名古屋大学(名大)は6月24日、島根県松江市の「西川津遺跡」から出土した弥生時代のイノシシ類について、下顎骨に見られる家畜化現象(イノシシとブタの骨の形態差)の分析から、その中にブタが含まれていることを確認したと発表した。

  • 島根県内の西川津遺跡の位置

    島根県内の西川津遺跡の位置。(出所:名大プレスリリースPDF)

同成果は、名大博物館/大学院 情報学研究科の新美倫子准教授と元・島根県 埋蔵文化財調査センターの内田律雄氏の共同研究チームによるもの。詳細は、島根考古学会が発行する、島根県および山陰地方の考古学的成果や遺物調査を専門に扱う地域考古学誌「島根考古学会誌43集」に掲載された。

現代日本のイノシシはブタの遺伝子を受け継いでいた

野生のイノシシをヒトが長い時間をかけて家畜化した動物がブタだ。日本列島の本州から九州にかけての地域では、縄文時代から野生イノシシの狩猟が行われていたが、弥生時代になると中国大陸からブタが持ち込まれてその飼育が始まったとされる。弥生時代の大分県の「下郡桑苗遺跡」や愛知県の「朝日遺跡」では、新たに始まったブタの飼育と従来の野生イノシシの狩猟が並行して行われていたことも明らかにされている。

そこで研究チームは今回、弥生時代の山陰地方におけるブタ飼育の実態を解明するため、島根県の西川津遺跡において出土したイノシシ類(野生イノシシとブタの総称)の下顎骨について、骨の形態と個体群の年齢構成という2つの指標から検討したという。
  • 出土した下顎骨

    (左)下顎骨の前面。(中央)前面が明らかにへこむ出土下顎骨。(右)前面が弱くへこむ出土下顎骨。(出所:名大プレスリリースPDF)

野生のイノシシからブタを作出する家畜化の過程では、骨の形が変化することが知られている。その代表例が、頭骨や下顎が前後方向に短くなる「短頭化」だが、それに伴う変化として、下顎骨の前面が凹む現象や、下顎骨前面の立ち上がる角度が大きくなる現象が挙げられる。

西川津遺跡で出土した下顎骨93点のうち、前面を観察できる資料26点を調査したところ、18点で前面の凹みが見られ、4点では凹みはないものの立ち上がる角度が大きくなっていたという。つまり、26個体中22個体と、全体の8割以上の個体には家畜化現象が確認されたのである。なお、凹みの度合いは「明らかに凹む」ものから「弱く凹む」ものまで多様だったとした。この結果から、出土したイノシシ類の大部分は家畜化されたブタ、あるいはその子孫である可能性が高いと結論付けられた。

次に、対象が飼育個体か否かを判定する指標として個体群の年齢構成に着目し、後臼歯の生え方(萌出状態)からブタの年齢が査定された。飼育下では肉の生産効率を考慮して若獣が選択的に屠殺(とさつ)されるため、若獣が多くなる。下顎骨93点のうち、後臼歯部分の残っている45個体で年齢を判定することができたという。

これらを、生まれてから第一後臼歯が萌出する0.5歳までの「幼獣」、0.5歳からすべての歯が生え揃う3歳ごろまでの「若獣」、すべての歯が生え揃って以降の「成獣」へと分類したところ、幼獣が12個体(27%)、若獣が19個体(42%)、成獣が14個体(31%)だったとした。

  • 各遺跡の年齢群別個体数とその比率、および各遺跡の年齢群ごとの比率グラフ

    (左)各遺跡の年齢群別個体数とその比率の一覧表。(右)各遺跡の年齢群ごとの比率グラフ。(出所:名大プレスリリースPDF)

さらに、この結果と、野生イノシシを狩猟していた縄文時代の遺跡である愛知県の「伊川津貝塚」、およびブタが飼育されていた弥生時代の朝日遺跡や中近世の遺跡である沖縄県の「東村跡」との比較が行われた。

その結果、西川津遺跡の年齢構成パターンは若獣が多く、ブタが飼育されていた朝日遺跡や東村跡に類似していることが確認された。ただし、西川津遺跡では若獣の比率は「ほぼすべての個体が飼育されていた」とされる東村跡よりかなり低く、「大部分の個体が飼育されていた」朝日遺跡よりもやや低かった。この点から、ブタ飼育を行っているものの、飼育された個体の割合は朝日遺跡よりも低く、狩猟で捕獲した野生イノシシも多かったと推定された。

さらに、これらの下顎骨のうち家畜化現象の見られる3点について、炭素・窒素安定同位体比測定が行われた。その結果、下顎骨(1)~(3)のすべてで炭素同位体比は-20.8~-21.0と低い値を示したという。それに対し、窒素同位体比は(2)が8.4と高い値を示す一方で、(1)と(3)は3.0~4.7と低い値を示したとした。

  • 炭素・窒素安定同位体比測定の結果一覧表

    炭素・窒素安定同位体比測定の結果一覧表。(出所:名大プレスリリースPDF)

このことから、窒素同位体比が高いのは人間の食物の影響下にある、つまり残飯などの餌を与えられて飼育されていた個体であり、窒素同位体比が低いのは自然状態の食物を食べていた野生個体であると推定された。特に、(1)と(2)は下顎連合部前面が明らかに凹む典型的なブタの形態を示しており、これらに飼育個体と野生個体の双方が含まれている事実からは、以下のような背景が推測されるとする。

西川津遺跡では、中国大陸産のブタを飼育していたが、それらはあまり厳密には管理されておらず、逃げ出して再野生化する個体も多く存在したと考えられる。その結果、形態はブタでありながら野生状態の個体が生じ、それらは在来の野生イノシシと交雑し増えていったことが推定される。つまり、弥生時代にはすでに日本の野生イノシシ個体群の中に中国大陸起源のブタの遺伝子が広く拡散していたことになる。現代の日本列島に住む野生イノシシ個体群はそれらの子孫であるため、弥生時代に導入された中国大陸起源のブタ遺伝子を受け継いでいると考えられるとした。

これにより、山陰地方でも弥生時代にはブタの飼育が行われていたのと同時に、野生イノシシもかなり活発に狩猟していたことが明らかにされた。狩猟された個体の割合が比較的高い点は、山陰地方の地域的特徴である可能性が示唆された。

また、弥生時代にはすでに日本の野生イノシシ個体群の中に中国大陸起源のブタの遺伝子が広く拡散していたことから、現代の野生イノシシは過去のブタの遺伝子を受け継いでいることになる。この「イノシシの先祖がブタ」ともいうべき逆転した状況は、山陰地方に限らず日本列島全体、さらには世界各地において、もともと野生イノシシしか生息していなかった社会に外から新たに家畜ブタが持ち込まれた際に広く起きる現象と考えられるとしている。