――白倉さんご自身が求める人材といいますか、こういう人に入ってきてもらいたいという像はありますか。

すごく客観的な目で見られる人か、もしくはものすごく好きな人。「仮面ライダー」だけに絞ると、平成ライダーって、この「平成ライダー」という言い方自体もそうなんですけれど、昔の作品が「昭和ライダー」だったということを前提として、それに対する"カウンター"として、作られてきたところが初期にはあったんです。

当時東映にいて、『仮面ライダークウガ』を手がけた高寺(成紀)も、そのあとを引き継ぐ形になった私も、昔の、今でいう「昭和ライダー」を見てきている世代なんですよね。それは当時のお客さんのパパたちもそうだった。作り手側も受け手側も、暗黙の了解として、「昭和ライダー」に対するカウンターだとか、ここはリスペクトなんだということを共通認識としてもっていた。そこを踏み台にして、「平成ライダー」というものが初期に立ち上がってきたという経緯がありました。

ただ、それは当然のことながら、長続きするわけでもありません。時代はめぐり、今の視聴者というのは「昭和ライダー」なんかも知らないし、逆に「平成ライダー」の初期に対してどうなんだという方向に、作り手側も視聴者側も意識が切り替わっている。でもそれを繰り返していくと、やっぱり「平成ライダー」というものの中だけで閉じこもってしまう感じがするんですよね。

作り手も含めて我々って、当たり前なんですけれど、「平成ライダー」だけで生きているわけではけっしてないじゃないですか。それはもうどこかで時代というものから隔絶していってしまう。「平成ライダー」が世の中のすべてみたいなものの見方になってしまう。今やっている『ジオウ』なんかは、ある種まさにそうですよね。「平成ライダー」の歴史だけでものを語っているところがある。

(時期について)幸いにしてというわけではないですが、平成が終わり、元号が切り替わるという中で、そこを断ち切っていかなければならないところにきているなというふうに思っています。「昭和ライダー」へのカウンターとして「平成ライダー」というものが立ち上がり、いつしかカウンターでもなんでもなくなって、「平成ライダー」の中に閉じこもりかけているものを、ここでまた一回、ゼロにはできないんでしょうけど、どこかで断ち切って次のステップにいかないといけない。

ざっくりと、"仮面ライダー的なるもの"というものを、仮面ライダーと冠する以上は引き継ぐべきものは引き継がなきゃいけないんですけれど、どこかで棚上げして、ちゃんとこの時代というものの空気を取り入れた、いま作ったり見たりするのにふさわしい番組というものを、この機会に立ち上げていかなくちゃならないのだろうなと。そのために、新しい人、新しい目線が必要だということですよね。

――数多くの平成仮面ライダーシリーズを手がけられた武部直美プロデューサーをはじめ、平成の特撮ヒーロー作品では女性スタッフのみなさんの活躍も際立っています。お話にあった"ものすごく好きな人"というところでも、深く作品を理解されている女性ファンの方がすごく増えている印象があります。

昔の報道だと、子供がバトルを見て、お母さんが役者を見て、みたいな言い方がありましたけれど、そんなこともないですよね。全部ちゃんと見てらっしゃる。男女で見方は違うなと感じることはありますけれど、これもどちらが正しいということはありません。

作り手においても、「平成ライダー」の大立て役者である小林靖子さんだったり、いまの戦隊『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』の脚本を手がける香村純子さんもいらっしゃいます。ちゃんとプロとして仕事をする以上、男女は関係ないと思いますね。女性目線を武器にしているわけではないですし、男だから男の子向けが得意ということがないように、適性は人によるものなんじゃないでしょうか。

今の現場で女性の得なところは、周りがいかんせん男だらけなので、違う視点を持ち込めるところですね。武部は時々そういう武器を使いますから。「全女性の代表として私はここにいる」くらいの、「男どもは黙れ!」みたいなことを言うんですよ。

――キャスティングでもそういったことがあるんですか?

「この人は女性に嫌われる」みたいな。ホントかい!?って思うんですけど。男連中が総出でコイツがいいって推している人間が、あたかも40億人の反対に遭うかのように、3対40億人になっちゃうんですよね。恐ろしいな(笑)。