九州工業大学(九工大)、名古屋大学(名大)、科学技術振興機構(JST)の3者は5月18日、iPS細胞を介さずに細胞を別の種類の細胞へ直接変換する「ダイレクトリプログラミング」を誘導する低分子化合物について、その最適な組み合わせをAIで予測する新たな手法を開発したと共同で発表した。
同成果は、九工大大学院 情報工学研究院の濱野桃子准教授、同・伊藤綠風大学院生(当時)、同・川﨑瞭太大学院生(当時)、同・渡邉輝大学院生、同・松尾有紗大学院生、名大大学院 情報学研究科の山西芳裕教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系の化学を扱う学術誌「Communications Chemistry」に掲載された。
iPS細胞を介さない新たな再生医療の実現に期待
ヒトの身体を構成する細胞は最低でも数百種類はあるとされ、近年はサブタイプも含めると4桁に達するという報告もある。それらの細胞はすべて1個の受精卵(胚)から始まり、細胞の種類ごとにDNAのオン・オフを制御する領域が異なることで、役割の異なる細胞へと分化していく。
一度分化してしまった細胞は、通常は他の細胞に変化することはない。しかし、「山中因子」と呼ばれる4つの遺伝子を組み込んで人工的にリセットし、iPS細胞へと初期化することで、異なる細胞に分化させることができるのは周知の通りである。
これに対し近年は、皮膚の細胞などの分化済みの細胞に対し、他の細胞になるための鍵となる因子(転写因子や化合物)を作用させることで、目的とするさまざまな種類の細胞へと直接誘導する「ダイレクトリプログラミング」技術の研究が進んでいる。この技術は短期間で低コストに細胞を作製できることから、将来の再生医療を担う革新的な技術として大いに期待されている。
しかし、従来の主流であった転写因子をコードする遺伝子を元細胞に導入する方法では、遺伝子導入に起因する細胞のがん化のリスクが懸念されていた。そのため、この発がんリスクを回避できる、薬剤や化学物質などの「低分子化合物」を用いた手法が注目されている。
ところが、ダイレクトリプログラミングを誘導する低分子化合物の最適な組み合わせを実験的に同定するには膨大な時間と費用がかかり、極めて困難という課題があった。また、低分子化合物による誘導法は、転写因子の導入に比べて細胞変換効率が低いことから開発が遅れており、そのため従来は転写因子を用いた手法が中心となっていた。
今回の研究では、まずダイレクトリプログラミングの誘導過程が、1細胞レベルの遺伝子発現データを基にシミュレーションによって再現された。これにより、個々の細胞における将来の状態が推定された。
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ダイレクトリプログラミングが誘導される過程のシミュレーションフロー。細胞が変換していく過程を初期、中期、後期のように段階を分け、段階ごとに変化する遺伝子発現パターンを調べることで細胞変換の動的な分子メカニズムが解明された。最後に、段階ごとに変化する細胞変換の分子メカニズムを制御する化合物を、最適化アルゴリズムで細胞変換を誘導する低分子化合物の組み合わせとして予測が行われた。(出所:九工大プレスリリースPDF)
次いで、細胞が変換していく過程を初期、中期、後期のように段階を分け、段階ごとに変化する遺伝子発現パターンが調べられた。その結果、多くの遺伝子が発現変化が確認され、初期から中期では「TGF-βシグナル経路」や「酸化的リン酸化」に関わる遺伝子が、中期から後期の段階には「MAPKシグナル経路」や「Hippoシグナル経路」、「軸索ガイダンス」に関わる遺伝子が多く含まれており、各段階における生物学的な分子メカニズムが突き止められた。
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シミュレーションにより推定されたダイレクトリプログラミング誘導過程の分子メカニズム。(左)ベン図は、線維芽細胞から神経細胞への直接変換で発現変動する遺伝子数を示す。(右)発現変動する遺伝子群の生物学的パスウェイ。水色は初期から中期の段階、紫色は中期から後期の段階を表す。(出所:九工大プレスリリースPDF)
続いて、今回の手法を用いて、線維芽細胞から神経細胞への直接変換を2段階で誘導する低分子化合物の予測が行われた。その結果、段階ごとに5つの化合物の組み合わせが予測されたとした。それらの化合物群には、実験的にダイレクトリプログラミングを誘導することが証明されている既知の化合物である「CHIR-99021」や「SB-203580」なども含まれていた。このことから、今回の手法は、統計学的に有意かつ高精度に既知の化合物を再現できていることが実証された。
予測された化合物群の標的タンパク質のネットワーク解析により、初期から中期の段階では「クロマチンリモデリング」や「転写活性化」に関連する経路が、中期から後期の段階では神経分化や成熟に関連する「MAPKシグナル経路」や「GABA受容体サブユニット」などの生物学的パスウェイを制御することが明らかになった。
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神経細胞を誘導すると予測された化合物群(上部)と、それらが作用するタンパク質のネットワーク(下部)。ダイレクトリプログラミングが誘導される際の各タンパク質の遺伝子発現レベルが円の色で示されている。(出所:九工大プレスリリースPDF)
今回の手法は、細胞を変換させる化合物を多段階で誘導する方法を提案できる点、および1細胞レベルの細胞変換における分子メカニズムの変化に最適な化合物の組み合わせを最適化アルゴリズムで予測する点を特徴とする。また、ダイレクトリプログラミングの過程を1細胞レベルの遺伝子発現データを基にシミュレーションできれば、神経細胞以外の細胞変換への応用も可能だという。さらに、段階を経ながらダイレクトリプログラミングを誘導する実験方法と同じアプローチで化合物を予測することも可能とする。これらのことから、今回の成果は再生医療における細胞治療法の開発への貢献につながることが期待されるとしている。
