――さて、現在のお立場は編成企画部長ということなんですが、どんなお仕事をされてるんですか?
テレビだけじゃない新しいコンテンツを作っていこうという部署です。営業経験や番組を作ってきたっていう実績もあるので、そこを掛け合わせて、新しい提案をスポンサーにしながらコンテンツを作ったりとか、テレビに全く関係ないところでプロモーションを手がけるとか、そういうことをやっていますね。最近で言うと、キングコングの西野(亮廣)君を宣伝隊長みたいな形にして、パインアメを振りまいてもらうプロモーションをやったりとか、それまでの会社の仕事のやり方にとらわれない形でやってます。
――まさに、さきほど言ってた、誰も見つけてない柔らかいところを見つけてネジを打ち込んでいくような感じですね。
そうなんですよ。誰もやれへんかったら一番柔らかいとこ見つけて、さっさと打ち込めばいいでしょ? だからみんな「うわー!」とか言ってくれるんですよ。これは、この業界ですごい才能を持ってる方がいっぱいいたから、違う才能の発揮の仕方ってないかなっていうのを延々考えてたどりついたやり方なので、それが新たな職場でも本当に生きてるんやろうなと思います。
――最近は、音楽活動もされていますよね。
西田二郎だから「Nj」って言って、会社とも話して、日本クラウンに所属して活動してます。みんな「どこいくねん!」って言うんですけど、なんか50歳を境に歌声が降りてきたんですよ。うちの母親が体調を悪くした時に、以前母が作っていた歌詞に音楽乗っけて歌ったら、残り翌日か翌々日と言われていた命が、3カ月くらい頑張ってくれたりしたというのがあって、歌声っていう表現も、自分の中の1つのものとして「頑張っていきや!」って母親に言ってもらったのかなと思って。恥ずかしながら、みんなに「どうなんかな」って言ってたら、あれよあれよという間に、まだリリースもしてない曲が第一興商さんのDAMのカラオケに入って。それから大阪で2部制なのにワンマンっていうよう分からんライブをさせてもらったら、満員の人が来てくれて、世の中って分からんもんやなぁって思いますね。だから、こんだけの年齢になってるし、いろんなこともやってきたから、もうええやん!って感じでやってますよ。
―― 一時期流行した「おやじバンド」レベルを超越してるのが、すごいです。
そうですね。ピアニストの方と一緒にベースを作って、京都フィルハーモニーの人たちが演奏を支えてくれて、ゲストで都度都度プロの人が入ってくれてます。ここでも、以前の経験が生きてるんですが、ダウンタウンという超一流の人がいたところに関わらせてもらえたということで言うと、何もかもがそろってる必要はないんです。バラバラかもしれないけど、それぞれが持っている特徴でハーモニーってできるんですよね。自分はそうやって生きてきたから、音楽という畑の中でも、そういったことができるのかなと思ってやらしてもらったら、あれ?っていう感じで形になってきてるのが今ですかね。
――長年この業界にいらっしゃって、若者のテレビ離れとか、規制が厳しくなったと言われる状況について、どのように見ていますか?
僕も結構テレビ見てるんか?と言われたら、リアルタイムではやっぱり見てないと思います。でも、ある日家に帰ってテレビ見てたら、NHKでオノ・ヨーコさんの『ファミリーヒストリー』やってて、その後に『トットてれび』の再放送をやってたんです。それを見て、「ちゃんと頑張ってくれて作ってすごいなぁ」とか、テレビ創世記の今忘れ去った感覚みたいなことを思ったんですけど、若い子たちも、あの大きい画面を1人でクローズドで見たら、やっぱ何回かに1回はめっちゃええな!っていう番組はあるはずなんですよ。だから、送る側の我々としても、そういったものがちゃんと存在する枠があるということを、みんなにお伝えしていかなければいけない。
あと、『ファミリーヒストリー』を、ちょっと暗くして見てたんですけど、それがすごい良かったんですよ。『ファミリーヒストリー』ってみんな泣くのに、オノ・ヨーコもショーン・レノンも全然泣かないから、僕、2人の分まで泣きましたけど(笑)。だから、もう少し視聴環境ってものをテレビの方も言うてってええんじゃないかと思いますね。今、アニメとか始まる時に「暗いところで見ないでね」ってテロップが出ますけど、逆に「暗くして見てね」とか「なるたけ1人で見てね」とか「音量はいつもより2つ上げて見てね」とか。そうすると、「あれ? これっていつもとちょっとちゃうやん」って思ってくれる。だって、車なんかタイプごとに全然乗り方違うのに、テレビだってドキュメンタリーもあればバラエティやドラマも全部違うわけじゃないですか。じゃあ、それぞれの番組の"取扱説明書"があってもいいと思うんですよ。そんで、Twitterで「音量2上げた?」「部屋の明かり何ワット下げた?」とか言いながら、みんなで番組の視聴環境を整えていくとかやっていくと面白いですよね。
――dボタンより、番組に参加してる感じがありますね。
月9とかドラマも、映画性が強いような作りをしてるとか、怖い系の作品とかは必ず2人以上で見てくれとか。そんな形で視聴に関する環境っていうものを、しっかり打ち込んでいくっていうことをしていくと、もしかしたら、今後のテレビ視聴に関してもなんとなく変わっていくかもしれないですよね。今、思いつきで言ってますけど(笑)
――これまでに西田さんが影響を受けたテレビ番組を1本挙げるとすると、何ですか?
大阪でやってた『夜もクネクネ』(83~86年、MBS)ですね。原田伸郎さんと当時アナウンサーの角淳一さん、トミーズの雅さんがいて、ただただ夜真っ暗けっけの中を3人が歩いて、道端で人と話をしながらクネクネしてるだけ。すごく自由で、なんで始まってなんで終わるのかもよく分からなかった番組なんだけど、なんか気持ち良かったんですよ。自分の中で理屈じゃなくていいやん?ってことを、高校生くらいで見てた時に強烈に思ったんです。その番組をやってた方が、今のMBSの社長の三村(景一)さんなんですけど、この気持ちをちゃんと伝えたいと思って、営業に異動したタイミングで、「ご飯ごちそうさせてください!」って会ったんです。で、『夜はクネクネ』の話をして、「三村さんの系譜は続いてるんですか?」って聞いたら「毎日放送にはおらんかもしらんなぁ!」って言われたんで、「じゃあ僕にください!」みたいなこと言いました(笑)
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている"テレビ屋"を伺いたいのですが…
毎日放送で『プレバト!!』やってる水野雅之君。局は違うんですけど、『プレバト!!』が当たる前に、何回かお昼食べに行ったりして、最近は連絡も取れてなかったりするんですけど、今は本当にいろんな意味で充実の頂点なんだろうなと思うので、すごい大変やなと思うから、「はよ辞めたら? こっちもおもろいで」って伝えといてください(笑)