ママになってもバリバリと仕事をこなす女性は増えてきている

まだまだ不十分とはいえ、社会や企業の支援も多少は整備され、子どもができてもバリバリ働くことのできる女性が増えてきました。パパや祖父母に子どもをお願いしてお酒の付き合いにも積極的。そんな女性は、昔の母親像にとらわれることなく自分を大切にしているママとして、キラキラ輝いている憧れの対象と思う女性も多いのではないでしょうか。

ですが、いざ子育てとなると、ごはんの食べこぼし、落書き、夜泣きという"できる自分"とかけ離れた未熟な存在である子どもに振り舞わされていることもしばしば。そして、思わず出てしまう言葉が「どうしておりこうさんにできないの? 」。そんな経験が「あるある」とうなずいてしまった人も少なくないことでしょう。

しかし、自分はやりたい仕事もして、自分らしく自由に生きているのに、どうして子どもには個性ではなく、「おりこうさん」を求めてしまうのでしょうか。

ママにとっての子ども、それは自分自身

親であれば誰しも、子どもは個性的でありながら、かつ"立派"に成長してほしいと望むものです。それ自体は別に悪いことではないでしょう。ですが、過剰にそれを期待するようになるのと、問題が生じてきます。たとえそれが、子どもにはちゃんとした大人として成長してほしいという愛情から、「こうしてはダメ! 」「これにしなさい! 」と教育しているつもりでも、子どもからすれば、自分は拒否されているんだということになります。

言い換えると、今の子どもの状況に満足していないからこそ、あれこれ言ってしまうわけです。かといって、何も教育しないのもよくありません。

人には、発達課題というものがあります。その年齢でできなければいけない課題があるのです。それができるように教育する必要はあります。

しかし、どうして自分らしく自由に生きているママが、子どもには個性ではなく、おりこうさんを求めてしまうのか。これは、母と娘の関係で特にあてはまるのですが、ママは子どもを自分自身とみなしているのです。

ママにとって子どもは自分そのもの。ママができることは、子どもにも期待するし、それ以上のことも期待するのです。ママ自身が完璧だからこそ、子どもにも完璧を求めてしまうんですね。その背景には、子どもの人生に介入していきたいという希望、子どもを自分の理解者だとする気持ち、子どもと自分とは一心同体のものであるという気持ちの存在が影響していると思います。

つまり、ママと子どもの心理的距離が近いことで、ママと子どもとの境界が曖昧になり、子どもの人生に対して支配的に関与することになるわけです。そして、それが結果として、できる自分を子どもに投影して、おりこうさんを子どもに求めてしまうわけです。お利口さんを子どもに求めて、教育上いい結果はありません。反発して反抗するか、表向きはおりこうさんを演じて闇を抱えるか。そして、ママ自身も子育てに対して悩み、「子どもなんて産むんじゃなかった」「仕事に生きるべきだった」と病んでしまうようになるかも知れません。

子育てって、本当に難しいと思います。

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著者プロフィール

平松隆円
化粧心理学者 / 大学教員
1980年滋賀県生まれ。2008年世界でも類をみない化粧研究で博士(教育学)の学位を取得。京都大学研究員、国際日本文化研究センター講師、チュラロンコーン大学講師などを歴任。専門は、化粧心理学や化粧文化論など。魅力や男女の恋ゴコロに関する心理に詳しい。
現在は、生活の拠点をバンコクに移し、日本と往復しながら、大学の講義のみならず、テレビ、雑誌、講演会などの仕事を行う。主著は「化粧にみる日本文化」「黒髪と美女の日本史」(共に水曜社)など。