現場を撤収する際、細江さんの漏らした一言が印象的であった。
「自分はコレクションを数えきれないほど持っているけれど、それより、今日、カーク船長の矢島さんとじかにお会いできた思い出が、一番貴重だと思う」

だが、これで我々の取材が終わったわけではない。ここからが、いよいよ出番。本日のゲスト矢島正明さんに単独インタビューを行うのだ。今日の収録の感想も含めて、矢島さんが『スター・トレック 宇宙大作戦』とともに歩んだ40年の思いを語る!

――さっそくですが、今日の収録のご感想をうかがえますか。
「疲れました(笑)。でもまあ、熱烈なファンの方々が、こうして、全国にいらっしゃるわけで、その方たちが一つ一つの作品に対する思い入れを持っていると思うと、我々の仕事の責任の大きさを感じますね。初めて『スター・トレック』に携わったときには、『なんだ、この荒唐無稽な作品は』と、こう不遜にも思って……。まあ、でも、とにかく、仕事は仕事として一生懸命はやったんだけども。僕ら、やっぱり、仕事に追われますよね。つまり、吹き替えるという、その仕事自体に、追われていくわけだから。その作品の内容までも、しっかりと把握できないうちに、とにかく形にしなくちゃならない」

矢島正明さん、40年の思いを語る

「当時のやり方というのは、前日に試写を三回ぐらい観て、試写室で。でもう、明くる日、本番ですよね。で、本番もテスト、ラステス、本番ぐらいのテンポでいきますから。しかも、先ほどもちょっとお話ししましたけども、15分1ロールぐらいの長さで、当時の録音方式としては『あんまりトチってほしくない』(笑)。ほとんど絶体絶命、トチってはならない、という。そういう条件もありますから。加えて慣れない、いろんな宇宙や未来の用語が出てきますよね。『転送』をはじめとして、『フェイザーガン』とか『ワープ1』とか、いろいろ出てくる。そういう一種のテクニカル・タームを、船長として言い慣れた感じで言わなければならない。とにかく、15分をトチりなしに、間違いなく乗り切るということだけに集中して、当時は仕事をしてましたから、一つ一つの作品のその内容に思い入れている暇がなかった……というと弁解に聞こえますけども、でもやっぱり実際問題として、そういう形でしたよね」

「だから今日、何回もお話ししたように、『なんだコレは』という(笑)。そういう、ある種の、その話に対して馴染まなさのほうが先にきてしまって、その物語の奥に隠されている未知の生命体とか、異文化というものに対して、人間はどう対処していかなければならないか。そういうものを目の前にしたときに、自分という存在をもう一回人間は見直していく。そして新たなものを克服していく、あるいは、新たなものと調和していく。そういう、深いところへいくわけですけども。そのいとまもなく(笑)、ただただトチらないように通過しなければならない、ということに専念してたわけで。まあ、ちょっと弁解に聞こえますけども、そんな時代でしたからね」

「今日、来てくださったファンの方なども、もう40代・50代でしょうね。その方々が、小学生だった頃ですよね。学校から帰ってきて土曜日の放課後、必ず観てから塾に行ったというくらい、思い入れが激しかったわけですね。そういうふうに、視聴者の皆さんは、ちゃんと作品と純粋に対してくれているのに、それを仕事としている我々は、なんかもう日々の生活の糧としての仕事に追われているというところが実感で……。まさに、『ファンの皆さんには申し訳ないな』と思うと同時に、こうして今でもね、熱烈なファンがいてくださる。我々の仕事のなんていうのかな、怖さですよね、うん。それをあらためて実感しましたね」

――当時は、言葉は悪いですけども、「たれ流し」みたいなことで、放送してしまったら、もうそれはそれで終わり、という前提ですべてが行われていた。その後、再放送があったり、映画になったり、DVDも出たり、さらに、今度また、デジタル・リマスター版の放送もされます、ということで結果的に今日、40周年を迎えているわけですね。

「そうですね。だから、40年前、そういう、トチれないという条件があったもんだから、これは自己弁護になるんだけれども、思い切った芝居をしてないところが多々あるんですよね。いろいろ観返してみるとね。『70%ぐらい、あるいは、80%ぐらいの力でやってるな』。もう一つ、しっかりと中身に入ってやってないところがある。そういう、『なんてヘタなんだ』という思いでね(笑)、何回もこれにまた触れなければならないというのは、我々にとっては愛されてうれしい反面、なんか昔のキズを観せられるようでね」

