宇宙には、星や銀河のように光で見える物質だけでなく、光では直接見えない「ダークマター」が広く分布している。ダークマターは重力を通じて光の進路をわずかに曲げ、遠方銀河の像を微妙にゆがめる。この効果が「重力レンズ効果」である。連載「最新研究から読み解く 天文学・宇宙物理学の最前線」の過去回はこちらを参照。
ヴェラ・C・ルービン天文台が備える弱重力レンズ効果で進めるLSST
なかでも、遠方銀河の形がごくわずかにゆがむ現象を「弱重力レンズ効果」という。個々の銀河を見ただけでは、その銀河がもともと楕円形なのか、重力レンズ効果でわずかにゆがんだのかは判別しにくい。しかし膨大な数の銀河を統計的に調べれば、宇宙に広がるダークマターの分布を浮かび上がらせることができる。
この弱重力レンズ効果を用いて、宇宙の大規模構造を精密に測ろうとしているのが、チリに建設されたヴェラ・C・ルービン天文台である。同天文台は「Legacy Survey of Space and Time(LSST)」と呼ばれる大規模観測計画を進める。
ここでいうLegacyとは、将来にわたって天文学・宇宙論の基盤となる観測データ資産という意味だ。口径8.4mの大型望遠鏡と、9.6平方度という広い視野を持つ32億画素のLSSTCam。世界最大のデジタルカメラとしてギネスにも登録されている。
南天全域の掃天を数晩ごとに繰り返すことが可能で、それにより時間とともに変化する宇宙の巨大な記録を作ることを目指している。このとき取得される宇宙画像データは一晩で約20TB(テラバイト)。これは15Mbps程度に圧縮された4K動画なら約3000時間分、25Mbpsでも約1800時間分となる。
つまり2カ月半流しっぱなしの4K動画に匹敵する膨大なものだ。宇宙を見る望遠鏡であると同時に、毎晩巨大なデータ資産を生み出す「宇宙データ工場」でもある。
弱重力レンズ観測の鍵を握るPSF
今回紹介する論文「Commissioning of the Vera C. Rubin Observatory and Weak Gravitational Lensing」は、このルービン天文台が本格観測に入る前の「コミッショニング」、すなわち試験運用・初期調整の段階で、弱重力レンズ観測に向けて何が確認され、どのような課題が見えてきたかを報告したものだ。
派手な新天体の発見ではない。しかし、宇宙論の最前線が巨大望遠鏡で遠くを見るだけの科学ではなく、望遠鏡・カメラ・大気・データ処理が生むごく小さな誤差との戦いであることをよく示している。
弱重力レンズ観測で重要になるのが「Point Spread Function(PSF)」、すなわち点像分布関数である。理想的には、星のような点源は画像上でも点として写るはずだ。しかし実際には大気の揺らぎ、望遠鏡の光学系、焦点ずれ、CCDセンサーの特性などによって、点は少し広がった像として記録される。この「点がどのように広がって写るか」を表すのがPSFである。
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25年の初期運用・試験観測で取得した画像。本格的なLSSTサーベイ開始に先立ち、同天文台の広視野撮像能力を示す「First Look」画像として公開された(出典元:NSF-DOE Vera C. Rubin Observatory)
弱重力レンズ効果で測りたいのは、遠方銀河の形のごくわずかなゆがみである。ところが、望遠鏡や大気も銀河像をわずかにゆがめてしまう。そのため、画像中の星を使ってPSFモデルを構築し、観測画像に混入した装置由来・大気由来のにじみを補正しなければならない。
論文ではPSFサイズ残差、すなわち実際の星像から測ったPSFサイズと、モデルが予測したPSFサイズの相対的なずれが詳しく調べられている。LSSTの弱重力レンズ宇宙論では、この残差をYear 1で0.4%未満、Year 10では0.1%未満に抑えることが要求される。宇宙のゆがみを測るには、望遠鏡自身が作るごく小さなゆがみを理解しなければならないのである。
試験運用で見えてきた課題
