孫正義育英財団主催の特別対談イベント「未来を創る若者たちへ」が2月10日、東京都・水天宮にて行われた。イベントは、同財団代表理事である孫正義氏のスピーチを皮切りに、副代表理事の山中伸弥氏、理事の五神真氏、評議員の羽生善治氏が加わり、ディスカッションが行われた。
シンギュラリティの時代を前に人間の知能を活かしてほしい
孫正義育英財団は、今後大きく変化する世界における新世代のリーダーを支援することを目的に、活動の場の提供や海外留学などの学費支援、新たなテクノロジー分野への助成などを行うもので、2016年12月15日に設立された。
イベント冒頭では「財団設立への思い」として、同財団の代表理事で、ソフトバンクグループ代表の孫正義氏が登壇した。
コンピュータが人間の知能を遥かに超える時代が来ると語りかけた孫氏は、10代でアメリカに留学した際の体験を紹介した。当時、手に取ったサイエンス雑誌でマイクロコンピュータのチップの拡大写真を見て、「人間がやるべき仕事、知能はコンピュータに置き換えられていく。そうすると我々の将来はどうなるのだろう」と考えたそうだ。
「彼らに知能的に支配されるのか。そういうわけにもいかない。人間も頑張らなければならないという意味で、私は人間の知能のなかで、最も優れた潜在能力を持っている人たちに、ぜひいろいろな意味で考えてほしいと思っています。考え抜いて、人類の将来の役に立ってほしい。そういう意味でこの財団を作りました」
悩み、考え、努力して「多くの人の役に立ってほしい」
スピーチ後には「未来を創る若者たちへ」と題して、京都大学iPS細胞研究所所長/教授で米国グラッドストーン研究所上席研究員兼務の山中伸弥氏、東京大学第30代総長の五神真氏、将棋棋士の羽生善治氏が加わり、それぞれの道を選んだ理由などを語り合った。
最初に孫氏から、「いつ頃から今の自分の人生を選ぼうと思ったか」の質問が登壇者に投げかけられた。
山中氏「研究者になろうと思ったのは20代後半です。医学部を卒業して整形外科医になったのですが、臨床だけでは考え方が偏ってしまうのではないか、治せない部分もあるのではないかと気づき、大学院に入りました。運命を決めたのは最初の実験です。簡単な実験なのに、結果が予想と正反対になり、ものすごく興奮し、自分は研究者に向いていると思いました」
五神氏「小さい頃は近所に住んでいた彫刻家のアトリエで、よく彫刻を作っていましたが、中高生の頃に、自分は彫刻では食べられないと気づきました。その頃、アマチュア無線をきっかけに、物理現象にも興味を持ちました。大学では物理や数学をやりたかったのですが、社会から取り残されるのではないかという不安がありました。しかし、先生に相談したところ『本当に新しいことなら必ず役に立つ』と言われ、大学2年生でレーザーの研究をするために研究室に入りました」
羽生氏「最初に将棋に出会ったのは6歳の時です。野球やサッカーと同じ遊びの一つでした。地元の道場に入り、初めて勝ったときに『面白い』と思って、それから熱中して続けていきました。プロになったのは中学3年生。プロのタイトルは夜遅くなるため、始発くらいの電車で帰るのですが、通勤通学の方と反対方向に進んでいる自分に、『完全に道を踏み外した』と痛感しました」
孫氏「自分の人生を振り返って、快感を味わったときが転換点となった人は多いと思います。ここには優れた知恵と能力のある人が来ていると思いますが、自分自身よりも多くの人、100年後200年後の人にまで感謝されるときに、一番喜びを感じられると覚えてもらいたいです」
また、これからの世界に関するそれぞれの見解も披露された。
山中氏「地球はあるときまで恐竜が支配していましたが、そうではなくなりました。同じことが人類に起きないかが心配です。SFの世界にしかなかったことが今はできる。人類が(それらを)どう使うかで、素晴らしい社会になるか、大変な社会になるかは変わります」
五神氏「人は人との関わりのなかで、頭脳を鍛えてきました。それを忘れずに、良い社会を作ることは可能だと思います。だから、知の活動を諦めずに続けることが大切です。同じ世代の仲間たちとの共感や、今の変化に耐えうる知力を蓄えることです」
羽生氏「オックスフォード未来研究所が発表したレポートの一つに、人類が抱える12のリスク(人類滅亡の12のリスク)がありました。その1つであるAIは、技術がものすごく進めば、残りの11の脅威を解決しうるポテンシャルがあるということでした。どうデザインして活用するかは人間の選択なので、若い人の感性でデザインしてほしいです」
最後は孫氏が会場に向けて、「大いに悩んで、大いに考えて、大いに努力して、多くの人に役立ってほしいと思います」というメッセージを送り、イベントは幕を閉じた。