人間は、なんと偉大になりうることか─。会場を一巡して思わず胸に浮かんだのは、まさにこの一言であった。死後9年を経た今も、国民的画家として高い人気を持つ東山魁夷。その生誕100年を記念するこの展覧会では、1928年(昭和3)、東京美術学校(現・東京藝術大学)に通う19歳当時に描かれた試作「山国の秋」から、1999年(平成11)、死の直前に描かれた絶筆「夕星」まで約150点の作品が並び、この偉大なる画家の創作の変遷と精神性の高揚を一望できる。

東山魁夷展を開催中の東京・竹橋の東京国立新美術館

約150点の作品が展示された過去最大規模の東山魁夷展だ

「生誕100年」と題された通り、東山魁夷は今からちょうど100年前の1908年(明治41)、横浜に生れた。幼い頃からひとりで絵を描くことが好きだった少年は、13の頃から油絵の具を手に入れ、独学で油彩を描くようになる。17歳の時には中学の担任に頼み、画家になることに反対する父親を説得。「洋画は駄目だが日本画ならば」と父は渋々折れ、東山は東京美術学校日本画科に進むことになる。

会場に入ってまず目にする「山国の秋(試作)」は、その当時19歳の画学生だった頃の作品だ。紅葉した八ヶ岳を背景に、小淵沢辺りであろうか、稲の収穫に励むのどかな農村風景が描かれている。茅葺屋根の農家から稲の取入れをする農民の姿まで、緻密に細かく線描する手法は、隣りに掲げられた東京美術学校の卒業制作「焼嶽初冬」にも見られる通り、当時の東山に特徴的なものだ。後に我々が知る東山魁夷とはあまりにも趣が異なるが、これは戦前の日本画の表現法を、東山がすでにしっかりと身に付けていたことの証でもある。

19歳の東山が描いた「山国の秋(試作)」(右)と東京美術学校の卒業制作「焼嶽初冬」(左)

不遇と苦闘の連続だった前半生

画学生としての東山は決して恵まれてはいなかった。船具商を営む実家の経済状況が悪化したことから仕送りを断り、絵本の挿絵を描くなどして自活をはかる。卒業後は研究科に進み、さらには西洋美術史研究のためドイツに留学するが、それらの資金もすべて自分で働いて稼ぎ出した。なお今回の展覧会では、「ドイツ留学」と題された特集コーナーが設けられており、ドイツ留学中の1934年(昭和9)にヨーロッパ各地を旅行した際のスケッチも多数展示。若き日の東山の世界にもふれることができる。

ヨーロッパでは足繁く美術館に通い西洋美術を熱心に吸収した東山だったが、父危篤の報に留学は急遽打ち切られる。帰国した東山は、すでに20代後半を迎えていた。「大器晩成」という言葉があるが、30代まで東山の人生は不遇の連続だった。画壇に認められることがなかったばかりか、実家の破産、母の病、父の急逝、長く結核を患った弟の死去……。しかも時代は第二次大戦と重なり、疎開、召集と、心安らぐ日々はなかったと推察される。

1934年(昭和3)にヨーロッパ各地を巡って描かれたスケッチの数々