ついに、きょう22日(21:00~)に最終回を迎えるフジテレビ系バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』。30年以上続く長寿シリーズが幕を下ろすことになるが、3月21日にはその歴史が詰まったDVD『とんねるずのみなさんのおかげでBOX』が発売され、4月16日からは新番組『石橋貴明のたいむとんねる』がスタートする。

そこで、『―みなさんのおかげでした』に関わってきた2人の歴代プロデューサーに、番組の裏話やとんねるずとのエピソードをインタビュー。現チーフプロデューサーでフジテレビの太田一平氏には最終回を迎えるにあたっての心境、元プロデューサーで共同テレビの関卓也氏にはDVDと新番組の見どころも伺った――。

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    関卓也氏(左)と太田一平氏

――『とんねるずのみなさんのおかげでした』の担当はどれくらいの期間になるのですか?

太田:僕は関さんがプロデューサーの時代にディレクターで入りました。当時は「ネタラロワイヤル」をやってた頃で、「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が始まった直後だと思います。大変ありがたいことにあっという間に15 年近く担当させていただいております。

関:僕は2000年から2006年まで。最初の1年はディレクターをやっていました。

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    とんねるずの石橋貴明(左)と木梨憲武

打ち合わせをしても無駄(笑)

――とんねるずさんとの印象に残っているエピソードはありますか?

関:とんねるずのお2人は、打ち合わせをしても無駄なんだっていうことを学びました(笑)。楽屋で直前に起きていることが一番の新鮮な話題なので、打ち合わせとかもあんまりされないんですよ。そういった瞬発力は、本当に勉強になりました。

太田:僕が印象深かったのは、2011年に東日本大震災が起こった時、翌日のお昼すぎくらいに石橋さんから電話がかかってきて、「俺たちになにかできることはないかな」とお話しされたんです。その時におっしゃっていたのは、昔、とんねるずさんが関西テレビでやってらした『ハンマープライス』みたいな形で、何か力になれないかと。そしたら、その30分後くらいに、木梨さんからも全く同じ内容の電話をいただいたんです。これは絶対にお2人の思いを何としても届けなればと思いました。すごく印象に残っています。

――『ハンマープライス』はオークションの収益金を阪神・淡路大震災のために寄付していましたよね。番組ではいろんな企画やコーナーがありましたが、思い入れのあるものは何ですか?

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関卓也
1967年生まれ、東京都出身、慶應義塾大学卒業後、91年にフジテレビジョン入社。スポーツ、ドラマ、バラエティを担当し、『とんねるずのみなさんのおかげでした』は00年から06年まで担当。15年から共同テレビジョンに出向し、18年4月から『石橋貴明のたいむとんねる』を担当。

関:脳カベは相当ヒットしましたよね。あと、『細かすぎて―』が始まった時、僕はここまですごいキラーコンテンツになるなんて思ってもいなかったんですけど、最初の収録が終わった時に、木梨さんがカツラを外しながら「これ、面白い」とおっしゃっていたのをすごく覚えています。

――『細かすぎて―』はどのように誕生したんですか?

関:あれは、放送作家の小川浩之さんのアイデアですね。

――最初の頃って、コージー冨田さんとか、"細かすぎても伝わった人"は穴に落ちないこともありましたよね。

太田:長くやっていると、コーナーがバージョンアップしていくんですよね。「モジモジくん」も、オールドスタイルの黒の全身タイツが「―HYPER」になって一時期シルバーに変わったり。1人のディレクターがずっと作ってるわけではないので、最初の理念を踏襲しながら、グレードアップさせていくことも、長く番組を続けていく中での面白いところだなと思います。「食わず嫌い王決定戦」も、セットを季節ごとにリニューアルしてますからね。

ヤンチャな企画で怒られたことは…

――『みなさん』と言えば、ヤンチャな企画が多いですよね。「きたなトラン」なんて、お店の人から怒られることもあったんじゃないですか?

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太田一平
1971年生まれ、長崎県出身。早稲田大学卒業後、95年にフジテレビジョン入社。営業局をへてバラエティ制作に異動後、『ミュージックフェア』やTOKIO、V6の番組などをへて03年から『とんねるずのみなさんのおかげでした』にディレクターで入り、プロデューサー、チーフプロデューサー。

太田:実は、あのコーナーでお店と揉めたことはほぼ皆無なんですよ。制作マンとしては「汚い店」という体で紹介しなければいけないので、お店との交渉は一番困難な仕事。ご協力いただいたお店に対してウソはつけないので、「そこか面白いんです」って納得していただけるお店じゃないとご紹介できないですからね。だから、10軒、20軒回って、やっと1軒OKが出るレベルなので、あれは本当にADさんの足の賜物なんです。一時期どんどんADが太っていくということがあって、自転車を買ってあげてもすぐ壊れたり(笑)。ゲストの方も面白がってくれて、ありがたいことにあのコーナーに出たいという方が結構いらっしゃって、ロケに行ける店のスタンバイが追いつかないくらいの状況だったので、もう関東では行ってないお店がないくらいでしたね。

関:共同テレビの『孤独のグルメ』のプロデューサーが、この店は良さそうだなってところに入ると、必ず先に「きたなトラン」で紹介されてるって言ってました(笑)

――「買う」シリーズは、芸人さんたちも相当こたえてたんですか?

太田:旅先で欲しいものを見つけて、多少値がはっても周囲の友達からの「いいじゃんいいじゃん、買っちゃいなよ!」みたいなノリってあるじゃないですか。基本的にはあれなんですよ。事前にリサーチして、車を買おうと思ってる人がいるとなったら、形式はドッキリですけど、それを買ってもらおうという感じですね。一部例外はありますけど(笑)。実は、スタッフも買うことがあるんですよ。ロケがうまく行って、テンション上がって買う予定がなかった腕時計を購入してたり(笑)

――「買う」のオープニングタイトルで、太田さんは毎回ナレーションで「一平が~」とイジられていましたよね。

太田:あれは、僕らの会議の空気で、ディレクターのマッコイ斎藤氏にイジってもらってた感じですね。僕は立場上、VTRをチェックしなきゃいけないんですけど、あの部分だけはチェックしなかったです(笑)。で、1回放送倫理上マズいことを言ってて、怒られたこともありました(笑)。会議の空気と言えば、長い間部屋にこもって甘いものが欲しくなった時に、買いに行く人をジャンケンで決めようってなったんですけど、「みんな番組が好きだから、勝った人が買うのがいいじゃないか」という話をしてジャンケンをしたら面白かったんですよ。それが「男気ジャンケン」の始まりです。