――遺体安置所で千葉さんは裸足になりますが、あれは西田さんからの提案だったそうですね。そのほかの役者からもそのようなことはあったのでしょうか。

もちろん、ありました。体育館のオープンセットの中で撮影していると、こういうことはできないとかこういうことは言えないとか、あるいはこういうことを言いたいとかこう動きたいとか、意見は当然ありました。僕は当時の遺体安置所にはいなかったですし、記録としてその現場の映像も残っていないので、その時はそうしないとかそうしたとか、僕も言えませんでした。だから、あの中で感じたことを演じてもらって、ドキュメンタリータッチでカメラで追いかけていったという感じです。スタッフもみんな泣きながらやっていました。

この間はお遍路もしてきました。今回の映画で150体の人形を作ったんですが、それは全部仮とはいえ、名前と職業と年齢と住所がありますからね。もちろん、俳優が演じたり特殊造形で描く部分もありましたけど。美術部の魂が込められた遺体をカメラマンは撮影し、その前で俳優陣は泣き崩れていました

――その演技に圧倒されたのですが、配役はどのように決められたのでしょうか。

原作を読んだ時から千葉さんは西田さんっぽいなと思っていました。お会いしても優しくて穏やかで、芯は強いんだけれどもあまり敵を作らない。これは西田さんしかいないと最初のうちから思っていました。それ以外は僕が優れていると思っている俳優たち。つまり、作品のトーンを分かって自然な演技ができて、しかも自分をさらけ出せる方。自分の中にある恐怖や悲しみ、怒りを率直に出せる。それが優れた役者です。

――その後、釜石には何度か行かれているんですか。

行ってますね。同じ方にも何度も会いました。一度会っただけじゃ、緊張もされてるでしょうしね。そこでもあの時どうでしたかとか、石井さんの原作のあの部分はどうですかとかそんな話はしません。皆さん今でも苦しんでいらっしゃいますから、映画化することをどう思うかというのを問い続けました。そのうちにいろいろな話をしていったという感じですね。

――震災が起きて、何かをしなければという思いで映画化を決断した今回の作品。今後、そのほかにやろうとしていることはありますか。

震災に関しての仕事を、またやるのかどうかはまだ僕の中では分からないですね。ただ、ずっと関わっていかなければならない関係性はあるんだろうなと思います。この原作を映画化し終わったからといって、忘れ去ることもできないですし。だからどうなっていくのかは分かりませんね。ひょっとしたら、僕の心だけの問題かもしれません。現状は、次のテーマのものに、別のジャンルのものにという思いはありません。

――こうして映画化され、試写でもたくさんの方が見ています。映画化される前との心境の変化はありますか。

被災地、そして役者が演じるご遺族にカメラを向けること。この作品が上映されることで、観客のものになるとか、そういうつもりは僕には全くありません。これは僕が生涯抱えていかなければならないので、被災地と僕はどういう形であれ付き合っていくことになるだろうと思っています。

そしてさっきも言いましたけど、すべての意見を受け入れます。僕はずっとこの作品のそばにいなきゃいけないなという感じですね。特別な映画ですし、ひょっとしたら僕はこれが最後かもしれない。