言葉がふさわしい表現者であるなだぎさんが考える、「芸」についてお聞きします。ご自身の芸にある、「オリジナリティ」についてはどのように考えられていますか?

狙ってオリジナリティを出そうということは、最初ほとんど考えていません。僕自身が好きな笑いのマネから入ることが多いように思います。それこそ、1989年から2001年まで組んでいた「スミス夫人」というコンビで活動していた頃に、当時ではあまりなかった異様に大きな動きのあるツッコミをしていたのですが、そのツッコミの下地になっていたのは、子どもの頃に大好きだったザ・ドリフターズです。

まずドリフでよくやっていた動きを自分なりにマネしてみて、それを繰り返すうちにだんだんとデフォルメされていきます。そこからいろいろなところで披露してお客さんの反応を見ながら調整していくなかで、だんだんと削られていく部分も出てくる。すると、芸が「球体」のように磨かれていく感じです。

——「ある磨き方をしていけばこんな感じのオリジナリティが出てくる」といった、見通しは立っているのでしょうか?

いや、それはありません。先が見えないなかでじっくりと磨いていくうちに、「おまえ、いまのネタおもろいな」みたいなことを誰かがいってくれるようになるわけです。そこまでくれば、「ああ球体に近づいてきたな。自分のものになってきたな」と気づくことができます。

——自分でも仕上がりがわからないなかで磨き続けていくからこそ、独自の世界観が出ていくのでしょうね。

このやり方は、デビュー当初から変わっていません。大阪のNSC(吉本総合芸能学院:8期生)に入って芸人の世界に足を踏み入れたものの、お笑いの素養や才能はまったくなかった。ですから、オリジナリティなんて生み出せるわけがありません。

そこで原点に立ち戻って、自分が面白いと思っていたものからスタートしてみたということです。そのときに真っ先に思い浮かんだのが、ドリフでよく見ていた志村けんさんや加藤茶さんの動きだった。それをマネすることからはじめていくことで、オリジナリティを探っていったという流れです。

——自分の原点に立ち返るというのは、忙しい日々のなかでどうしても忘れがちです。

なにか目標があるけれど、そこにどういったルートでたどり着けばいいかわからないときには、いちど原点に立ち返るというのはいいと思います。そこに至るまでの経緯を振り返ってみて、どんなものに感化されたのかを再確認するんです。そうすることで、なんらかのヒントが見えてくるのではないでしょうか。

■「笑い」とは、正解のない戦い

——お笑いに対する評価というのは、数字で出るものではありません。オーディションやコンテストなら審査員、劇場であれば無数の観客の感性に左右されるものです。そうした不確かな基準で評価されるなかで、辛さを感じることはありますか?

もちろんそれはありますね。でも、この仕事をやっていく限りずっとついてまわるものなんです。当然、何年キャリアを積んでも悩みますし、理由は明確にわからなくても笑いが取れればそのときは嬉しい。逆に、いつもはある程度ウケているのに、理由もわからず滑ることもある。ただ、そういうことがあるから面白いのかもしれません。どんな仕事でもそうですよね? 悩む部分がまったくない仕事では面白くないように感じます。

——「その評価はあなたの主観ではないか?」「単なるあなたの好みではないか?」と考えたくなることは?

「笑い」というのは正解のない仕事ですから、それを言い出しても仕方ないと考えるようにしています。よくほかの芸人とも議論してきたのですが、見る人の感情を動かそうとしたときに、「笑い」というのはもっとも難しいのではないかという結論になるんです。

「喜ぶ」「怒る」「哀しむ」という感情を刺激するパターンっていうのは、見る人による違いは比較的小さいもの。でも、「笑い」のツボは人によって実に様々ですから、300人のお客さんがいたとして、その全員を笑わせるのは不可能なわけです。

そういうある種の割り切りのなかで、「ひとりでも多くの人が笑ってくれれば」と願いながら試行錯誤しています。でも、それがお笑い芸人の仕事であり、面白い部分だととらえています。

——「完璧な結果」ではなくプロセスであり、試行錯誤にやりがいを見出しているのですね。

劇場によってもまるで違いますからね。前の劇場ではは400人が笑ってくれたネタでも、違う劇場では10人すら笑わせられなかったということがあたりまえのように起こります……(苦笑)。そんなときになにがいけなかったのかを考えることこそ、僕は面白いと思っています。正解がない戦いのなかで試行錯誤することが、芸人としての成長につながるのでないでしょうか。

■「運のよさ」とは「アンテナの感度」

——芸人として、役者として、ひとりの表現者としてここまでキャリアを積み重ねてきた背景には、実力のほかになにがあったと感じていますか?

