――話は変わりますが、監督がこの作品を依頼された経緯を教えてください

三池監督「あまり複雑なことはなく、いつもだいたい同じなんですよ。電話をもらって、時間が空いているかって聞かれる。それで台本の進み具合とかを言われて……場合によっては、原作権を取りにいくため、監督は三池にする、みたいな感じで予定を聞かれることもあって……逆にこれがマイナスに働くこともあるんですけどね(笑)。まあ50/50ですよ。マンガや小説、映画の好きな人は特に、微妙が30で、アンチが30。今回もそんな感じで連絡をもらったんですけど、本はけっこう進んでいる状態でした」

――ちなみに原作をお読みになったことはありましたか?

三池監督「基本的に活字はあまり読まないというか……台本も読まないぐらいなので (笑)。だいたい1回ぐらいしか読まないんですよ、本は」

――それは今回もですか?

三池監督「いやいや、この原作はやたら読みました。もう本がベロンベロンになるぐらい(笑)。台本を書いているときも、何か困ることがあると原作の中からヒントを探しました。読みながら映像を思い浮かべて、それがクロスして活字になる……そんな作業の繰り返しで、たぶん今までで一番活字を読んだ時期だったかもしれません」

――最初に原作を読んだときはどのような感想を持たれましたか?

三池監督「小説家はいいなあって思いました(笑)。だって、映画であれをいきなりやったら絶対に怒られますよ。原作となる小説があるから、今回の映画は許されていますけど、映画オリジナルであんなのを作ったら絶対に怒られる。ダメでしょうって(笑)。何か映画は、そういうものになってしまっているんですよ」

――たしかにそういった側面があるかもしれません

三池監督「何か窮屈な感じがありますね、映画は。売れるか売れないかは別にして、やはり小説の強さって書く自由だと思うんですよ。紙とペン、またはワープロさえあれば誰でも表現することができる。『悪の教典』の原作の魅力のひとつは、その自由さであり、その勇気だと思うんですよ。原作を読む人たちは、物語はもちろんですが、その自由さと勇気も楽しんでいる。グロテスクで怖いんだけど、これが堂々と書店で売られている……その自由さにどこか安心感を感じているんじゃないかなって。みんなどこかで違和感をため続けて、ストレスがたまっているんだと思うんですよ。あとは、あの分厚さ。普通だったら、半分くらいまで読んで、あとは結末を見て、読んだふりをするんだけど(笑)、今回は引き込まれました。面白かったです」

――原作を読んだ段階で監督の中ではすでに映像が思い浮かんでいたのでしょうか?

三池監督「いろいろと思い浮かびましたね。一番最初に読んだときに思い浮かぶイメージは、ずっと頭の中に残る。そしてあとは、その断片的に生まれてきたイメージを繋いでいく作業なんですよ。人が振り返ったときの顔が思い浮かんだら、次はその顔にするために必要な前段階の部分を作っていく。そうやって間を埋めていく感じですね」

――イメージを繋ぎながらおよそ2時間の作品を作り上げるわけですね

三池監督「ただそうやってできたものは、だいたい2時間では収まらない。実際、自分の場合は、どんな作品でも最初につないだ"ラッシュ"といわれる映像が3時間近くになるのが普通です。その3時間は全部が全部、本当に大事な映像なんですよ。苦労して出来上がったものですから。でも、2時間に縮めなければいけないわけで……」

――ある意味、そこからが大変なわけですね

三池監督「その愛すべき3時間をどのように切るか、それがもうひとつの作品に対するアプローチになってくる。そういう意味で、編集作業は自分にとってすごく苦しい部分もあるけど、すごく楽しい作業でもある。編集室にこもって、1カット1カットを見ながら仕上げていく。その作業によって、出演していないことになってしまう人も出てきたりする。そこに借りができちゃうわけですよ。いつか借りを返せればという思いもありつつ、残ったシーンがカットされてしまった人の思いを受け継ぐような展開にする義務も生まれてくる。いなくなった人が映画を観たときに面白かったといってくれる作品。あれだけ苦労して、徹夜で頑張ったのに、それがムダになった。それは残念だけど、でもこの映画は面白いよねって。やっぱり自分の出たシーンを楽しみにして、映画に行くと思うんですよ。もしかしたら友だちや親戚と一緒に行くかもしれないじゃないですか」

――それはけっこうキツイかもしれません

三池監督「それでも、まあいいかって思ってもらえる、そんな作品にしないといけないわけですよ。そのためには、目に見える、肌で感じることのできる観客を自分の中に想定して、その人のために一生懸命に作る。会ったこともない人に対して、どうすれば気に入ってもらえるかなんて考えるとおかしな作業になる。だって実体がないんだから」

――監督の中に具体的な観客を想定するわけですね

三池監督「劇場やDVDで観てくれる人は、集団ではなく、あくまでも個のかたまりなんですよ。だから、最近のお客さんはこういう傾向だっていうのはわかるんだけど、その感覚で映画を作るのは、お客さんに対しても作品に対しても失礼なことだと思うし、それは避けたい。ただ、どんなに個性が違っても、その根っこにはあまり変わらない部分があると思うので、そこだけは通じ合わせたいんですよ。仮に通じ合わなくて、拒否されることがあっても、それはそれで、作品と観客のひとつの関係だとは思いますが。ただ今回の作品で言えるのは、『海猿』という作品がなければ、この作品も全然違っていたんだろうなっていうこと。『海猿』であんなにたくさんの人を助けている伊藤英明ですよ。それがハンパな殺し方だったら面白くないだろうと(笑)。これは一映画ファンとして見ている部分と、実際に触れ合っている伊藤英明、体温を感じられる距離で一緒に仕事をしている人に対して作っているわけで、だからこそたくさんの人に観てもらえて、楽しんでもらえてよかったなと思っています」