山手線に関する雑学の定番ネタとして、駅名と地名の不一致が挙げられる。例えば目黒駅は東京都目黒区にはなく、品川区上大崎にある。品川駅は品川区にはなく、港区にある。そのため、京急電鉄の"北"品川駅は品川駅の"南"にあるという「ねじれ現象」も起きている。今回は地図を参照しながら読んで頂くと楽しいと思う。

幻の「目黒駅追上事件」

目黒区の公式サイトによると、「山手線は本来、目黒川沿いに建設予定であり、駅も目黒村に作られる予定だった」とある。しかし、目黒川沿いの農家が「蒸気機関車の煤煙で農作物がダメになる」と強硬に反対。この反対運動は「目黒駅追い上げ事件」という名で語り継がれている。目黒駅は地元住民の反対で、権之助坂の上の大崎村に追い上げられたとのことだ。

山手線と東急、都営地下鉄が乗入れる目黒駅。駅前の地図表記を見ると、ここが品川区上大崎であるとわかる

しかし、実はこの事件に関する資料はなく、真偽は定かではないという。「農作物がダメになる」「宿場町が廃れる」という理由で鉄道建設に反対運動が起き、その結果、鉄道が町はずれを通るようになったという話はよく聞く話だ。郷土史として教科書にも掲載される場合もあり、地元の雑学として知っている人も多いだろう。

ところが、最近はこうした鉄道忌避伝説は無かったという説が有力になっている。2006年に刊行された「鉄道忌避伝説の謎 - 汽車が来た町、来なかった町」によると、「鉄道反対運動があったとされる地域には反対運動に関する資料がない」「鉄道誘致運動の資料は多く残っているが、反対運動の資料がないとは不自然」という。また、鉄道建設が推進された明治時代は現在よりもずっと政府や企業の力が強く、市民の声は反映されなかったとのこと。反対運動で鉄道のルートが変わるという話は、戦後の民主主義教育後の視点だというのだ。同書の著者の青木栄一氏は大学教授で、元地理歴史学会会長であり、鉄道に関する研究・著述も多い。多くの鉄道ファンに支持される人物である。それだけに「鉄道忌避伝説の謎」は鉄道ファンに衝撃を与え、現在は鉄道忌避伝説は無いという説が支持されている。

鉄道反対運動が伝説だったという視点に立って山手線の目黒駅の立地を改めて見てみると、目黒駅は大崎から渋谷までをほぼ直線上に結ぶルートにあるとわかる。目黒川沿いに鉄道を敷くと、渋谷に出るには迂回と山越えが必要になり、建設費が嵩み効率が悪い。山手線は「生糸輸送のために赤羽と品川を結ぶ」ために作られた。その目的からみれば、元から現在の直線ルートが計画されたと考えられる。ちなみに、目黒駅が品川区にあるため、目黒区にはJRの駅がない。東京23区では目黒区の他、文京区、世田谷区、練馬区にもJRの駅はない。

品川駅がある場所が昔は品川と呼ばれていた。

品川駅が港区にある理由も「品川宿の反対があった」とされていた。しかし、現在は反対運動ではなく「用地買収が面倒だったから、開通を急いだ明治政府が町を避けた」という説が有力だ。日本最初の鉄道として、この地域に駅が作られたとき「品川駅」と名付けられた。そこは品川宿から離れた場所だった。これが「品川宿を避けて品川駅ができた」の根拠となっている。

しかし、歴史の資料をひもとくと、品川駅の開業は明治5年。そして、品川駅のある場所は明治4年まで「品川県」だった。品川区の公式サイトによると、「品川県は明治2年に定められ、東京23区の南西部、武蔵野、横浜も含む広大な範囲」だった。ところが廃藩置県の再編成で、品川県はたった2年で消滅する。品川駅の開業時までに品川県はなくなった。しかし、鉄道を計画した当時は「品川県」だった。品川駅の由来は「品川宿」ではなく、そこが「品川県」だったからだとも考えられる。

品川駅は日本で初めて開業した駅。JRの東海道線、山手線、京浜東北線、京急電鉄が乗入れる。駅前の地図表記には港区と表記されている