墨田区のびっくり団地

いきなりだが、まずとにかくこの写真を見てほしい。すごいぞ!

延々と連なるちょうかっこいい都営白鬚東アパート!

これはなにかというと、団地だ。都営白鬚(しらひげ)東アパートという。だからなんだ、とおっしゃるかもしれない。でもじつはこれぜんぶ「つながって」いるのだ。長さが1km以上ある団地だ。すごいよね。ぼくも初めて見たときはびっくりした。

このびっくり団地があるのは東京都墨田区。最寄り駅は東武スカイツリーラインの鐘ヶ淵駅(ちなみにこのそばあったのが鐘淵紡績、後のカネボウである)。でも、東京に住んでいてもこの付近に縁がない人はその存在を知らないのではないか。近くにスカイツリーができてそちらばかり注目されているが、縦にしたらこっちのほうが高いのに!(「縦にする」っていう比較方法が間違っていますが)

実物見ると度肝を抜かれること間違いなしなので、スカイツリーはそこそこにしてみなさんこっちに来たらいい。結構本気でお勧めだ。スカイツリーにならって、そろそろお土産物作ったらどうか。「白鬚東アパートまんじゅう」とか。模型あったらぜったい買う。

さて、この都営白鬚東アパート、伊達や酔狂で長いわけではない。なんとこれ住宅兼ファイアウォールなのだ。都市の防火壁。だから長い。すごいよね。ぼくも知ったときはびっくりした。

パノラマで左右180度。視界の端まで全部団地。すごい。

地図で見ると分かるが、このびっくり団地は隅田川沿いに建っていて、土手側には公園になっている。この東白髭公園は10万人(!)を避難させることが出来る防災公園で、付近が大火災になった際にはここに住民を収容し、都営白鬚東アパートが体を張って火の手を防ぐという寸法だ。「体を張って」というのは比喩じゃなくて、この団地はいざというときにはトランスフォームして一枚の壁になるのだ!

ベランダはいざというときにシャッターが降りて、正真正銘一枚の壁になるのだ。

棟と棟の間もこのとおり鎧戸のようになっている。

なんでこんなすごいものができたのか?

この団地が完成したのは1979年。「都営」の名の通り東京都作。東京都心の中でも、隅田川と荒川に挟まれたいわゆる「江東デルタ地帯」とよばれるエリアは、1964年の新潟地震を教訓とすると、災害時の被害的に都内で最もやばいことになるんじゃないかとされた。そこでこのエリア内のうち ・白鬚(東地区・西地区) ・四つ木 ・亀戸・大島・小松川 ・木場 ・両国 ・中央(猿江地区、墨田地区) の6つの地区を防災拠点として、重点的に対策をしていこう、と当時の都ががんばった。具体策としてはまず木造の建築物をできるだけ不燃構造物に置き換えていく、というものだ。あとは空地を増やすとかいろいろあるんだけど、とにかく「街が延焼しないようにする」というのが第一。だから前記6つの地区には団地が多い。団地は燃えないもの代表なわけだね。

オレンジ色で囲った部分が都営白鬚東アパート。西に流れているのが隅田川。団地と隅田川の間が公園になっているのが分かる。(国土地理院「地理院地図」の空中写真(2007~)に加筆)

壁なだけでなく、各所に放水銃が設置! シャッターが火災で熱くなるのを防ぐのだとか。

屋上には水のタンク! こんな団地他にないぞ。

そしてなかでもここ白鬚東地区はその防災対策の白眉で、この都営白鬚東アパートはその華だ! とぼくは思うわけです。

ところで「東京団地ミステリー」ってなんだ

…と、冒頭でいきなり蕩々と話をはじめてしまったわけですが、あらためて新連載「東京団地ミステリー」が何なのかを説明しよう。

ぼくは十数年にわたり日本中を巡ってうっとりと団地を愛でている「団地マニア」だ。団地の何がそんなに素敵なのか説明しろと言われると難しいのだが(ほら、彼女に「あたしのどこが好き?」って訊かれた場合、どういう風に答えようが角が立つじゃないですか。あれといっしょです。こういうときは「そんな質問させちゃって…ごめん…」って抱きしめるほかないとされているので、こんどこの質問をして来た人にはそうしよう)、ただ団地は、それをじっくりと見ると、都市というものがある程度わかるものだと言っておきたい。

