タレントのビートたけしが、10日放送のフジテレビ系大型特番『FNS27時間テレビ にほんのれきし』内のコーナー「池上彰が見た! たけしと戦後ニッポン」で、自身が起こしたバイク事故を振り返った。

ビートたけし

1994年に原付バイクで事故を起こし、重傷を負ったたけしだが、事故後に病院のベットで目を覚ました瞬間がある種のトラウマになっているそう。「いまだに悪夢は続くんだけど、朝起きたときに目をそーっと開けるの。事故から回復して、映画撮って賞もらったり、またいろいろ仕事しているのが、病院のベットの上で見た夢であって、目が覚めたときにまた『事故です』って言われるのが、本当に怖いの」と心境を吐露した。

また、ジャーナリストの池上彰に「あの時に、あれは自殺を図ったんじゃないかとか、死んでも構わないと思って突っ込んだんじゃないかとか、いろいろ言われましたけど」と振られると、たけしは「それがすごい気になるんですよ。『俺やったかなぁ』って」と回答。

「仕事の調子が悪くて落ち込んで、『俺もう才能終わってんのかなぁ』って言ってて、友達に『酒で愚痴が多くなってる』って言われたんですよ。そうすると、なんでバイク買ったのかって感じがあるんです。だから、もしかして、自分で(突っ込んで)行ったのかなという気も、しないでもない。ちょっと怖いね」と話した。

当時たけしは、映画監督としての評価を意識していたそうで、初監督作品『その男、凶暴につき』(89年)で「まあまあの評価を受けた」というが、「何作かやってるうちに、完全に落ち込むような映画が撮れちゃうのよ」と告白した。

それが、事故の前年に公開された『ソナチネ』(93年)で、「ヨーロッパじゃずいぶん賞もらった映画が、日本では2週間で打ち切りになるくらいのセンスの違いがあって、『無駄遣いして』とか『大赤字』とか(雑誌に)書かれて、それの落ち込みもバイク事故(の要因)にあるのかなと思ったね」と分析。たけしはその後、初のコメディ映画『みんな~やってるか!』(95年)を監督したが、「今思えば、こんな映画撮ってるのおかしいなっていう感じもあるね。行き詰まって、なんかあったのかなと思うよね」と推測した。

そんなバイク事故をへて、たけしは「死に対する恐怖が完全になくなりましたね。1回死んでるから命もらったんで、もう病気になろうが何しようが受け止めるし、無駄な抵抗はしない。あと、芸能でいい仕事するもしないも、やるだけはやるけど、結果は別にそんな期待しない」と精神的な変化があったそう。

今回の『27時間テレビ』でタッグを組む関ジャニ∞の村上信五に「今、一番怖いことってなんですか?」と聞かれると、「いろんな番組やってるけど、自分の才能がないのに気が付かず、やってることがあるとしたら、それが一番怖い」と本音を語った。

そうした精神面の一方で「もう記憶力は良い」と言って、村上を「中居くん!」と呼び、「散々(一緒に27時間)やってきたでしょ!」とツッコまれる場面も。池上には「露木(茂)さん」と話しかけてスタジオを爆笑させ、村上は「まだまだ働くでこの人!」と感心していた。