「RAILWAYS」シリーズ第1弾の映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の舞台は、島根県の一畑電車だった。3日に全国公開を迎えた第2弾『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』の舞台は富山地方鉄道だ。どちらも日本海側にある私鉄で、車窓風景や人情豊かな沿線だが、それ以外にも共通点がある。ヒントは路線の形状。その成り立ちもよく似ている。
一畑電車は電鉄出雲市~松江しんじ湖温泉間の北松江線と、川跡駅から出雲大社前駅を結ぶ大社線を運行。一方、富山地方鉄道は電鉄富山~宇奈月温泉間を結ぶ本線のほか、立山線(寺田~立山間)、不二越・上滝線(稲荷町~岩峅寺間)、路面電車の富山市内軌道線を運行している。
一畑電車と富山地方鉄道に共通する鉄道施設とは何か? それは"平地のスイッチバック駅"だ。一畑電車北松江線の一畑口駅と、富山地鉄本線の上市駅がスイッチバックの構造になっている。
スイッチバックというと、箱根登山鉄道や豊肥本線の立野駅、肥薩線の大畑駅・真幸駅のように、山岳路線で線路の勾配を緩和するために作られる印象がある。ところが一畑口駅も上市駅も、山岳とはあまり関係のない場所にある。じつは両駅とも、もともとはふたつの路線が合流する駅だったが、合流した先の線路が廃止されたためにスイッチバック駅になってしまったのだ。
第2次大戦末期、ほぼ同時期に現在の形に
一畑電鉄は一畑薬師への参拝客を輸送する路線として、出雲今市駅(現在の電鉄出雲市駅)と一畑駅を結ぶ路線を建設した。一畑駅の開業は1915(大正4)年だ。
その後、1928(昭和3)年に、一畑のひとつ手前の小境灘駅(現在の一畑口駅)から分岐し、北松江駅(現在の松江しんじ湖温泉駅)へ向かう支線が開業した。ところが第2次大戦末期の1944(昭和19)年、小境灘~一畑間は不要不急路線に指定され、線路を撤去されてしまう。
富山地方鉄道の上市駅は、同社の前身である富山電気鉄道が、1931(昭和6)年に上市口駅として設置した。これとは別に、立山軽便鉄道(後の立山鉄道。1931年に富山電気鉄道に合併)の上市駅もあったというが、富山電気鉄道の路線が開通した後、廃止されている。
富山電気鉄道は同時期に滑川方面への路線も開業させており、ふたつの線路は上市口駅で合流し、約600m先の上市駅へ達した。しかし、上市口~上市間も1943(昭和18)年に廃止。上市口駅が上市駅に改称され、現在に至っている。
こうして一畑口駅も上市駅も、「本来はふたつの路線が合流する駅だったのに、その先の線路がなくなってしまった」ために、山岳路線でもないのにスイッチバック駅として残っているのだ。似たような例はJR石北本線の遠軽駅、富士急行の富士山駅(旧富士吉田駅)などでも見られる。
RAILWAYSトリビア : 富山市も映画に出資している
映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(12月3日全国公開)では、富山地方鉄道の鉄道路線だけでなく、路面電車の富山市内軌道線も登場。滝島徹(三浦友和)の妻、佐和子(余貴美子)が利用しており、富山市の人々が日常的に路面電車を利用する様子がスクリーンに描かれる。
同作品では、ロケ地となった富山市が全面的にバックアップ。撮影に協力するだけではなく、なんと映画製作にも出資しているという。いままでにも自治体が補助金という形で映画を支援する例はあったが、自治体が正式に出資する形で製作委員会に参加するケースは非常に珍しいという。富山市は富山地方鉄道に市内電車を譲渡した経緯があり、富山ライトレールにも出資している。公共交通機関として鉄道を重視する富山市にとっても、この映画は重要な作品となっているようだ。
ところで、もし「RAILWAYS」シリーズの第3弾が製作されるとしたら、今度はどの鉄道が選ばれるのだろうか? 一畑電車や富山地鉄との共通点もあるかもしれない。同シリーズへの楽しみは尽きない。