英語がとても苦手な私が、英語学習ソフトウェア『ロゼッタストーン』を購入した経緯が前回までのお話。ソフトを実際に使ってみての感想などをお届けしようと、すでに始めて2週間以上が経つのだが、いきなり感動の連続だったワケでして。

日本で暮らしていて、英語を話す機会というのはどれぐらいあるのか。人によって様々だとは承知しているが、私事で言えば全くないのが現状だ。

インターネットで海外サイトを見たり、洋画を日本語字幕で鑑賞したりすることはある。街のいたるところで外国人に遭遇もする。

じゃあ、自分がインターネットに話しかけたり、洋画を見ながら英語でツッコミを入れたりすることがあるかと言えば、これまで30年弱生きている中で一度もない。これだけグローバル社会で奇跡なのかもしれないが、外国人に話しかけられたこともない(外国人に話しかけられ、焦りまくる夢なら何度も見たが)。

日本で生活するのに、英語を話せる必要を感じることが少ない。だから英語がなくても生きていける、と思っていたというのが正直なところだ。海外旅行をすれば、自分の考えは間違っていたと気づき、慌てて英語の教材を買いあさるが、それも三日坊主で、「日本語漬け」の毎日に慣れていく。

そんな自分にとって、『ロゼッタストーン』を使って感動したのが「英語を話している」という感覚だ。『ロゼッタストーン』を使っていると、自分が発音しないとレッスンが進まないシーンが何度も訪れる。そして、私にとって最初に訪れた壁は「milk」だった。

『ロゼッタストーン』では発音しなければならないシーンが何度も訪れる

中学校でもその後の高等学校でも、「milk」という英単語で先生に怒られたことはなかった。なのに、『ロゼッタストーン』で「milk」を発音してみると、「はい、間違いです」の音。

この間違いの音。なんと表現すればいいのだろう、「ピヨンロン……」という、なんとも物悲しい音なのだ。「ブー」だったら「なんや、ソフトのくせに。」と逆ギレすることもあろうが、ピヨンロン……だと怒るに怒れない。「ああ、間違っちゃったんだね。次があるよ、がんばろう」とソフトに励まされている感覚。当然、自分の発音が悪いのだから、逆ギレするいわれはないのだけれど。

「milk」

「ピヨンロン(おしい)」

「う~ん、milk?」

「ピヨンロン(違うんだよ、もうちょっとこう)」

「えっと、、、milk!!」

「ピヨンロン(違うなぁ、何が違うんだろう……)」

このやり取りが20回ぐらい続き、私もソフトも困惑し始めたところで、画面上の緑色のボタンに気づく。「なんだろう」と思い、ポチっとマウスをクリックすると……。

ネイティブスピーカーが少しゆっくりと発音したものを聞きなおすことができるほか、自分の発音した「milk」を聞くことも

な、なんだこりゃ!! マイク付ヘッドホンを通じてデータとして取り込まれていて、自分の発音がグラフのように表示されている。私の発音はガタガタで、ネイティブスピーカーの発音をグラフ化したものと比べれば一目瞭然。そのグラフを見ながら、もう一度発音してみるがやっぱり駄目。そこで、ネイティブスピーカーが少しゆっくりと発音したものを聞きなおして再トライ……できた!! こんどはガタガタじゃない、私の発音のグラフ。30回目にして正解の音声が流れる。

海外旅行したら、ぜったいカフェで「milk」を頼むんだ、となんだか変な高揚感を味わってしまった。その後はスムーズに進んでいき、そのうち「英語を話している」という気恥ずかしさはどんどん薄らいでいく。最初は、家族が寝静まった時刻を見計らってやっていた『ロゼッタストーン』が、最近では家族がテレビを観ている中で「sandwitch」とか平気で発音できるようにまでなった。

家族の前で「sandwitch」を発音しても平気に。個人的には劇的な進歩です!!

もちろん、英語を発音しているところを見られるのを、気恥ずかしいという気持ちは多少残っている。でも、英語を普通に話す環境が作られていくのが実感できる、それが『ロゼッタストーン』の魅力のひとつだろう……と、思っていたら、まだまだこんなもんじゃなかった『ロゼッタストーン』の実力。ただただ驚くばかりです。

待て、次回。