東京成徳大学、新潟医療福祉大学、筑波大学の3者は7月24日、日本サッカーに多大な影響を与え2022年に他界した元日本代表監督として知られるイビチャ・オシム氏のコーチング実践を対象に、意図的にストレスや負荷を与えるトレーニング戦略である「計画的混乱」の内容と、それが選手やチームにどのような変化をもたらしたと捉えられていたのかを、当時の複数の日本人コーチから詳しい聞き取りを行うことで明らかにしたと共同で発表した。

同成果は、東京成徳大 応用心理学部健康・スポーツ心理学科の夏原隆之准教授、新潟医療福祉大 健康科学部健康スポーツ学科の秋山隆之准教授、筑波大学 体育系の中山雅雄教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、スポーツ心理学を扱う専門論文誌「The Sport Psychologist」に掲載された。

科学的視点から見た“適応力”を引き出す負荷とは

サッカーのFIFAワールドカップ2026の記憶が新しいが、日本は予選グループリーグで「強豪国オランダに先取点を奪われた」という状況下で2回も追いついて最終的に引き分け、「もしかしたら勝てたのでは?」という結果を残した。トップスポーツの世界において、アスリートは常に高いプレッシャーにさらされており、それでもなお最高のパフォーマンスを発揮しなければこのような結果を得ることはできない。しかし、極めて精神的重圧のかかる環境下でそれを成し遂げ、勝利などの優秀な成果を上げるには、フィジカルだけでなくメンタルも含めたトレーニングが不可欠とされる。

近年、これらを養う手法として、トレーニング状況を意図的に不安定にする手法である「計画的混乱」が注目されている。これは、評価や罰則で心理的負荷をかける従来のプレッシャートレーニングとは異なり、練習の構造や環境をあえて崩すことで、予期せぬ事態への適応力や回復力を高めることを目指したものだ。

しかし、この手法の実践に関する知見はまだ乏しく、特にサッカーのように状況が時々刻々と変わるオープンタスクの競技において、指導者が具体的にどのような意図で混乱を設計し、現場に適用しているのかは詳しく解明されていなかった。

そこで研究チームは今回、熟達した指導者として知られていたオシム氏が、かつて実施していた独創的な指導の事例に着目。オシム氏を支えたコーチ陣への聞き取り調査を通じて、学術的な視点から計画的混乱の具体的な活用方法の解明を試みたという。

今回の研究では、スポーツ現場での実用的な知見の創出を目指す、実用主義的な研究パラダイムが採用された。分析対象としたのは、オシム氏が日本で指揮を執った2003~2006年の期間だ。この時期に同氏を間近で支えた5名の日本人アシスタントコーチに対し、1人あたり約90分の詳細なインタビュー調査が実施された。収集された膨大なデータは、テーマ分析によって精査され、指導の意図や選手への影響がどのように認識されていたのかが整理された。そして分析の結果、オシム氏は練習環境に意図的に混乱を生じさせるため、主に以下の4つの手法を組み合わせていたことが明らかにされた。

  1. 不安定な練習場所:整備不十分なグラウンドでの練習など
  2. 不確定な競争条件:チーム内序列の打破や、数的不利での試合設定
  3. 意図的な予測不能性:練習ルールの突発的な変更や即興性の推奨
  4. 多次元的な負荷:身体的疲労下での複雑な意思決定の要求

これらの手法による成果に関して、アシスタントコーチたちは選手やチームに起きた肯定的な変化を「適応力の進化」として捉えていたとする。プレッシャーを日常に変え、自律して動ける選手の育成を目指したトレーニングの結果、個人レベルの変化として以下の3点が挙げられた。

  1. 逆境への慣れ(習熟):劣悪な環境や予期せぬルール変更を「当たり前の日常」として受け入れ、どんなストレス下でも動じずに実力を発揮できるタフさが養われた
  2. 判断のスピードと質の向上(ゲームインテリジェンス):常に思考を強制される環境により、情報処理スピードの向上や、2手先、3手先の展開を予測する高度な状況判断力が発達した
  3. 自ら考えて行動する力(自律性):監督の指示を待つのではなく、選手自らがピッチ上の課題に気づき、解決策を見出し、選手として主体的に準備・行動する姿勢が強化された

また、指示がなくても「あうんの呼吸」で連動する集団へと変貌することを目指したチームレベルの変化としては、以下の2点が挙げられた。

  1. コミュニケーションの活性化:練習のルーチン(決まりきった流れ)をあえて崩すことで、選手同士の対話が必然的に増え、チーム内の連携や信頼関係の輪が広がった。
  2. 自分たちで解決する組織(自己組織化):複雑な制約の中で練習を繰り返すうちに、細かな指示がなくても選手間で「独自の決まり事」や解決策が共有され、チーム全体が状況に応じて自然と連動するようになった。
  • 計画的混乱の種類と知覚された影響

    計画的混乱の種類と知覚された影響。(出所:東京成徳大 Webサイト)

今回の研究は、当時の日本代表選手など、特定のエリートサッカー環境におけるアシスタントコーチの回顧的な聞き取りに基づくものであり、オシム氏本人の直接的な意図そのものを確認できたわけではない。また、当時の選手たちが実際にどう感じていたのかまでを調査できたわけではない点も課題としている。さらに、特定のエリートレベルでの事例であるため、あらゆる年代やレベルにそのまま適用できるとは限らないとする。そのため、今後は、選手側の視点や、異なる競技レベルでの効果の検証が望まれるとしている。