資生堂 経営戦略部 未来創造局 熊坂友貴マネージャー

資生堂は2017年、JPホールディングスとの合弁会社を設立し、事業所内保育所の運営や、保育サービスの付加価値創造に本格的に動き出す。同社によれば、"企業が持つ保育所だからこそ"実現できる保育の形もあるという。

その内容について、事業立ち上げの中心となっている資生堂 経営戦略部 未来創造局 熊坂友貴マネージャーに聞いた。

こどもの先にいる親にも価値ある保育を

――化粧品からは、かけ離れた分野への進出、社内外の反応はいかがでしたか?

まず社内からは、「なぜ資生堂が保育事業をやるのか」という意義を問われ続けました。取り組んだことのない領域に踏み込むことへの整理と覚悟が必要だったからです。

しかし、その背景説明を丁寧に行うことで、保育事業に取り組むことへの理解は深まりました。 資生堂は"女性の一生を共に歩むライフパートーナー"として、化粧品を中心としたさまざまなサービスをお客さまに提供してきたのですが、いまや、化粧品だけでは女性に寄り添うことができないと考えています。

その中で出てきたのが、「保育」を通じた寄り添いです。

男性、女性、共に働きながらこどもを育てる共働き世帯が増え続ける中で、これからの保育のあり方を提案していくことは、女性が働く環境はもちろん、何よりこどもの育ちを支える上で、必要なことですよね。

一方で、保育サービスの付加価値創造に取り組むことについて、社外の方の中には、理解を示していただけた方も数多くいらっしゃいました。むしろ、「もっと早く始めてもよかったのに」という声すらありました。これまで、事業所内保育所の「カンガルーム」など、女性活躍に取り組んできた姿勢などが背景にあると思います。

――JPホールディングスと手を組んだ理由は?

JPホールディングスさんは、長年にわたって認可保育所を運営されているので、徹底した安心・安全の保育運営実績があります。その一方で、「こどもの先にいる、親、祖父母に対して何か価値をつくりたい」という想いを持っていることを知りました。

資生堂は保育運営ノウハウこそないものの、早期からの女性活躍の取り組みや、子育て中の社員の仕事と子育ての両立に奮闘する姿を見てきた歴史、そして、化粧を通じて心が豊かになるための、さまざまな知見があります。

両社が手を組むことで、こどもの育ちと、仕事と子育てを両立する保護者ら双方にとっての新しい保育の形を提案できるのではないかと考えました。

事業所内保育所だからこそ、産前期から寄り添える

――資生堂の研究知見が、具体的にはどのように保育に役立つのですか?

資生堂は「感性・感覚研究」というものを行っていて、人が何かに触れた時に、その感覚を数値化するなどの技術を持っています。このような技術を赤ちゃんの行動研究にいかし、例えば、赤ちゃんが夢中になれる遊びの開発など、新たな知見を見いだすことができるのではないかと思っています。

また、保育の世界における子育ての"通説"について科学的根拠とともに評価し、保育士の現場での活動や、保護者の日々の子育てに還元していくなどの取り組みが、OECD諸国と比較すると不足していることも知りました。

情報過多な時代だからこそ、科学的根拠を伴う情報を発信していくことは、子育てにまつわる女性の"不安"を軽減することにもつながるかもしれません。女性がこどもを育てながら安心して働いたり、自分らしく生活を送ったりするためにも、そのような研究や情報発信は、必要なことであると考えています。

――実際の保育所の取り組みとしては、どういったものを想定されていますか?

