──当時、『こんにちはマイコン』を夢中になって読みました。すがやさんの企画だったんですよね?

すがやみつる(以下、すがや) ちょうど『ゲームセンターあらし』(1978年~)を連載している頃に、シャープの「MZ-80K」というセミキットで組み立てるものを購入したんです。それで(プログラミング言語の)「BASIC」に出会って、もうハマってしまった。仕事場から最終電車で帰宅して、朝までプログラミング。2、3時間だけ寝て、また仕事に行くという生活。次第に頬はこけるし、目ヤニで目が開かなくなったり。ちょうど奥さんのお腹に長女がいるときで、ここで倒れられたら困る、ということでパソコンを隠されてしまって。

──相当にハマってましたね。

すがや 子供が生まれたあと、市役所に行ったら出産見舞金をもらったんですが、その足で神田に行ってポケットコンピュータを買うほど(笑)。寝ても覚めてもコンピュータでした。漫画はそっちのけ……いや、仕事は仕事でちゃんとやってましたけど、仕事では徹夜をしないようにして、パソコンでは徹夜をしてた。でも、やっぱりポケコンじゃメモリに限界あるんですよね。短いプログラムしかできない。どうしたらいいかな、と考えて、パソコンを仕事にすれば、奥さんだって文句を言えないだろうと。ちょうどその頃、イギリスで子供向けのコンピュータ入門書がベストセラーになったことを新聞で知ったんです。イラストや写真が多く、わかりやすいから大人が買って読んでいるという記事でした。そうした入門書を、日本では漫画にすればいけるんじゃないかと思い、(「こんにちはマイコン」の)企画書を作ったわけです。

──それが一躍ヒットに。益々コンピュータ熱が上がったわけですね。

すがや いや、実は冷めてしまったんです。一応、『こんにちはマイコン』を作るうえで、業界の偉い人に名前は借りましたけど、中身は一人で勝手に作ってた。プログラムの部分も、1巻目は全部、2巻目もメインのところは自分で書いたんです。でも、プロじゃないから時間がかかるじゃないですか。あらしもアニメ化されて一番忙しいときで、それで編集者に(その仕事を)取り上げられちゃって。一番楽しいプログラム部分を学生のアルバイトに取られた。結局、遊びがお仕事に……という感じになって、熱が冷めていきましたね。

──次はどんなことに熱中したんですか。

すがや 85年になってパソコン通信を始めました。僕はモータースポーツが好きで、F1レースを追いかけて海外にもよく行ってたんです。当時はF1関連の情報メディアがほとんどない。でも、詳しい情報を早く知りたいじゃないですか。通信社に勤める友人から結果などを教えてもらっていましたが、APとかUPIの配信ニュースをなんとか自分の家で知ることができないか、と思っていたんです。その時、たまたま高田正純さんという方の『データベースを使いこなす』(講談社現代新書)という本を読んだら、パソコン通信は中学英語で十分ということが書いてあった。あっ、これを利用しない手はない、と。

──仕事よりも趣味で動く人ですね。

すがや そうですね。何事も好き嫌いが前提なので。仕事でも気が乗らなくなると、すぐに投げちゃう(笑)。まぁ、そういうわけでF1の情報を、日本でもアスキーネット(ASCIInet)というパソコン通信で流し始めた。当時は日本で一番速いF1メディアでした。その後、ニフティサーブ(Nifty-Serve)が始まり、全国にアクセスポイントがあったのでそちらへ移動した。モータースポーツフォーラムを開始して、いわゆるシスオペ(BBS管理者)になりました。当時のニフティは有名人シスオペというのを売り物にしていたんです。

──現在の有名人ブログみたいですね。

すがや 一応、僕もマンガでそこそこ有名だったので、その一環として選ばれた。アメリカのCompuServeというパソコン通信のメンバーでもあったので、日本の情報をアメリカに送る代わりに向こうの情報をもらって翻訳し、日本で掲載してました。僕以外のシスオペは名誉シスオペみたいな感じで何もしていなかったのに、僕だけ徹夜して必死に活動してた(笑)

──話を伺っていると、すがやさんって情報をインプットするだけじゃなく、アウトプットする人ですよね。ブログやTwitterでの活動もしていますし。

すがや氏のTwitterフォロー数は10万人を超えている

すがや それは自分で最近、はっと気付きましたね。ブログ(すがやみつるblog)やTwitter(@msugaya)を書いていて、なんでハマっちゃうのか。実は昔からそうだったんですよ。子どもの頃、機械いじりが好きだったのですが、ラジオよりも送信機を作っていた。電波がどこまで飛ぶか実験したり。情報を出す。それが面白かった。そこからアマチュア無線へと移行して、漫画家デビューを果たして、収入が安定したら真っ先に行ったのが秋葉原。無線機とトランシーバーを買ってきた。アマチュア無線の「ハローCQ」を眠気覚ましにして、足で送信受信を切り替えながら、手では漫画を書くという生活を。

──なんというマルチタスク(笑)。今、ブログで80年代に「別冊コロコロコミック」(小学館)で発表した『マイコンの神様 ビル・ゲーツ物語』や『MSXストーリー』といった昔の漫画を公開してますが、こちらも当然にすがやさんの企画なわけですね。当時は資料も少なかったはずですが?

すがや氏のブログでは過去の貴重な作品も公開されている

すがや 当時は英語が読めなかったので、日本の記事を集めて、ですね。『MSXストーリー』に関しては実際にアスキーに行って取材しました。アスキーにはまだマンションの一室にあった頃から出入りしていたんです。(創業者の)西(和彦)さんが風呂桶で仕事していた頃です。僕は西さんが好きで、ビッグコミックに西さんをモデルにしたマンガを描いたこともあるんですよ。その時も「取材したい」と申し込んだんですけど「忙しくて会う暇がない」と言われ、しょうがないから"西"という姓を"東"に変えてフィクションにした(笑)。

──それ、すごく読みたいですよ。今、見ることはできないんですか?

すがや 実はいま、学生をしているのですが、卒論を書いているときにオンラインでアンケートをやったんです。そのとき協力していただいた方に、お礼としてその漫画をこっそり公開してました。