近年の再開発で脚光を集める豊洲地区に残る錆びた鉄橋、その名は「晴海橋梁」。1989(平成元)年に東京都港湾局専用線(貨物線)が廃止された後も、四半世紀にわたって残る鉄道遺構だ。越中島貨物駅からこの鉄橋をめざして歩く今回の企画。前編では、塩浜地区を経て豊洲運河に残る橋脚まで紹介した。
高層ビルが建ち並ぶ中、唐突に出現する晴海橋梁
跡地のほとんどが空地だった塩浜地区に対し、再開発されつくした豊洲地区に入ると、案の定、バッタリと形跡がなくなる。豊洲線の跡は道路に、豊洲線と晴海線の分岐点と思しき場所は豊洲北小学校と豊洲三丁目公園になっていた。晴海線方面は高層ビルが建ち並び、どのあたりに線路があったのかを想像することすらままならない。
豊洲線は、「ららぽーと豊洲」の隣にある豊洲公園のあたりで再分岐し、本線はゆりかもめ新豊洲駅のほうへ向かう。現在、「ガスの科学館」や住宅展示場になっている場所に石炭埠頭があって、荷揚げが行われていたという。支線は「豊洲物揚場線」といい、南東方面へ分かれたあと、現在の昭和大学附属豊洲病院を通り、塩浜方面へ戻る形で伸びていた。「NBF豊洲ガーデンフロント」脇の曲線の遊歩道に、わずかに名残を残している。
一方の晴海線も、高層ビルが幾重にも建ち並び、跡をたどることはできない。ようやく姿を見せるのが晴海橋梁だ。豊洲側には、すぐ隣に高層マンションがそびえているため、歩いていくと唐突に出現する印象を受ける。立入りができないように厳重にフェンスがめぐらされているものの、護岸や隣の春海橋から容易に眺められる。レールが4本の四線軌条になっていたが、軌間の異なる列車も運用されていたのだろうか?
対面の晴海地区側にも、数年前までレールが残されていたように記憶しているが、現在はすでに撤去されていた。引込み線の跡を含め、だだっ広い空地が広がるばかりだが、再開発に向けての工事も進められている。北東側の晴海一丁目・二丁目はタワーマンションなどの建設ラッシュが予定されており、一部はすでに完成。空いている場所も、あらゆるものが撤去されて更地になっていた。
南西側の晴海三丁目~五丁目も更地化が進んでいるが、晴海埠頭近くに残る倉庫街には、わずかに晴海線の形跡が残っていた。アスファルトで固められた道路に、線路の跡が見え隠れする。ただし、この場所も2020年東京オリンピックの選手村予定地となっているため、そう遠くないうちにその跡は見られなくなるかもしれない。
現状では、最大の遺構である晴海橋梁は取り壊す予定も、人道橋などへ再利用する予定も立っていないため、見学や撮影は比較的容易だ。東京都心としては貴重な貨物線の跡だけに、廃線好き・貨物線好きな人は、ショッピングなどで豊洲地区を訪れたついでに、ぜひ足を運んでみることをおすすめしたい。