右足を切断した男性とサッカーで結ばれた家族を追ったドキュメンタリー番組『希望のクラッチ ~切断障がい者 そして 家族~』(第30回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品、テレビ静岡制作)が、フジテレビで25日(27:25~28:20)に放送される。

  • 「アンプティサッカー」に挑む若杉幸治さん

静岡県焼津市に住む若杉幸治さんは25歳の時、仕事で大型トラックを運転中、神奈川県内の東名高速道路で交通事故に巻き込まれ、右足を切断した。番組ディレクターは、彼が38歳の時に出会った。

「クラッチ」と呼ばれる杖を支えに、切断障がい者がプレーする「アンプティサッカー」。若杉さんは2014年、メキシコで開かれたワールドカップに出場するため、日本代表候補合宿に参加していた。義手や義足を脱ぎ捨て、激しいプレーを披露する選手たち。その姿は輝いていた。足を失ってもサッカーができる、笑顔になれる場所がある、仲間がいる…、それを身をもって教えてくれた若杉さんを、ディレクターは取材したいと強く感じたという。

取材を進めていくうち、若杉さんにも人生どん底の状態があったと知る。「子供と一緒にサッカーをする」。この夢が一瞬にして消え去ったのだ。事故にあってもこの夢をなんとか実現したい。右足を残そうと挑み続けた手術は、約1年半で20回を超えた。脇腹の筋肉を右足に移植し、動脈をバイパスするため、健康な左足にもメスを入れた。

しかし、右足を切るしかないと決断した時、夢が絶たれた時、若杉さんの心はすさみ、生きる希望を失った。死にたいとさえ考えたという。中途障がい者は自分の障がいを受け止めるまでに時間がかかる。

支える家族にもつらく当たるようになった。その矛先は、特に長男・颯太さんに向けられる。厳しく、理不尽と思える指導も、子供ながらに父のつらさを理解し、背負いこみ、自分なりに消化しながらサッカーを続けてきた。そこには、いつかピッチで父と一緒にボールを蹴りたいという願いがあったからだ。

若杉さんがアンプティサッカーと出会ったのは8年前。80年代、負傷兵のリハビリとしてアメリカで始まったとされるスポーツだが、パラリンピックの正式種目に採用されていない。競技人口は世界50カ国4,500人を超えるが、2010年に伝わった日本はまだ歴史が浅く、全国に9チーム、選手は約100人に留まっている。

それでも、義足を脱ぎ捨てありのままの姿で、ピッチに立つことを選んだ選手たち。このスポーツとの出会い、同じ境遇の仲間との出会いをきっかけに、みな生きがいを取り戻した。それは若杉さんも同じだ。日本代表としてワールドカップに2度出場し、6年前、静岡に発足したチーム「ガネーシャ静岡AFC」の中心的な存在となった。

だが、若杉さんの残された左足は、痛みが日に日に増し始める。このままではピッチに立つことも、歩くことさえも厳しくなる。息子の期待に応えられない…父親として情けなく、ふがいなさに押しつぶされそうだった。

このままでは、父はサッカーをやめてしまう……颯太さんは、父との夢をかなえるため、ガネーシャ静岡AFCのコーチに就任することを決めた。父の復活を信じ、支え続ける家族。そこにはいつもサッカーがあった。

健常者に障がい者が合わせなければならないこの世の中で、障がい者の苦しみを、つらさを、強さを知るために、健常者は何をしなければならないのか。颯太さんはクラッチをはめ、父と同じ立場でピッチに立つことを決めた。障がい者に健常者が追いつく道を選んだ。

新型コロナウイルスが猛威を振るい、多くの命や希望が奪われている今だからこそ、授かった命、生かされた命をいま一度、見つめ直してほしいという思いを込めて制作された同番組。そして、厳しく指導されても父を思い、必死でサッカーを続けてきた息子。突然、片足になった夫にあえて厳しく接する妻…その絆とは。

テレビ静岡の山口順弘ディレクターは「若杉さんと初めて会った時、“足を失ったのになぜこんなにも明るいのか。なぜ、ここまでサッカーに全力で挑めるのか”、疑問とともにすごさを感じました。私も幼い頃からサッカーに情熱を注いできたからこそ、その姿は輝いて見え、いつか追いつきたいと取材を続けました。ある日、若杉さんが語った“子供とサッカーがしたかった”という夢。その思いが強すぎたがために、息子・颯太さんは大変でした。サッカーができないいら立ちからくる理不尽な指導。どれだけ頑張っても褒めてはもらえませんでした。それでも父のつらさを理解し、感謝し続ける颯太さんの姿を、年下ながら尊敬していました。父が所属するチームのコーチに就任した彼は言います。“これが恩返しできるラストチャンス”だと。夫を叱咤(しった)激励する妻は言います。“アンプティサッカーは趣味じゃない。やるなら本気でやれ”と。真の愛情を感じます。サッカーで結ばれた家族、この強い絆をぜひ感じて下さい」と話している。