今も世界中からオーダーを受け、パフォーマンス書道、書道ワークショップを行うなど、ワールドワイドな活躍をみせる武田さんですが、その無限とも思える創作意欲はどこから湧き上がってくるのでしょう。武田さん本人に、「"好き"を仕事にすることの意義」を伺いました。

「楽しむこと」を絶対的な信念として掲げる書道家、武田双雲さん。

その芸術的な作品は多くのファンを魅了して止まず、映画『北の零年』やNHK大河ドラマ『天地人』の題字、スーパーコンピュータ「京」のロゴを手掛けるなど、活動の場は実に多岐に渡ります。しかも、多作なアーティストとしても知られ、直近2年間で創り出した作品はなんと約1000点にも上るとか。

  • アトリエに置かれた作品の数々。最近は色を使った作品も多く手掛けている

今も世界中からオーダーを受け、パフォーマンス書道、書道ワークショップを行うなど、ワールドワイドな活躍をみせる武田さんですが、その無限とも思える創作意欲はどこから湧き上がってくるのでしょう。武田さん本人に、「"好き"を仕事にすることの意義」を伺いました。

■書道家・武田双雲のモットーやルーティンワークとは? 後編はこちら

プロの書道家の存在すら知らなかった学生時代

**――武田さんは、誰よりも「好き」を仕事にしているように見えます。

むしろ、意地でも好きなことしかしません(笑)。小学校の頃からつまらない時間がイヤでした。とにかく、つまらないと思ったら負け。起きている間は一秒たりとも「つまらない」と思いたくないですね。なので、好きなことを仕事にしているというよりも、全部が好きになっちゃうライフスタイルを送っています。

  • インタビューに答える武田双雲さん

――素晴らしいですね。武田さんが今の仕事に就かれた経緯をお聞きしたいのですが、まず、書道はいつ始められたんですか?

3歳くらいからですかね。母が習字の先生だったので、物心がついたころから教わっていました。母が超明るい人だったので、指導は厳しくても苦しさがなかったんですよ。習字中に「おならプッ、プッ!」とか言ってくるので、「プッってなんやねーん!」ってツッコんで。漫才みたいな教室でしたね。

他にも水泳、KUMON、少林寺拳法、ヤマハ音楽教室……と、習い事は毎日のようにありました。習字は得意だったけど、その中のひとつでしかなかったんです。プロになるつもりもなかったし、そもそもプロの書道家なんて、存在すること自体を知りませんでした(笑)。

――進路はどうされたのでしょう?

中学くらいから物理や宇宙にハマって、相対性理論や量子力学にのめり込んでいったんです。習字は趣味程度に続けながら、東京理科大学で情報科学を学びました。それで当時、電話からITへ事業を広げる真っ最中だったNTT東日本に就職しました。

ただ、コンピュータにまったく興味が持てなくて。システムエンジニアのほうに配属されそうになったのですが、どうにか頼み込んで営業にしてもらいました(笑)。

――よく聞き入れてもらえましたね(笑)

僕の場合、大体は相手が諦めてくれるんですよ。学生時代はハンドボールをやっていたんですけど、試合中でも雲に見入っちゃったりするんです。「ホンットにお前は!」って怒鳴られますけど、最終的に「まぁ、こいつだからしょうがないか」って先生が諦めるんです(笑)。あとで知りましたけど、僕はADHD(注意欠陥・多動性障害)なんですよ。

そんな感じだから、バイトも全部クビになりました(笑)。年賀状の仕分けのバイトなんて、3時間でクビですよ。僕は人の字を見るのが好きだから、年賀状に書かれているクセ字に感動しちゃって、一枚一枚じっくり見ちゃうんです。だから作業も全然進まない。雇っている側からしたら、「一番まずいやつが来た……」って感じだったでしょうね(笑)。

「仕事を楽しむための工夫」が人生の転機に

――NTTはつまらなくて辞めたんですか?

いや、辞める気はさらさらなかったです。楽しかったし、2500人の同期の中でも僕が一番笑っていたと思います。

  • 屈託のない笑顔でNTT東日本の社員時代を振り返る武田双雲さん

――何がそんなに楽しかったんですか?

「愚痴ノート」とか作っていました。喫煙所で上司がどんな愚痴を言っていたか、ノートに書いてまとめるのが好きでしたね(笑)。あと、つまらない会議とかもワクワクしちゃいますよね! 「この会議に何の意味があるんですか?」って考えているだけでワクワクするし、実際に聞いちゃったりもしました(笑)。つまらなさそうにする人がいたら、楽しませようとしちゃいますね。

――では、なぜ辞めたのですしょうか?

仕事を楽しむためにいろんな工夫をしていたのですが、そのなかで「メモを筆で書く」ということにもチャレンジしたんですよ。例えば僕が外部から電話を受けて、伝言を預かるとするじゃないですか。その内容をメモにして同僚に渡すとき、その字をめちゃくちゃ綺麗に書いてやろうと硯を買ってきて、筆を用意して、「田中様より、高橋部長にお電話がありました……」なんて書くんです。

僕としてはツッコミ待ちなんですけど、大体「武田さんって変わってるね」で終わり(笑)。でも、他の部署からは「字が綺麗」と評判でした。そんなとき、ある女性社員から「私の名前を書いてほしい」って言われて、何気なく書いたら、その女性がいきなり僕の書いた字を見て泣き出したんです。

――何があったんですか?

何か変なことしちゃったかな、と焦ったんですけど、僕の書いた字を見て、「もともと自分の名前が嫌いだったけど、好きになれそう」って言ってくれたんですよ。そのときに、そのまま辞表を書いて、上司に「辞めます!」って伝えました(笑)。

――辞表? 一体どういうことですか?

僕のなかで何かがほとばしっちゃったんですよね。これまで、人を楽しませることはあっても、喜ばれるようなことはなかったので。字を見て感動してもらったという経験が、僕の人生を変えたんです。

そのときに「名前って、全員が持っているけど、自分の名前を筆で書いてもらった人ってほとんどいないよな」と考えついて、「早く今の仕事を辞めて、ひとりひとりの名前を書きたい!」って思ったんです。

退職、そして独立へ。

――それで実際に退職した、と。

半年くらい慰留の面接を繰り返しましたが、僕が楽しそうに「みんなの名前を書きたいんです!」なんて言うものだから、さすがに向こうも諦めました(笑)。

それで、まずは名刺の名前を筆書きで受注する仕事を始めたんです。IT革命がすごいことになっているのも知っていたので、ホームページを立ち上げれば世界中からオーダー受けられるぞ、と思いました。実際に、すごい数の名前を書きましたね。

  • アトリエに置かれた大量の画材

――書道教室もされていましたよね?

そうです。同時期に書道教室も開いたのですが、チラシを2000枚も作って撒いたのに、全然申し込みの電話が鳴らなくて。「電話が壊れているのかも」と思ってNTTに電話しちゃいましたよ(笑)。ですから、名刺作りで主な収入を得ながら、徐々に書道教室も軌道に乗っていったという流れですね。

筆書きで名刺を作ったり、ストリートで習字したり、授業で海に行って習字を教えたりしているうちに、「なんか面白いことをしているやつがいるぞ」ということで、テレビやメディアへの露出も多くなったんです。

それからイベントに呼ばれたり、個展のお話をもらったり、映画や商品名の文字を書く依頼なんかが増えて今に至ります。

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