――ところで話は変わりますが、3人それぞれが経てきたテレビ体験について教えて下さい。

ヒャダ「僕はタモリさんが好きなので、やっぱり『笑っていいとも!』は見てましたね。学校行ってる間は録画して。『いいとも!』はタモさんの毒っ気やお茶目な部分を愛でる番組なんですよ。まぁ、ちょっとヤな見方をする子ではありましたね。モノマネ番組とかでご本人が登場した時の、モノマネしてる人の驚き方の"質"とか」

久保「けど、それ大事ですよね。私も、モノマネ四天王が出てた頃のモノマネ番組はよく見てましたよ」

ヒャダ「良い意味での、テレビの"しらじらしさ"が好きでしたね。『THE夜もヒッパレ』(※1995年から2002年まで日本テレビ系で放送されていた音楽バラエティー番組)でゲストが出て来て歌う時の、みんな立ち上がって一緒に歌う感じとか(笑)。知念里奈さんと中山秀征さんが『八反安未果ちゃん良かったよ~』って褒める感じとかも」

久保「でも、それもまた芸能界っぽくていいとは思いますけどね」

ヒャダ「あと『オールスター感謝祭』(※春と秋の番組改編期にTBS系で放送される大型特番)とか。職業として"テレビタレント"をやっていることへの自負、みたいなものを生放送で見るのが好きでした。仕事として一生懸命やっている彼らのパトス(情念)が好きです」

能町「私、全然テレビっ子じゃなかったんですよ。だから、みんなが見てるようなバラエティー番組も見てこなくて育って。別に厳格な家庭でもなかったんですけど、興味がなくて。夜は親が見てる野球中継をなんとなく見てる、みたいな感じでした」

久保「そうなんだ」

能町「ようやく高校に入って深夜番組とかいろいろ見るようになって、大学になってから見てたのが海砂利水魚(※現くりぃむしちゅ~)やU-turnが出ていた『お笑い向上委員会 笑わせろ!』とか、ココリコ、ふかわりょう、つぶやきシローの『少年サトル』とか。超遅咲きなので、バラエティー番組の基本をあまり知らないんですよね」

久保「私は上京するまではフツーにテレビを見ていたし、上京後もインターネットがまだなくてものすごくヒマだった頃、深夜番組とかたくさん見まくっていたんですけど、仕事が忙しくなって一時期すごくテレビから離れていたんですよね。その間、かつて録画を頼んでいた田舎の親の方が私よりバーコード予約に詳しくなってたりして」

ヒャダ「ありましたね、バーコード予約」

久保「で、『モテキ』をドラマ化するという話になった時、テレビを好きにならないと『ドラマ化されて嬉しい』という言葉がウソになっちゃうと思って、そこからすごく見るようになったんです」

――今はどうですか?

久保「今はツイッターとかもあって、テレビに関する情報がリアルタイムでどんどん目に入ってくるので、今、テレビで何が面白いのかという“空気感”はすごい伝わってきますよね。でも、テレビをじっくり見てるヒマはないですね」

ヒャダ「ないですよね~。正直言って」

久保「『大改造!! 劇的ビフォーアフター』(テレビ朝日系)と『ゴッドタン』(テレビ東京系)と『ごちそうさん』(NHK総合)だけですね、今、録画予約してるのは」

ヒャダ「でも、『久保みねヒャダ~』と同じ土曜日放送の『ゴッドタン』が、僕らの後の放送時間で被らなくてホント良かったですよ」

能町「『ゴッドタン』に関してはもう、勝とうという気持ちなどありません」

久保「アニメとかでいったら、思わず『闘いたくなかった!』って叫びたくなる相手というか」

ヒャダ「『キミたちとは闘いたくなかった!』みたいなね(笑)。こないだのヒム子(※バナナマン・日村勇紀演じるオネエキャラ)とかめちゃくちゃ面白かったですし」

久保「あれはやばいって! 泣きながら笑いましたよ」

ヒャダ「僕もヒム子の『守りたかった……』で泣きました」

久保「ああいうのを見ると、自分たちの番組は作り込んでないなぁって(笑)」

ヒャダ「ただ、だべっているだけという」

能町「ですから、今のテレビに対して言いたいことは特にないです。私らが何か言うなんておこがましいです(笑)」

――誰か有名人に会いたいとか、そういう夢とかは?

能町「いやぁ……タモリさんに会っちゃったら、もう、この先、誰に会いたいとかないんですよね~(※3人ともタモリとは対面済み)」

久保「簡単に頂上登らせてもらっちゃったから、あとはもう惰性ですよ」

ヒャダ「ホント、叶ったら夢はおしまいですよね」

能町「完全に燃えつき症候群ですね。もう『久保みねヒャダ~』は余生です」

久保「ロングスパンで見た"余生"です(笑)」