追い込まれた塚田九段は「入玉」という非常手段を苦渋の決断で発動

図6(71手目△6三馬) この局面で塚田九段は「入玉狙い」を決心した

「▲6三馬とされたところで、もう入玉を狙うしかないと決断しました。コンピュータが入玉に弱いということは事前の研究でわかっていましたので」(塚田九段)

図の▲6三馬は次に▲4一金と打って飛車を取るねらいがある。塚田九段はそれを受けているようでは、攻め続けられて苦しいとみて、飛車を取らせる代わりに入玉を目指すことを決断する。

「入玉」というのは第一局でも出てきたキーワードだが、あらためて意味を説明しておこう。将棋というゲームは「相手の玉(いわゆる王様のこと)を先に取った(正確には詰ませた)ほうが勝ち」というルールだが、その玉が相手の陣地内(手前から三段目までのゾーン)に逃げ込んだ状態を「入玉」と呼んでいる。そして入玉した玉を相手が取ることは、大抵の場合非常に難しくなる。なぜなら、自陣に入られた玉を攻めるには、後ろ向きに駒を使う必要があるが、将棋の駒のほとんどは後ろに進むことを苦手としているからだ。

そのため、片方が入玉して、もう片方は入玉できない、という状態になれば、入玉している側が非常に勝ちやすい状態になる。では、もし両方の玉が入玉した場合はどうなるのか。互いに相手の玉を攻めることができないとなると、勝負が永久に終わらないことになってしまう。その場合は、お互いに持っている駒の数で勝負を判定するというルールがある。判定方法は、まず玉は計算から除外する。そして「大駒」と呼ばれる飛車と角を5点、それ以外の駒は全て1点として計算し、合計で24点に満たなかった場合は負けとなり、両者ともに24点以上ある場合は引き分けとなる。なお、双方が入玉して点数勝負で引き分けになることを将棋の用語では持将棋(じしょうぎ)と呼んでいる。

さて、本題に戻ろう。自陣の飛車を取らせる代わりに入玉を目指した塚田九段。その方針には控室のプロも当初は納得していた。かなり先の話ではあるが、プロ的には相手の飛車を取り返せる見込みがあり、少なくとも引き分けは目指せる形勢とのことで、コンピュータが入玉の勝負を苦手にしているという前評判が真実であれば、点数勝負で勝てる見込みもあると言われていた。だが、その形勢判断が変わり出したのが次の局面である。

図7(82手目△2四玉) △2四玉を見て木村八段は「塚田九段が苦しくなった」と解説した

図7の△2四玉は、相手陣に向かって玉が一目散に逃げ出した手だ。玉の安全を優先した手だが、代わりに重大な犠牲を払うことになる手でもあった。それは△2四玉としたことで、4二にいる角を相手に取られることが避けがたくなってしまったのである。

角を取られてしまうと、相手の飛車を取りかえしたとしても大駒は1枚だけ。その他の駒を多少取り返しても24点の基準には到底足りない。点数勝負で勝ち目がないとなると、先手の玉を入玉させないようにするしかないが、すでに先手玉の入玉を止められる状況でないことはプロの目には明らかだった。つまり、形勢はすでに塚田九段必敗と言える状況になってしまったのである。

なおボンクラーズの評価も、後手が角を取られてからはあっという間に差が開いていった。しかし、入玉という特殊な将棋の評価を正しくするプログラムが組まれていなければ、その評価には何の意味もない。そのため、この後評価値はすぐに1000点を超え、2000点を超え、最終的には3000点を超える大差になって、以降終局付近まで評価値は変わらなかった。以降は多少変動はあるものの、評価値は3000点前後を推移し続ける。

形勢は100%勝ち目なし。そこから塚田九段の孤独で壮絶な戦いが始まる

図から10手ほど進んだところで解説の木村八段が言った。

「タオルを投げたくなってきますね」
「これはどこまでやるつもりなのかな?」

同じころ控室でも……

「もう立会人が(塚田九段に)投了を促したほうが……」

という声が上がっていた。100%勝ち目のない将棋をこれ以上見ていられない、ということだ。

仲間のプロからも勝ち目なしと判定されてしまった塚田九段。しかし塚田九段はプロである。普通なら必敗の形勢であることは百も承知だ。それでも指し続けていたのには当然理由があった。

「事前の研究ではコンピュータの玉は8八からまったく動かなかったんですよ。へたにさわらない限り、自分からは入玉しようとしなかった。だから点数が全然足りなくても勝てると思っていたんです」(塚田九段)

そう、塚田九段には事前の研究を生かした対コンピュータ専用の作戦があったのだ。だからこそ、危険を冒して自陣の角を逃がそうとはせず、まっしぐらに入玉することを優先した。この塚田九段の方針については批判もあることだろう。たとえ相手が入玉してこないという確信があっても、ギリギリまで点数勝負を目指すべきだ、という意見はもっともである。なにより応援していたプロ棋士がそう思っていたのだ。

一方で控室の報道関係者やコンピュータ将棋関係者の間では、塚田九段の作戦が理解され始めていた。

「塚田九段はコンピュータが絶対入玉してこないという確信があるんだよ。そうでなきゃこんな指し方をするわけがない」
「ということは塚田九段必勝の形勢じゃないですか」

と、楽観する声まであがった。だが、それでも控室のプロの表情は晴れなかった。なんともやりきれない表情で盤面を眺め、目の前の将棋をどうしても受け入れがたいという雰囲気があったのだ。それはなぜだろうか。

プロ棋士というのは、骨の髄まで将棋でできているような人間である。彼らにとって将棋とはとても神聖なものだ。だから、本心では塚田九段を応援したくても、目の前にある局面が必敗であるなら「指し続けても望みがない」と正確に判定する。それがプロ棋士という人間なのだ。そして、これだけは言っておきたい。塚田九段は決して、相手が入玉してこないことを喜んで利用したわけではない。見ているプロもつらかったろうが、プロ棋士として耐え難い作戦を決行せざるを得なくなった塚田九段は、その100倍つらかったはずだ。それでも塚田九段は、批判も嘲笑も一身で受け止める覚悟で、もっとも勝利する確率が高い手段を選択したのだ。

しかし……将棋の神は泥にまみれた塚田九段をさらに絶望の淵に沈めるのだった。……続きを読む