東急電鉄は東京南西部に路線網を持つ大手私鉄である。田園調布や多摩田園都市を背景とした通勤路線路線が主で、有料特急がないためやや地味な印象もある。路線全体の営業キロ数は約102kmで、大手私鉄16社のうち10位と中堅規模。しかしこの東急電鉄、実は一大勢力を形成した時期がある。その時期は、なんと周辺の私鉄のほとんどが東急電鉄だったのだ。

「大東急」時代に活躍した510形

企業買収推進政策「陸上交通事業調整法」

東急電鉄(東京急行電鉄)のルーツは、1922(大正11)年に設立された目黒蒲田電鉄だ。建設路線は現在の目黒線と多摩川線にあたる。同社は1934(昭和9)年に池上電気鉄道(池上線)を合併し、さらに1939(昭和14)年に東京横浜電鉄と合併した。このときに社名を目黒蒲田電鉄から東京横浜電鉄とした。これが現在の東急電鉄の基礎となる。

また、同様の企業合併は全国各地の私鉄同士で行われた。しかし、合併、買収の際の駆け引きと、当時の不景気(昭和恐慌)によって企業の体力は疲弊し、公共交通機関としての安定的な経営が難しくなる可能性があった。そこで1938年(昭和13)年に、政府が交通機関を整理統合する目的で「陸上交通事業調整法」を制定した。

この法律の下、東京横浜電鉄は更なる合併を推進していく。1942(昭和17)年に小田急電鉄と京浜電気鉄道を合併し、会社名を東京急行電鉄に変更した。1944(昭和19)年、京王電軌軌道を合併。1945(昭和20)年にはすでに東京急行電鉄の子会社だった相模鉄道から路線の運営を移管した。こうして、約333kmの広大な路線網が完成した。この状態を「大東急」と呼ぶ。

1945年当時の東京急行電鉄路線図

太平洋戦争終了後の1947(昭和22)年、大東急はまず相模鉄道との運営受託を解消する。翌年には小田急電鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄が分離独立した。これにより大東急時代は終了し、現在の東京南西部における路線図の原型ができた。

現在の各社の路線図

「陸上交通事業調整法」によって整理統合を行われた鉄道会社は他に、営団地下鉄(現東京メトロ)、武蔵野鉄道(現西武鉄道)、東武鉄道、京成電鉄、近畿日本鉄道、京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)、富山地方鉄道、高松琴平電気鉄道、西日本鉄道などがある。また名古屋地域では同法によらず自主的に合併が進んで、現在の名古屋鉄道の原型ができあがっている。このうち近畿日本鉄道は大東急と同様に南海電気鉄道を分離、京阪神急行電鉄は京阪電気鉄道を分離して、こちらも関西地区における現在の路線網がこうしてほぼできあがっていったのである。