1985年のデビュー曲『卒業』から、ちょうど30年。ドラマ『スケバン刑事』のエンディング曲『白い炎』、アニメ『めぞん一刻』のオープニング曲『悲しみよこんにちは』、井上陽水の名曲をカバーした『夢の中へ』などのヒット曲を持つ斉藤由貴が、記念すべき年にリリースしたのは、何とジャズスタンダードだった。今、なぜこのジャンルを選んだのだろうか?
一方、"女優・斉藤由貴"としても『スケバン刑事』『はね駒』『はいすくーる落書』などの主演作を重ね、近年は『ごめんね青春!』のシスター校長役や、『信長のシェフ』の濃姫役など、個性的なキャラの熱演で存在感を示している。
デビュー当時から、透明感とミステリアスな雰囲気を醸し出してきた斉藤は、今どんな心境で歌手業と女優業を両立させているのか? 前・後編の2回わたってインタビューしていく。まず前編は、"歌手・斉藤由貴"の歴史と現在に迫る。
泡ぶくの『初戀』から重量のある愛へ
なぜ記念すべき30周年のアルバム『ETERNITY』にジャズスタンダードを選んだのかを尋ねると、拍子抜けするくらいあっさりとした言葉が返ってきた。
「デビュー当時のマネージャーだった市村朝一さんが、ある日スマホを出して『僕、最近こういうの聞くとすごく染みるんだよね』って言うんですよ。昨年は夏から年末にかけて殺人的な忙しさだったので、『詩を書くとか無理よ』という気持ちがあったのですが、そういう私のスケジュールを考えてくれた面もあるだろうし、30年前から私を見て育ててくれた人なので、異を唱える必要もなく『はい』って言いました(笑)」。
こちら側の「さぞ思い入れがあるのだろう」「どんな意図があるの?」という期待感もおかまいなし。素直で飾らないキャラクターは、デビュー当時から何ら変わっていない。 変わっていないと言えば、歌のテーマも同じ。今回の記念アルバムも、デビュー当初と同じ"恋"をテーマにしたものだ。そこで思い出したのは、3rdシングル『初戀(はつこい)』で、「好きよ 好きです 愛しています どんな言葉も違う気がする 初めての気持ち」と歌っていたころの姿。当時から、どんな心境や歌い方の変化があるのか。
「やっぱり『初戀』のころとはとらえ方が全然違いますよ。アイドル時代は、当然ながら"青春の憧れ"みたいなものが一番核にある恋の歌。18歳とかなので、恋は泡ぶくみたいなキラキラしたイメージがありましたから。今回の曲は、もっと人生そのものとか、人としてのあり方みたいなものまで、深く食い込んだような歌。恋というより、重量がある愛に近い感覚で歌っています」
この変化を聞いて気になったのは、恋から愛に変わったターニングポイント。斉藤は言葉を探すように考えながら、少しずつ話しはじめた。
「最初はすごいペースで歌を出していて、そこからパタッとなくなって、25周年のアルバムを出すまでけっこうブランクがあったんですよ。そこで気持ちの変化があったんだと思いますね。月日を経て考え方が変わってきたと思うし、ダンナさんとの恋愛・結婚も特別でしたし、その後に子どもを産んでいますから。だんだん『恋愛より母親業でしょ』という気持ちが大きくなっていきました」
1994年の結婚と3児の出産を経たからこそ、ここまで大人のジャズスタンダードがハマるシンガーになったということか。
孤独感が強いまま大人になった
斉藤に記念アルバムの中で、お気に入りの曲を尋ねたところ、驚きの返事が返ってきた。
「一番好きなのは、『Blue Moon』ですね。『最初、私は一人ぼっちだった。心に夢もなく、愛する人もいなかった。そこにあなたが現れて今、私は夢があって愛する人もいる。見上げたら青かった月が金色に輝いていた』というシンプルな歌詞なのですが、私の心情をすごく表している気がしたんですよ。昔から自分の中に強い疎外感や孤独感があって、それが強いまま大人になってきた人間なので、自分のことのように感じながら歌っています」
疎外感や孤独感……。確かに斉藤の80年代を振り返ると、キャピキャピやブリブリのアイドルではなく、どこか戸惑いおどおどしているような印象もある。だからこそ、たった一人で悪と戦う『スケバン刑事』の麻宮サキがあんなにハマったのだろうか。そう思っていたら、続く斉藤のコメントは予想の上を行くものだった。
「子どものころから学校に友だちがいなかったし、いつも休み時間は1人でずっと本を読んでいたし、放課後に友だちと遊びに行ったというのもないし、学校でうまくいったという思い出はないですね。『クラスのみんなと仲良くなりたい』という気持ちはあったけど、残念ながらそれは叶わなくて。いつも一人ぼっちになっちゃうような青春時代を過ごしていたんですよ。その後、芸能界に入ったら入ったで、みんな芸能人のお友だちとか、スタッフさんと遊びに行くとかしていましたが、私はほとんどありませんでした」
これほど暗い話をしているのに、全く悲壮感がないのはなぜなのか。むしろ斉藤は懐かしそうな顔で笑っている。歌唱の表現力に加え、作詞もこなす感受性の豊かさは、このような体験がベースになっているのだろうか。幸せそうで、どこか、はかなげでもある、彼女の一面を見た気がした。