ぼくは大学で街づくりの勉強をした。結局いまはフォトグラファーになってしまったけれど、ぼくがなお都市に興味を持ち続けている理由はそれが「ままならなさ」に支配されているからだ。「ままならなさ」には地形や気象・気候といった人間が抗えない「お天道さま」の事情もあるが、土地の所有関係や政治などいわゆる「大人の事情」も含んでいる。都市には計画が必要だが、必ずしもきれいにはいかない。というか、ほとんどの場合計画通りにはならない。どんな場所にも過去と事情があって、現在はそれを無視できない。

ぼくの好きな言葉に

"時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。" スーザン・ソンタグ「若い読者へのアドバイス」(『良心の領界』序文・NTT出版・2004年)

というのがある。場所とは時間のことなのだ。いわば空間に「ままならなさ」が積み重なって場所になる。そして東京は膨大な「ままならなさ」の集積だ。だからおもしろい。

ただ、東京全体となると、これはもう大きすぎてぼくなどが相手にするには荷が勝ちすぎる。とはいえ駅前など個別の開発だとサイズがちょっと小さすぎて「ままならなさ」が見えづらい。ここで団地の登場だ。このスケールがじつに程よい。団地とは最小の都市なのだ。

あと、団地は規格化されているので、かえってそこに収まりきらない「ままならなさ」への折り合い方が際立つのもポイントだ。先頃出版された素晴らしい団地本『いえ 団地 まち――公団住宅設計計画史』(木下庸子 植田 実・ラトルズ・2014年)に

"設計とは即、配置でした"

というURの方の証言があって感動した。よく「画一的で個性がない」と言われちゃう団地だけれど、棟が規格化されたおかげで最小の都市としてどのようにレイアウトするか、という部分に注力できるようになったのだ。だから、平面図で見るとひとつとして同じ団地はない。むしろ個別の住宅開発の方が「画一的で個性がない」ようにぼくには思える。

東京という都市がどうして現在のようになっているのか。その秘密の一端を、団地を見ることで解き明かす。だから「東京団地ミステリー」と題したのだ。うまくいくかどうか乞うご期待。

都営白鬚東アパートけなげだなあ

で、この都営白鬚東アパートにはどういう「ままならなさ」があるのか? 都市の防災という住宅のデザイン論理とは全く異なる機能のために、長さ1kmを越える壁という形になった、というだけでも充分「ままならない」といえる。(現にこの計画に携わった、都市計画界の重鎮である伊藤滋氏は、2007年に日建設計総合研究所主催の「第235回都市経営フォーラム」で、『私の都市計画の軌跡 ~昭和40年から50年にかけて』と題して、自らこの団地を「まずい建築」と苦々しく振り返っている)しかし、ぼくが今回ここで紹介したい「ままならなさ」はもっと別のものだ。

それはこれだ

唐突に鳥居! 防火壁を横切って参道が。団地の向こうの隅田川土手にむかしから水神さまがいらっしゃるのだ。

これだけ徹底的に壁にしようとしたのに、横切る参道はなくせない。お天道さまもままならないが、神様もそう簡単には動かせない。ある意味、防災と同じぐらい神様の平穏も大事だったということだ。そう思って見ると、東京のあちこちの「ちょっとここへんだな」と感じる場所のそばに寺社仏閣があったりする。これだけ圧倒的な構造物なだけに、ここではその「ままならなさ」が際立つ。都営白鬚東アパートけなげだなあ、といじらしくなるのだ。

<著者プロフィール>
大山顕
1972年生まれ。フォトグラファー・ライター。主な著書に『団地の見究』『工場萌え』『ジャンクション』。一般的に「悪い景観」とされるものが好物。デイリーポータルZで隔週金曜日に連載中。へんなイベント主催多数。Twitter: @sohsai

イラスト: 安海