今まさに構築中なので、多くはお答えできませんが、コンセプトは「産前期から寄り添う事業所内保育所」です。

一般的な保育所のサービスは、産後・育児休業明けに寄り添うものですが、事業所内保育所は、企業の中にある保育所であるからこそ、企業で働いている妊娠中の女性に対しての、寄り添いも可能です。

資生堂では過去の歴史から、働く女性の子育ての困難度がピークに達する最初の山場は「妊娠期」であると考えています。子どもが生まれた後からではなく、生まれる前から働く女性の"ココロ"と"カラダ"を何かしらの形でサポートできればと思っています。

そして、事業所内保育所は唯一、その企業の「働き方」と「保育」の両方にアプローチできる存在だとも思っています。ですので"こどもの育ち"にしわ寄せがいかない「大人の生活リズム」づくりなどにも、重点を置いていきたいです。

現に、日本のこども(3歳以下)の平均睡眠時間は、世界と比較して最も少ないというデータもあるそうです。おそらく、企業に根付いている長時間労働も背景にあるのではないかと思っています。こどもを真ん中にした社会や企業の生活リズム改善に、企業さまと一緒に取り組みたいと考えています。

――保育所が入る企業自体も、やる気になってもらうことが必要そうですね。

そうですね。最終的には、企業さまと我々とが共に同じ志を持ってお取組みさせていただきたいです。だからこそ、我々が提案する内容が何を解決しようとしているのかを、明確にしなければならないと思っています。

例えば、企業の生活リズムを改善するとなると、主には人事部のみなさんとの連携が必要となってくるケースがあるでしょう。しかし、"連携しましょう"と口で言うのは簡単ですが、実際にやるのは難しいことが多いはずです。

そんな時は、早期の段階からの女性活躍風土づくりや、事業所内保育所の設置など、先進的な試みを行ってきた弊社の歴史もヒントにしながら、取り組みたいと思います。

「生活者実感」を忘れずに

「社会や生活者が困っていることは何なのかを常にウォッチしていきたい」と語る熊坂さん

――熊坂さんは、この事業を始めるにあたり、日本各地の子育て支援の取り組みを視察されたそうですね。

正直、保育のビジネスについては、全く分からなかったですし、ゼロからのスタートだったので、こども向けのアクティビティを開催しているところや、産後ケアに力を入れている施設などに、直接アポイントメントを入れて、ヒアリングを重ねました。そこでは、使命感を持って社会を良くしていこうと活動している人たちにたくさん出会い、こんなに夢のある、責任感のある仕事はないなと感じましたね。

その際に聞いた、「大切に育てられたこどもは社会を大切にします」という保育士さんの言葉に、私は動かされました。これはしっかりやらないといけない、こどものために、大人がしっかりしないといけないと思いました。

日本の労働力人口の大半を占める企業で子育てに関する風土が変わるだけでも、社会にムーブメントは起こせると考えています。そう考えると、まずは事業所内保育所を持っている企業さまが動くことは、とても社会的に価値のあることだと思っています。

――今後、保育所の受託予定はありますか?

11月に合弁会社として資生堂から受託する形で、掛川工場(静岡県)に保育所を開設する予定です。ただ、それまでに他の企業さまから保育所の運営委託のお話があれば、その準備もしていきたいです。

――実際に、依頼はあるのですか?

具体的なことはまだ申し上げられませんが、反響は大きいと感じています。事業参入の発表時点では、具体的な保育の内容をお伝えできなかったこともあり、依頼ではなく現時点では問い合わせが多いです。また、ビジネスを一緒にやりませんかとか、一緒に研究しませんか、というお誘いもあります。いずれにせよ、多くの方々から私たちの志や着眼点に共感していただけているような感覚はあります。

――これから事業を展開していくにあたって、熊坂さん自身が大切にしたいと考えていることはありますか?

わが家には1歳半になる息子がいて、働く妻と協力しながら子育てをしています。そういった立場で感じる「生活者目線」は、もちろん大切にしたいです。しかし一方で私は、息子が2歳になったとき、または第2子が誕生したときの生活リズムを知りません。

ですので、自らの生活者目線を大事にしながらも、保育の新たな価値を創造していく者として、「社会や生活者が困っていることは何なのか」を常にウォッチしていくアンテナを張り巡らしていたいです。

これまでの営業職の経験や、男性化粧品、女性向けのメーキャップ、それにスキンケアのマーケティングなどを担当してきた経験もいかしながら、枠にとらわれることなく、今回の事業コンセプトを着実に実行していきたいと考えています。