父との共同作業
――曲作りをする際は、どのような分担で進めていくのでしょう。
カイル「まず、父が暖めていたアイデアをピアノで弾いて、そのイメージを僕とマイケルが膨らませて曲にまとめるという感じだね。この曲の場合は、父と共通の友人であるジェイミー・カラムに僕らのデモを渡し、詩を書いて貰った」
――あなたはパリにお住まいですよね。お父様との地理的距離が作業の妨げになることはないのでしょうか
カイル「父は自分のオフィスがあるロサンゼルスとカーネルを行ったり来たりしている。僕も仕事の依頼を受けたら、父に合わせて彼の自宅やワーナーのスタジオで作業するようにしているから、不自由はないよ」
――お父様はあまりテイクを重ねないことで有名ですが、音楽に関してもインスピレーションを大切にされているのでしょうか
カイル「音楽、映画に関らず、すべてに於いて父は直感を信じる人間なんだ。テイクを重ねないのも、最初にどう感じたかを大事にしているからだと思う」
――音楽面で対立した経験はありますか?
カイル「『チェンジリング』(2008)は音楽の占める割合が大きく、トータルで40分ほど必要だったから、父のイメージに合うよう何度かやり直したね。でも『グラン・トリノ』は僕のやりたいと思ったアイデアを自由に取り入れることが出来たよ」
息子から見るクリント・イーストウッド
――お父様の尊敬する部分と嫌いな部分は?
カイル「尊敬する部分は、彼の仕事に対する情熱だ。78歳にして、これまでのベストと称えられる作品を世に出したんだから、息子である僕にとっても励みになるよ。嫌いな部分は……困ったな。いい質問だ(笑)。正直言って、彼が今まで下してきた決断に、僕はすべて賛成してきたわけじゃない。でもそこは僕が口を出すべきではないと思っている。たまに意見が食い違うのは当然だ。彼も僕も頑固だけど、父は僕を理解しようと意見や相談事をちゃんと聞いてくれる。それで十分さ」
――お父様は、春の叙勲で旭日中綬章を得ることになりましたね
カイル「数週間前にその知らせを受け取った時、僕は南アフリカにいた。父は非常に名誉なことだと喜んでいたよ。日本を舞台にした『硫黄島からの手紙』(2006)は、父にとって思い入れの強い作品だった。ひょっとすると、授与式に本人が来るかもしれないよ(笑)」
――南アフリカにいらしたのは、お父様が監督を務める次回作『ザ・ヒューマン・ファクター』(原題)(2009)の準備でしょうか
カイル「その通りだ。あの映画の舞台は、南アフリカ。僕は現地のミュージシャンを使いたいと考えているから、音楽のアイデアを得るために行ったんだよ」
――お父様は本作を最後に俳優業から引退すると発言されています。そのことに関してどう感じていますか?
カイル「引退報道は僕も知っているけど、本人から直接聞いたことはないよ。父が監督業に専念したいと思っているのは事実だけど、いい役が回って来たらまた映画に出演すると思うな」
――それでは、最後の質問です。最も好きなイーストウッド作品は?
カイル「もちろん、『グラン・トリノ』がベストだけど、それ以外で1つ選ぶとすれば、『アウトロー』(1976)だ。僕の俳優デビュー作でもある。ほんのちょい役だけどね……僕が出ているから選んだわけじゃないよ!(笑)」
若き日のクリント・イーストウッドを彷彿とさせるような長身&イケメンのカイル。どんな質問にも自分なりの答えを出そうとする真摯な態度に、他人に対する気配りや言動をきちんと親から学んできた『育ちのよさ』を感じました。6月8~12日の夜は、東京・港区のBLUE NOTE TOKYOで彼のライブが行われます。『グラン・トリノ』で彼に興味を持った方は、ぜひどうぞ!
PROFILE
Kyle Eastwood
1968年5月19日生まれ アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス出身 40歳 ジャズ好きな両親の影響で幼少期よりジャズに親しむ。ニューヨークやロサンゼルスでの下積み時代を経て、ソニーと契約。98 年にファースト・アルバム「From There to Here」をリリースする。ソロ活動と平行して、『ルーキー』 (90)から、イーストウッド作品のサウンドトラックに参加。父と共に担当した『ミスティック・リバー』(03)、『ミリオンダラー・ベイビー』(04)に続き、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(06)では、作曲・演奏を含めて全面的に関わり、高い評価を受けた。
撮影:石井健