女優の吉田羊がこのほど、読売テレビ・日本テレビ系ドキュメンタリー番組『吉田羊、プラハ・ウィーンへ ヨーロッパに嫁いだ なでしこ物語』(2月3日15:00~16:25)の取材に都内で応じ、激動の時代を生きた女性に思いを馳せた。

吉田羊

この番組は、今からおよそ120年前、激動のヨーロッパの貴族に嫁ぎ、女手一つで7人の子どもを育てあげ、「汎ヨーロッパの母」と呼ばれるようになった日本人・クーデンホーフ光子の壮絶な人生を紹介するもの。吉田が、ロマンチックな街並みから「中世の宝石箱」とも呼ばれるプラハ(チェコ)や、世界一住みやすい都市と言われているウィーンなど、観光地としても脚光を浴びる華やかな街を巡りながら、光子の人生の足跡をたどっていく。

吉田は「チェコは本当に美しい街で、街全体が映画のセットみたい。どこをとってもフォトジェニックで、ファンタジックな街でした」といい、ウイーンについては「洗練されていて、教育・音楽・美術全ての最先端にある街という雰囲気。チェコとはまた違う感慨に浸り、『光子さんも当時これを感じていたんだろうな』と、行く先々で思う旅だったなと思います」と振り返った。

そんな旅を終えて、光子の印象は「すごく強い女性」。「旦那様への愛ですとか、子供への愛ですとか、自分の守りたい家族がいて、その人たちへの愛が根本にあっての強さなんだと思いました」と、しみじみ語る。

また、「彼女の言葉で『意思があれば成し遂げられないことはない』という意味合いのものがあるんですけど、それは私も常々自分を鼓舞する意味でも信じているので、そういう思いが強く彼女にリンクできるところでした」と共感していたそう。「そういう考えの人間だからこそ、光子さんは今回のナビゲーターに私を選んでくださったのかなという気がしています」と、運命に感じたことを明かした。

光子と同じく、ヨーロッパ貴族との結婚を経験をしたいか?という質問には、「ぜひ飛び込みたいです。日本にいたままではおよそできない人生経験ができるという期待感しかないですね」と前向き。「もし奇特な貴族の方がいっらっしゃって、お会いして、気心が合えば、ぜひお受けしたいと思います(笑)」と、ウェルカムの姿勢を示した。

昨年末に長年所属した事務所との契約を終了し、新たなスタートを切った吉田は、2019年の目標を聞かれると、「散々挫折してきたことを光子さんのように成し遂げたいと思います。英語とフランス語をぜひマスターしたいです」と回答。「お芝居の武器の選択肢の1つに加えたいというのがあります。『この人は英語ペラペラそう』というキャラクターをやってるのに、話せないからということでそのセリフやシーンがカットされるというのは、自分でお芝居や作品が底上げされる可能性を消していってると思うので、武器としてぜひ身につけたいなと思います」と意欲を示した。

光子は1874年、東京・牛込(現在の新宿区)に生まれ、17歳のときに当時オーストリア・ハンガリー帝国の代理公使だったハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵に見初められると、19歳で結婚。西洋人貴族と日本人の初めての国際結婚といわれたシンデレラストーリーだった。

しかし、日本での幸せな暮らしもつかの間、夫に母国から帰還命令が下され、光子は子供をつれて夫の祖国オーストリア・ハンガリー帝国に渡ることに。ところが、ほどなくして夫が病に倒れ急逝。遠い異国で孤立無縁の状態で7人の子どもを女手一つで育てることになった光子は、相続問題や戦争など、さまざまな逆境に翻弄(ほんろう)されながら「黒い瞳の伯爵夫人」と呼ばれ、激動のヨーロッパを生き抜いていく。

吉田は「この番組を見て、明治という時代に海外にわたり、そこで骨を埋める覚悟を決めて、最終的に国際結婚を成功させた人なので、たくさんのことを感じて学んでいただけたらうれしいです。人生を全うしたからこそ、彼女が残してきた言葉はすごく説得力がありますし、『人はどこにいてもいくつからでも成し遂げることができるんだ』というメッセージを受け取っていただけるのではと思ってます」と、見どころを語っている。