試験運用で見えてきた課題の1つが、CCDセンサに由来する特徴的な構造である。ルービン天文台の主カメラLSSTCamには、異なるメーカーのCCDセンサが配置されている。そのうちITL製センサでは、PSFサイズ残差のマップに「blob」と呼ばれる斑点状の構造が現れた。論文では、この構造がセンサ表面の微妙な高さ分布と強く相関していることが示されている。
さらに興味深いのは、この影響が目立った理由である。望遠鏡は2025年12月中旬まで最適焦点からわずかに外れており、そのためセンサ表面の形状がPSFサイズ残差として現れやすくなっていたという。
焦点設定はその後に修正されたが、Data Preview 2(DP2)として公開予定のデータの多くは、やや焦点が外れた状態で取得されていた。つまり、宇宙のダークマター分布を測ろうとすると、まずCCD表面のわずかな凹凸や、望遠鏡の焦点ずれが見えてくるのである。
一見すると地味な問題に思えるが、弱重力レンズ効果のような微小信号を扱う観測宇宙論では、こうした装置の癖を理解しなければ、宇宙由来の信号と装置由来の偽信号を取り違えてしまう。
別の課題は、星が多い領域での空背景推定である。天の川銀河や大・小マゼラン雲の周辺では星密度が高く、空の明るさを正確に見積もることが難しくなる。背景推定にわずかな誤りがあると、星や銀河の広がり方の測定に偏りが入り、PSFモデルにも影響する。星が多ければ情報量が増えてよさそうに思える。しかしこのような精密な形状測定では、星が多いこと自体が解析を難しくする場合があるのである。
さらに、天体の「色」によるPSFの違いも無視できない。大気は波長によって光の曲げ方が異なるため、星や銀河の色が違えば、画像上での広がり方にも差が生じる。LSSTCamには大気分散補正装置がないため、この色依存性をデータ処理の中で明示的にモデル化する必要がある。論文では、恒星の色の情報を取り入れたPSF補正がRubin Observatoryのデータ処理パイプラインに実装されたことも報告されている。
試験データで銀河団の弱重力レンズ信号を検出
こうした課題がある一方で、明るい成果も示されている。試験運用段階のLSSTCamデータを用いて、既知の銀河団PSZ2 G309.43-72.86による弱重力レンズ信号が検出されたのだ。この銀河団は赤方偏移0.35にあり、スニヤエフ・ゼルドビッチ効果宇宙(背景放射が銀河団内のプラズマ電子により逆コンプトン散乱を受け、そのスペクトルを変化させる現象)から推定された質量は太陽の約5.82×1014倍とされる。
解析により、銀河団の周囲の背景銀河には、銀河団の重力で期待される向き(接戦方向シアー)のゆがみが見られた。一方、装置や解析の癖が混入していれば現れやすい別方向(クロスシアー)の成分は、誤差の範囲でゼロとみなせた。
ただし、これは直ちにLSSTがダークエネルギーの性質を精密に測れる段階に達したという意味ではない。銀河団による弱重力レンズ信号は、宇宙全体に広がる微小なcosmic shearよりも信号が強く、要求される系統誤差制御も比較的緩い。ダークマター分布の成長史を通じてダークエネルギーの性質に迫るには、さらに厳密なPSF補正とデータ処理が必要になる。
LSSTの宇宙論解析では、銀河の形同士の相関、銀河の位置と背景銀河のゆがみの相関、銀河の位置同士の相関を組み合わせる「3×2pt解析」も重要になる。これは、ダークマター分布、銀河分布、宇宙の構造成長を同時に調べるための統計的手法である。ルービン天文台が集める膨大な銀河データは、このような解析に大きな力を発揮すると期待されている。
ダークマターの地図を描き、その先にダークエネルギーの性質へ迫るための第一歩は、CCD、焦点、大気、背景光、データ処理の一つひとつを精密に理解することなのである。
本格的なLSSTが始まれば、ルービン天文台は宇宙の時間変化を記録する巨大なデータ資産を生み出していく。その成果は、新天体の発見だけでなく、宇宙の構造がどのように成長してきたのか、そして現在の宇宙膨張を支配するダークエネルギーとは何かという根本問題にも関わってくる。今回の試験運用報告は、その壮大な観測宇宙論に向けた、きわめて精密で現実的な出発点と言える。
ルービン天文台は2026年6月現在、本格観測に向けた初期運用・調整を進めており、10年間にわたるLSSTも2026年中の開始が予定されている。
