京浜急行電鉄(京急)が、創立120周年記念事業の一環として「わがまち駅名募集」と題し、「駅名を公募する」と発表した計画が物議をかもしている(公募自体は10月10日で終了)。いくつものメディアで取り上げられ、賛否両論。地名や地域文化に造詣の深い研究者も巻き込んでいるが、あまり肯定的な意見は聞かれない。
もともとは、大師線産業道路駅が立体交差化事業によって地下化され、「産業道路(神奈川県道6号東京大師横浜線)との交差地点」という駅名の由来との関係が薄くなることを機に、改称を計画したことが発端。同時に京急のほかの駅も、小・中学生から改称案を公募して、良いアイデアがあれば2019年春に改称時期とともに発表し、数駅の駅名を改めるとした。
確かに駅名の変更は、単に駅に掲げられた看板を掛け替えればよいというものではない。今日では運転指令や乗車券管理など、コンピュータ上のあらゆるところに使われている名称を変えなければならないため、規模が大きな駅だと、一説には億単位とも言われる莫大な費用がかかる。地元からの改称の要望に基づくものであるなら、地元がその費用を負担することもある。
そして、一駅変えねばならないのなら、段階的に駅名変更するよりも複数の駅名を同時に変えた方が経費も手間も軽減され、企業としてのメリットは大きい。長崎電気軌道(長崎市の市内電車)が、この8月1日に一挙に13停留所の名称を変更し話題となったが、それも同じ理由による。
物議をかもす、駅名改称計画
しかし京急は、旧東海道沿いや三浦半島など長い歴史と深い文化をもった地域を走っている鉄道だけに、それぞれの駅名にもさまざまないわれがある。まず、慣れ親しんだ駅名を変えることに対する、地域住民=京急利用客の抵抗感は強いだろう。
ましてや「難読駅名」とされた駅(プレスリリースでは「読みかた等が難しくお客さまにご不便をおかけしている駅」)を対象に、「わかりやすく変える」とも伝えられたことが、住民の反発を呼びそうだ。雑色(ぞうしき)、追浜(おっぱま)、逸見(へみ)などが念頭にあると思われる。
インターネット時代以前なら、難読駅名はクイズの題材にでもなろう。けれども、今や手元のスマホからいくらでも情報が引き出せる時代である。
例えば雑色は、平安時代に天皇の雑用をした見習い役人のことが"雑色"と呼ばれ、それが村名、ひいては1901年開業の駅名となったところ。現在の住所は大田区仲六郷だが、明治以降の合併の結果であるし、もし100年以上続いた駅名を「わかりにくい」という理由から変えるとしたら、地域住民のアイデンティティに配慮した上でなければならないだろう。
アイデンティティの否定にならないか?
「名前」というものは、アイデンティティそのものだ。例えば名字。日本では結婚する女性の9割が男性側の姓に変えるとされているが、そこに葛藤はないだろうか。地方自治体の「平成の大合併」はまだ記憶に新しいだろうが、自治体名をどうするのか、甲論乙駁(こうろんおつばく:議論がまとまらない様)でなかなかまとまらなかった事例が各所に見られた。「××という新市名は了承するが、○○というわが町の名も残せ」という論は根強く、××市○○(○○が旧市町村名)といった地名が、全国で無数に生まれている。
駅名は鉄道会社の私物ではなく、公共物であるという考え方もある。例えば、××銀行○○駅前支店という名称はふつうにある。○○という駅名が変更となれば、この銀行支店も改称を余儀なくされる。私企業に限らず、バス停や交番などの公共施設やマンションなどにも影響が及ぶ。
また、鉄道と深くつながった生活を送っている地域住民にとっては「○○の住民」であるということが、自分たちのアイデンティティともなる。地名が変わっても駅名はなかなか変わらないことの良き例が、先述の雑色駅などだ。
中には、地名どころか駅名の由来である施設が消滅しても、駅名が変わらないもしくは変えられないという例すらある。小田急向ヶ丘遊園駅は同名の遊園地にちなむが、2002年に閉園した後も駅名はそのまま。もはや遊園地があろうがなかろうが関係なく、地域名として「遊園」が定着しているためである。
さらに、品川や横浜などの他社線接続駅のほか、公共施設、神社仏閣といった史跡等、生麦駅など歴史的事象が起こった場所の最寄り駅として広く認知されている駅は改称対象としないとなっている。生麦事件は日本史上、広く知られた出来事であるが、では改称対象駅との間の「線引き」はどのように成されたか。やはり、日本の存続を危うくする事件が起こった場所の近くの駅として、存在感を残しておきたいのだろう。
こうしたことを考えると、鉄道サイドの一存で駅名を変えられないのが予想できる。どんな鉄道会社でも地域密着の逆、「地域との乖離」を起こしてしまっては事業として成立しないからだ。特に日本の大手私鉄は、多彩な関連事業を展開していることもあって、「○○沿線」という意識が沿線住民や利用客の間では強い。地域の意に染まない改称が実施されてしまった場合、企業イメージの低下が非常に心配される。
企業のイメージにも影響するので慎重な対応を
産業道路駅の場合、由来である産業道路は大田区大森東二丁目から横浜市鶴見区生麦まで続く。10km以上ある道路であるから、いろいろな地域にまたがっており、単に京急の駅周辺のアイデンティティとはなりにくい。改称案としては、駅周辺の地域名である「大師河原」が挙げられているようだ。ただし、周囲には「産業道路駅前店」を名乗る商店もある。
しかし、地域からの駅名改称の要望も聞かれないのに、まるでプレゼントキャンペーンのように駅名を募ったのはいかがなものだろうか。京急では近年、「赤い電車」の伝統とイメージを守るために、ステンレス製の電車を塗装した(素材の特質からすれば無用の施策)という事例もある。伝統や歴史、文化を重視する姿勢を打ち出したばかりであるのに、駅名改称計画はこれと矛盾してはいないか。企業としてのアイデンティティが疑われることは、決して得策ではない。
利用客が「駅に親しみやすいように」「沿線の活性化につながるように」という意図が、この計画にはある。しかし、逆効果があっては元も子もない。近年、同社は駅名を使って、「三崎マグロ駅(三崎口駅と三崎のマグロから)」や、「北斗の拳」など人気がある作品とのタイアップで、さまざまな"遊び"を展開してきた。今回の計画もその流れに沿ったものと考えられるが、期間限定のものではなく、駅名を改称するとなると恒久的な施策だ。
京急鶴見駅のように「京三製作所本社」と、カッコ書きで副駅名をつけた駅もある。公募の結果はわからないが、こうした副駅名としての対応が、関の山ではないかと思われる。
果たして京急がどのような対応をするのか、見守りたい。
(土屋武之)






