イタリアに渡った翌年には王者に
「ピッツァイオーロ」という言葉をご存知だろうか。「ピッツァ職人」を意味するイタリア語である。イタリアでこの道30年、40年のピッツァイオーロたちをおさえ、イタリア人以外で初のピッツァイオーロの世界チャンピオンに輝いた日本人がいる。「SALVATORE CUOMO JAPAN」で働く大西誠さんだ。2002年にイタリアに渡り、翌年にはチャンピオンになったという天才的な凄腕である。大西さんのピッツァは一体何が違うのだろうか。
――まず、ピッツァ職人のコンテスト「Pizzafest」について教えてください。
「Pizzafest」は、毎年ナポリで開催されているピッツァ職人の世界コンペティッションです。焼きあがったピッツァの焼き具合を見て審査する大会で、誰がつくったかは一切明かさずに、ピッツァの出来具合だけで優劣を決めるいわゆる覆面コンテストです。私は2003年に参加し、長年ピッツァ職人として活躍しているベテランたちと一緒に戦いました。 ――大西さんは初参加で優勝。周囲にはさぞかし驚かれたのでは?
ええ、一番驚いたのは私ですよ(笑)。イタリアで修行を始めてわずか半年後の出来事だったので、最初は信じられませんでした。それまでその大会では、8年間ナポリの人が連続優勝していました。まさか日本人である自分がナポリの職人たちにいきなり勝てるなんて、夢にも思いませんでした。
――改めて振り返ってみて、なぜ優勝できたとお考えですか
審査員の評によれば、「シンプルでありながら、ナポリピッツァの真髄を忠実に表現したピッツァだったから」とのこと。当時、私が修行をしていたイスキア島の師匠・ガエターノ氏も、「マコト(私)は日本人であっても、ちゃんと"ピッツァ・ナポリナータ"をつくっている。"ピッツァ・ジャポネーゼ"にはなっていない」と。そういう部分が優勝につながったのかなと感じています。
――常日頃、大会出場のことを考えていたのですか。
いえ、当時の私は特に難しいことを考えていたわけではなくて、毎日約500枚のピッツァを必死につくっていただけです。ただ、場数を踏むにつれて、うまくつくるコツが体にしみ込んでくるので、大会ではそういう自分の感性を頼りに戦いました。今も昔も、頼りにしているのは自分の感性です。