運やタイミングに恵まれていたと思うことはとても多いですよ。NSCに入ったのも、たまたま足を運んだ劇場で吉本興業の広報誌を手に取り募集の広告を目にしたからでした。エンターテインメント全般に興味がありましたから、もしこのとき別のものに触れて感化されていたら、別の道に進んでいた可能性は十分にあります。

そういう経験を重ねてきて、僕は「運のよさ」というのは、「アンテナの感度、鋭さ」ではないかと思うようになりました。普段からいろいろなところに目を向けていると、身近にあったのに気づいていなかったチャンスに出会える確率が上がっていきます。

僕はビジョンを描くのは苦手で直感に頼りがちなところもあるのですが、目指す方向性が少しでも見えたときには、周囲に目を配ってアンテナを張るようにしています。そうすると選択肢が増えていき、そのなかにはいい結果をもたらす選択肢が出てきます。

■金儲けよりも人儲け。自分に居場所を与えてくれるのは「人」

——お笑いを軸として表現をしていくなかで、ひとりのとしてこだわっていきたいポリシーがあれば教えてください。

僕は中学時代にいじめに遭い傷つけられた経験があるので、笑いを通じて人を傷つけることだけはしたくないという考えを持っています。これについては業界全体としての取り組みもあって、芸人の意識はかなり変化してきていますよね。

でも、SNSなどに目を向ければ、あまりに酷い誹謗中傷が乱れ飛んでいます。優しい世界になりつつあるのかと思いきや、そうではないのだと知ると悲しくなりますよね。規制によって徐々に減っていくのでしょうけれど、人を傷つけようという意思は依然、この世にはたくさん存在しているようです。

ただ、規制が目的とは違う影響を与えていることも気になる点です。笑いの世界ではよく用いられる、親しい間柄での愛あるツッコミやいじりみたいなものまでまとめて規制されてしまって、僕らができる表現の幅が狭まっているのは残念です。

文字に起こせばきつい言葉だとしても、実際のやりとりでは愛がこもっているものもあるのに、それができなくなっているのはなんだかおかしいな、と。少し微妙なニュアンスの言葉を表舞台で使ってしまった芸人に対してSNSできつい批判がぶつけられているのを見ると、本末転倒だなと思うこともあります。

人を傷つけない—けれど、愛情のあるいじりは生かす。本当の意味での優しい笑いが増えていくように、笑いと向き合っていきたいですね。

——ある意味で、目をつぶって飛び込んだともいえるこのエンターテインメントの世界で(インタビュー前編を参照)、芸歴30年を超えたいまも表現することに向き合い、取り組み続けています。その最大のモチベーションはどこにありますか?

ずっとどこかで、寂しさがあるのかもしれません。「自分の居場所がほしい」という思いがいつもあるんです。自分の居場所がほしいから必死に仕事をして、人と関わってきた。僕は10代の後半を自分の部屋に引きこもって過ごしたのですが、当時の自分の居場所はあの小さな部屋しかありませんでした。

でも、七転八倒しながら悩み考えていくうちに、「この部屋は自分の居場所ではない」とわかって動き出すことができました。それ以来、外に出て人との関わりをつくることで、自分の本当の居場所を探し続けてきたように思います。

——「本当の居場所」は、誰もどこにあるかわからない。だから、動き続ける。

そうですね。そしてもちろん生活もあるわけですが、「お金儲けしたいのか」といわれれば、残念ながら強くうなずけない自分がいます。もちろんお金はあったらいいけれど……(苦笑)、それ以上に自分に居場所を与えてくれている人とのつながりのほうが大事なのかもしれません。

いってみれば、「金儲けより人儲け」をしたい。そのためにできることが、表現者としてできる芸を頑張り続けることだと理解しています。

■前編はこちら:なだぎ武さんに聞く、生きるためのヒント—「嫌なことから逃げてもいい」。自分を直視することから、次の道が見えてくる【前編】

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/秋山健一郎 写真/石塚雅人