2020年11月18日に急性大動脈解離で亡くなった、東映会長の岡田裕介さん(享年71)のお別れの会が10日に行われ、約2,000名が参列した。

  • 吉永小百合

    吉永小百合

東映映画のオープニングシーンの「荒磯に波」をイメージして作られた祭壇には、主なプロデュース作品のポスターも設置された。会場では俳優時代からプロデューサー、東映社長、会長を含めた経営者などの多彩な顔を持つ岡田会長の足跡を表した11分間の映像が流れ、俳優達の言葉や「映画館はなくならない、映画は不滅です」と語る2016年のインタビュー、日本アカデミー賞授賞式の「公平な賞の選定はもとより、日本映画の最大のお祭りとして日本映画が続く限り君臨してほしい」などのスピーチも収録し、一貫して、人を楽しませることの素晴らしさを体現していることに触れられたものに。戒名は東映、裕介の裕、本名の剛を入れた「東裕院殿天山剛映大居士」が授けられた。

会場には阿部寛、石田ゆり子、五木ひろし、岩下志麻、大後寿々花、かたせ梨乃、上川隆也、岸部一徳、北大路欣也、工藤遥、國村隼、笹野高史、佐藤浩市、佐藤友美、里見浩太朗、篠原涼子、笑福亭鶴瓶、竹中直人、舘ひろし、田中義剛、田山涼成、豊川悦司、内藤剛志、中山忍、仲村トオル、名取裕子、西田敏行、橋本マナミ、原日出子、東山紀之、堀内孝雄、萬田久子、三田佳子、松平健、美木良介、水谷豊、森高千里、南野陽子、由紀さおり、柳葉敏郎、吉田栄作、吉永小百合、渡辺裕之と多くの俳優陣が訪れ、その死を悼む。

さらに大森一樹監督、木村大作監督、阪本順治監督、周防正行監督、滝田洋二郎監督、堤幸彦監督、成島出監督、平山秀幸監督、山田洋次監督、行定勲監督、大谷信義氏(松竹 代表取締役会長)、迫本淳一氏(松竹 代表取締役社長)、松岡功氏(東宝 名誉会長)、島谷能成氏(東宝 代表取締役社長)、角川歴彦氏(KADOKAWA 取締役会長)と、映画業界人も続々と訪れた。

俳優陣からは「こんなにも突然岡田会長がお亡くなりになられたことが今でも信じられません」(阿部寛)、「亡くなる3日前、元気で楽しく電話で話していたのに」(小林稔侍)、「亡くなられた日の数日前にお元気な笑顔を見ていただけに、吃驚したという凡庸な言葉しか浮かびませんでした。『こんな寒い中でどんだけ役者を立たせるんだ!』と役者の身体を気遣ってくれた岡田会長の姿が最後になるとは」(佐藤浩市)と、突然の訃報に驚きの言葉も。

また、岡田さんが陣頭指揮を執っていた映画『いのちの停車場』(5月21日公開)主演の吉永小百合は「40年間も、映画づくりをご一緒させていただき、心から感謝して居ります」と心境を表し、同作に出演する広瀬すず、西田敏行も言葉を寄せた。

岡田さんは、1970年に映画『赤頭巾ちゃん気をつけて』で俳優デビュー。その後、『実録三億円事件 時効』(75年)、『吶喊』(76年)、『火宅の人』(86年)などに出演し、プロデューサー業でも手腕を発揮しながら、1988年に東映に入社。東京撮影所長兼第一企画部長を経て、2002年に代表取締役社長に就任。2014年からは東映グループ会長を務めていた。

吉永小百合 コメント

〝裕介さん、今、どちらですか? お元気ですか?〟
大空に向かって、森の奥に向かって、時折声を掛けたくなります。
あまりにも突然で、もうお会いできないという実感が涌かないのです。
でも、現実なのですよね……。
40年間も、映画づくりをご一緒させていただき、心から感謝して居ります。
ありがとう!
本当に、ありがとうございました。

広瀬すず コメント

岡田会長のユーモアなお人柄で楽しい時間を過ごさせて頂いていた直後の事で、
今もなんだか心の中がふわふわしています。私自身なかなか東映作品に参加させて
頂く機会がなく初めてご一緒させて頂き、岡田さんが完成まで楽しみだなぁ、と
おっしゃっていたので、凄く寂しいです。
岡田さん、ゆっくりゆっくり休んで下さい。

西田敏行 コメント

本当に岡田さん、いないんですか?
もしかしたらすぐ傍にいるんじゃないですか。
今でも、後ろから「西やん!」って声をかけられそうな気がします。
先代のお父様は岩のような人でしたが、裕介さんは風のようにそして林のように
涼やかな個性をお持ちで多くの人に愛され、また日本映画を語る上で欠かせない
存在と思います。
岡田さんとの別れを受け入れるにはもう少し時間が欲しいですが、
ひとまずお別れですね。ご冥福をお祈りします。