2011年3月11日。東日本大震災の発生直後、津波に襲われた岩手県釜石市の廃校・旧釜石第二中学校の体育館に遺体安置所が設営された。その極限状態を記録したルポルタージュ『遺体 震災、津波の果てに』(著:石井光太)を手に取り、映画化へと突き動かされた一人の男がいた。
『踊る大捜査線』シリーズや、『誰も守ってくれない』(2009年)など数多くの映像作品を手がけてきた監督・脚本家の君塚良一である。西田敏行主演の映画『遺体 ~明日への十日間~』で監督を務めた彼は何を思うのか。公開を目前に控えた今、作品に込めた思いを聞いた。
――原作『遺体 震災、津波の果てに』との出会いには何かきっかけがあったのでしょうか。
人に勧められたんです。震災のルポルタージュはほかにもあったんですけど、いちばん衝撃的で、同時に遺体安置所の中で働いていた人たちにとても感銘を受けました。石井(光太)さんの原作をたくさんの人に読んで欲しいというのが最初の思いだったんですけども、僕は映画監督と脚本家としてこれを映像化してもっとたくさんの人に伝えたいと思ったんです。あの日、同じ国でああいうことが起こっていたというのを知って欲しいというのがいちばんです。
――映画化決定後、最初にしたことは何だったのでしょう。
石井さんと釜石市にいって、関係者とご遺族に会いました。震災から半年経っていましたし、原作をお読みになっている方も多かったんです。取材はせずに、『映画化しようと思っていますが、どう思いますか?』という質問をずっと聞いて回りました。もちろんすべての人とお会いしたわけではないんですけど、会った人の中で反対される方はいませんでした。その方々は、今もこれからも悲しみを抱えて生きていく人たちですが、災害への意識を高めるために映像化してほしいという意見が本当に多かったですね。
――釜石市でも上映会をなさったそうですね。反対などはなかったんですか。
釜石市が舞台の話ですから、釜石市の人たちに見てもらうのは当然ですし、批判をされれば僕は受け入れる覚悟でした。批判されることを心配して、物を作らないでやり過ごすということは、僕にはできない。
――原作にはさまざまな人物が登場します。映画の登場人物はそこから絞られているようですが、その人選方法は?
原作は石井さんがとにかく広範囲に取材をされていたので、僕は遺体安置所に特化しました。あと、モデルとなったご遺族の方には全員話したんですけど、基本的にはいくつかのエピソードを組み合わせたりしています。(人物を)落とす、落とさないの判断は、原作を劇化させる従来の時だと、面白い順とか伝えやすい順だったんだけれども、僕は決められた時間の中に収まるように、原作通り順番通りやっていったという感じでした。
――その中心人物として描かれるのが、西田敏行さん演じる民生委員の千葉淳さんですね(劇中の名前は相葉常夫)。
かなり早いうちに遺体安置所の噂を聞いて参加された方です。とにかく早く家族の方にご遺体を返してあげようというのは、無償の行為なんですよね。原作を読めば分かりますけど、石井さんもプロローグから千葉さんを出していたし、力を込めて描かれているのを感じました。この人を中心に描いて、この人と一緒に観客も僕も一緒に遺体安置所に入っていって、そして彼がその光景を目の当たりにして驚くシーンからはじめようと思いました。
――実際に会われたんですか。
会いましたよ。釜石という小さな街に住まわれている方なんだけれども、震災がなければおそらくおせっかいなおじさんなんですよ。お一人で暮らしている高齢の方の世話をしたり、不良の若者をしかりつけたり、もしかしたら煙たがられる存在の方だったかもしれないですよね。だけど、とにかくお話好きで心が優しくて芯が強くて、もともと葬儀社で働いていてその彼が遺体安置所に行ったというのもある種、運命ですよね。遺体安置所では彼の存在によって、徐々に調和が生まれていきました。すっごく心の優しい方です。
――その千葉さんがお供え物を食べてしまうシーンがあります。そこは原作にも描かれていますが、読んだ人の中にはこの部分に批判的な意見を持っている方もいるみたいです。その描写をあえて映画の中に生かそうとした理由をお聞かせください。
そうですね、原作でその部分が描かれていて、千葉さんは後日、葬儀社関係の方からちょっと言われたそうですね。でも、石井さんは自分が目にしたことをそのまま残したわけですよ。本当のことを言うと、千葉さんは葬儀社OBとしてやっちゃいけないことをやってしまったんです。千葉さんは石井さんに『そこだけはカットしてほしい』とお願いされていたようですが、石井さんも僕も思ったのはそこが人間っぽさ。彼は遺体安置所にいた数日、ご飯を食べられませんでしたからね。でも、映画を見た千葉さんはまだ言っていましたよ。あそこはなんとかならなかったんですかってね(笑)。
――1つのおにぎりを分け合うシーンもありましたし、当時の現場は食料を確保するのもやっとだったんですね。
10日過ぎたあたりからは、県警からお弁当が支給されたらしいですが、千葉さんは家にあるお米を配ってしまったそうなんです。自宅にはお菓子しかなく、3日くらいは何も食べないで過ごしていたそうですよ。そういえば、この前、釜石で上映会をやったときに見た方から指摘されました。『君塚さん、あそこ違いますよ。おにぎりは1人1つじゃなくて、2人で1つだったんですよ』って。ピンポン玉ぐらいのおにぎりだったらしいです。……続きを読む。