秋田新幹線に新型車両E6系が続々と投入され、押し出される形でE3系が任を解かれている。一部は山形新幹線に転出し、それ以外は廃車の予定だという。初代「こまち」はもうすぐ見納めだ。そのE3系車両は、「こまち」投入当時、JR東日本の所有ではなかった。その理由として、新幹線乗入れに対する秋田県の期待があったようだ。

初代「こまち」として活躍してきたE3系

E3系は1997年の秋田新幹線開業時に、東京~秋田間などを結ぶ「こまち」として投入された。山形新幹線の400系に次ぐ新在直通新幹線車両である。E3系はその後、山形新幹線の増備車としても投入され、さらに400系を置き換えるために山形新幹線に追加された。初代秋田新幹線用の車両は製造番号が0番台、山形新幹線用は1000番台・2000番台となっている。このうち、秋田新幹線用の0番台はJR東日本の所有ではなかったという。

秋田新幹線を支援するための第3セクターが保有していた

秋田新幹線の開業当時、「こまち」はE3系5両×16編成だった。この80両はJR東日本の保有ではなく、第3セクター「秋田新幹線車両保有株式会社」が保有し、JR東日本にリースするしくみだった。JR東日本は秋田新幹線車両保有に対し、年間19億6,100万円のリース料を支払っている。この状態は2010年のリース契約終了まで続いた。

なお、翌年の1998年には6両編成化のため、中間車1両を追加。これはJR東日本の保有である。同年以降に増備されたE3系6両編成もJR東日本の保有となっている。つまり、秋田新幹線開業時のE3系だけが、秋田新幹線車両保有株式会社からのリース車両となっている。JR東日本が運行し、他の鉄道会社に転用できない車両である。JR東日本が初めから保有してもよさそうだけど、じつはこの方法がJR東日本にとって有利だった。

秋田新幹線車両保有株式会社とはどんな会社だろうか? この会社はすでに解散しているけれど、秋田県がこの会社の資料を公開している。その資料によると、設立は1995(平成7)年。出資者は秋田県とJR東日本で、秋田県が99.6%の115億2,500万円、JR東日本は0.4%の5,000万円となっている。実質的に秋田県が保有していた会社といえる。

秋田県がこの会社に出資した理由は、「奥羽線・田沢湖線の高速化利便性向上のため、秋田・盛岡間新幹線在来線直行特急化事業に係る秋田・東京間の新幹線在来線直行運転車両を確保することを目的として、秋田県が中心となり東日本旅客鉄道株式会社と共同して、第三セクターとして設立」とある。おもな業務は、「新幹線在来線直通運転車両のリース」のみ。取締役は非常勤が5名、監査役も非常勤で2名。職員数はわずか3名。実際の運行管理はJR東日本が行っていたからとはいえ、80両もの新幹線車両をたった3人の会社が保有していたとはおもしろい。

どうしてこんな会社が存在していたのか? それは秋田新幹線開業に対して、秋田県がJR東日本を支援するためだった。この会社の事業概要を見ると、「秋田新幹線車両のリース」「秋田新幹線車両に係る固定資産税の納税」とある。秋田新幹線の開業にあたり、JR東日本は大量の電車を導入しなくてはいけない。そのための車両購入代金は膨大だ。そうかといって借入金にすれば金利負担が大きくなる。また、自社保有とすれば、減価償却するまで固定資産税もかかる。

山形新幹線の初代「つばさ」400系車両も別会社が保有していた(写真はイメージ)

秋田新幹線の開業前で、利用者数も未知数だ。JR東日本としては、なるべく負担を小さくしたい。そうなるとE3系の導入数を減らすしかない。このままでは1日1往復か、2往復か……、という状況になりかねない。秋田県としては、それでは困る。なんとか1時間に1本、せめて2時間に1本くらい運行してほしい。そこで、JR東日本の車両購入費負担を減らすために、秋田県が第3セクターを作って車両を購入し、JR東日本に賃貸するしくみにしたというわけだ。

その後、リース契約期間の満了にともなって、秋田新幹線車両保有株式会社のE3系車両について、JR東日本が残存価値価格で買い取った。秋田新幹線車両保有株式会社は解散し、秋田県に出資金を返還している。

じつはこのしくみを先に採用したのは山形新幹線だった。すでに廃車となった新幹線車両400系の所有者は、「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」となっていた。こちらは山形県とJR東日本がほぼ半分ずつを出資した会社だ。この会社は400系だけではなく、山形新幹線の線路設備も保有しているため、400系の廃車後も存続している。

秋田新幹線も山形新幹線も、地元自治体がJR東日本に支援していた。それだけ東京直通の新幹線に期待していたということだろう。