「DVDを作るときに、録り直してますよね。で、技術的には、録り直した部分のほうがいいと思うんですよ。だけれども、そのときには声がついていっていない。やっぱり、40年前の自分の声はなくなっていて、年寄りの声にややなってますよね。つまり、ウィリアム・シャトナーと僕とはほとんど同世代ですから、同じように歳をとってきてる。ウィリアム・シャトナーが『スター・トレック』に出会ったのも、30代の半ばだったわけだし、僕も30代の半ばだった。だから、30代の半ばの声で、あれが完璧にできてないと困るわけですね(笑)」

「それを、もう、70代になってから、やり直したわけですから、あのDVDのためにね。そこはどうしても40年前とは、歴然と声のツヤが違ってしまいます。『演技力は、多少はよくなったかな』と自分では思うんだけども(笑)。それじゃあ今、あれ(DVD)を全部吹き替えたら完璧なものができるかというと、やっぱり昔の声のツヤは欲しいじゃないですか。そういう、人間の出会いの一期一会というのか、一回性といったらいいのか。うん、そのことの大切さをあらためて実感しますよね」

――そうですね。実は、わたし自身が、矢島さんのお姿を初めて拝見したのは、20年前なんですけれども、その年が、『スター・トレック』生誕20周年ということで、大阪でファンの方たちが、『イベントをやります』と。

「はい、やりました」

――で、『つきましては、特別ゲストに、矢島正明さんが、来られます』っていうんで、当時、わたしはもう、東京で働いていたんですけど、新幹線に乗って大阪まで行きまして……(笑)。

「行ったの?(笑)」

――はい(笑)。そのとき、初めて矢島さんのお姿を拝見したんです。壇上で講演をなさって。それで、あの頃、映画の2作目『スター・トレックII カーンの逆襲』の日本語吹き替え版がテレビで放送されていて、第3作目の『スター・トレックIII ミスター・スポックを探せ!』は、劇場では公開されていたんだけども、吹き替え版のテレビの放送はなかったときだったんです。その第3作を、舞台上で矢島さんが生でおやりになって。ですから、あの場に居合わせた我々は、世界で初めて、その第3作のカーク船長(ただし、同作品中では、「カーク提督」と呼ばれている)の吹き替え版を生で聴けたんです。

「ああ、そうなの。それは奇遇ですねえ。そうです、よく憶えてますよ。つまり、あのときに僕は、初めて知ったわけ。"あ、『スター・トレック』って、そんなに、大阪やなんかでは、人気があるんだ"っていうことをね。それまでは言ってみれば、たれ流しだった。だからもう、『スター・トレック』の存在そのものが、僕の意識の中から消えてたわけです。それがある日、電話がかかってきて、『来てくれないか』っていう話になって。『ああ、そういうことならば、ぜひ行きましょう』という話になって行ってみたら、そういう人たちの集まりがあって、それで僕は、ビックリしたわけ」

「それからですよ、観返してみようと思ったのは。でも観ようと思っても映像がないわけだから、結局、ノベライズされた小説を読んで……僕、全部読みましたよ。読んでみて、『ああ、おもしろい』。だから、今日の山下さんと同じですよね。ノベライズされたものを読んでみて、『あ、おもしろいな、これは』と思ったんですね。むしろ、最近になってから、DVDが出てから(笑)、繰り返して、ときどき観るようになって。まあ、昔を懐かしむ気持ちも半分はあるけれども、あらためて『結構これは深いな』とかね。『結構これはおもしろくできてるな』とか。最近になって楽しんでます。だから、やっと一般視聴者の皆さんと同じレベルに、僕は引き上げられた。それは、ファンの皆さんのおかげですね」

――矢島さんにとっては、そういう40年でもあったわけですね。

「ファンの方々のレベルには、まだまだ及びませんけれども。僕にはマニアックなところはないから、道具だてのおもしろさに凝るっていうことは、あまりないんだけれども、テーマのおもしろさっていうのは、あらためて今感じているところですね。だからまた、デジタル・リマスター版で放送してくれるというのは、僕にとっては非常にうれしいですね。また、土曜の夜に観ようという気になります」

――本日は、お疲れのところ、どうもありがとうございました。