年末年始にかけて、中欧の旅に行ってきた。オーストリアのウィーンからほぼ北上して、チェコの西側を通り、ポーランドのグダンスクまで。グダンスクは、ダンツィヒという旧都市名のほうが有名かもしれない。10世紀末に当時のポーランド王によって建設されたといわれ、14世紀にドイツ騎士団の下で発展し、15~17世紀にはポーランド王国の下の自由都市(および、ハンザ同盟都市)として繁栄する。ところが18世紀末、ポーランドは列強に分割されて国家として消滅し、グダンスクもプロイセン王国に併合されて、ダンツィヒとその名もかえられる。
第一次世界大戦後、ポーランドは独立するが、ダンツィヒは国際連合下の自由都市ダンツィヒとなる。第二次世界大戦中は、ドイツに併合され、大戦後、グダンスクとしてポーランド領になる。このような様々な歴史を経てきたグダンスク、中年以上の方には、連帯やワレサ元大統領の出身地としてその名を知られているかもしれない。大戦中破壊された町並みは、長い時間をかけて復元され、観光地となっている。また、ポーランドの現トゥスク首相の出身地も、このグダンスク。
今回の旅は、航空券の手配をJTBのオンライン海外旅行予約サイト「トルノス」で、鉄道の切符の手配をオンラインサイト「ヨーロッパ鉄道商品専門店」で行った。この旅行を計画したのは、年末の出発直前である10日前。そんな時期というのに、「トルノス」は他の海外格安航空券予約サイトでとれなかったものが、複数予約可能というすぐれもの。これは行き帰りの経由地が異なるものも選べることも大きいようだ。
一方、「ヨーロッパ鉄道商品専門店」は、ヨーロッパ鉄道旅行計画の専門家である白川静さんが代表を務める会社(旅行会社ではない)が運営。ドイツ鉄道日本代理店でもあって、一般客にもヨーロッパの鉄道切符を販売している。細かい質問にも電子メールで的確に答えがすぐ返ってくるうえに、西欧だけでなく、中欧やバルカン諸国の鉄道の切符も扱っている。今回は、ウィーンからの1等個室寝台と、ポーランドレイルパス、そしてポーランド国内の指定券を出発1週間前に手配してもらった。とても感じがいい会社であった。
コンパートメント方式の列車における安全上の盲点とは
さて、現地で鉄道を利用した人はわかると思うが、ヨーロッパでの列車の多くはコンパートメント方式。このコンパートメント方式とは、3席ないし4席が向かいあって、計6席ないし8席の座席の部分を、1つの大きな部屋(コンパートメント)にし、その大きな部屋の部分が客車内にいくつも並ぶという方式。そのためコンパートメントの横に通路が通り、お客は通路に面する戸を横に開けて各部屋に出入りする。この通路は幅があまりなく、大人2人がすれ違うことのも苦労する。
つまりだ。この通路上で挟み込みしてしまえば、挟みまれた人は動きがとれない。これを悪用したのが、ポーランドの窃盗団だ。この数年ポーランドは経済成長が著しく、その首都ワルシャワの治安は格段によくなったとされる。しかし、駅構内での治安は、まだまだ悪く、特に首都ワルシャワとクラクフを結ぶ鉄道内で、外国人を狙った窃盗事件が発生している。一昨年ポーランド行きを手配した旅行会社の封筒の中には、ポーランド鉄道旅行をする人への注意事項が記された書類が挟み込まれていたくらいだ。
コンパートメント方式の盲点。ポーランド国鉄の場合、1つのコンパートメントは6名もしくは8名の座席からなる。写真のように通路は男が一人通れるくらいなので、ただでさえすれ違いに苦労する。写真はワルシャワ東駅停車時だが、この時も男が1等車に乗り込み、通路を歩いただけですぐにホームに降りた。なにを探していたのだろうか |
1等車乗車直後、大男4人に前後囲まれ身動きできず
事件が起きたのは現地時間2010年1月3日。私は予定を変更して、カトヴィッツェ行き格安急行TLK(Tanie Linie Kolejowe)に乗ろうと、グダンスクク駅1番ホームにいた。「せっかくだからトルンに寄ろう」なんて気を起こしたのがよくなかったのかもしれない。
現地時間11時15分少し前、定刻通り列車はホームに入ってきた。乗る予定の1等車は1両。2等車にはさまれてちょうど真ん中に位置する。1等車後ろ側の入口に急ぐ。コンパートメント越しに、1等車の乗客にらしからぬ大男が2人通路を歩いているのを見て、「変だな」とどこか感じる。この日は乗客が多く、隣の2等車の入口は列をなしていた。1等車の入口には2人の男。これまた1等車に似つかわしくない乗客と思ったが。1等車の入口を経て、2等車に行くのかと予想していた。
2人の男に続いて1等車に入った。が、2人の男は進まず、私の後ろに回った。嫌な予感がしてコンパートメントに早く入ろうと通路に行こうとすると、別の2人の男(そういえば、ホームで見た男達だと後で気がついた)が通路からやってきて、私は前から2人、後ろから2人から挟まるかたちになり、通路から来た男のうち1人は強引に列車から降りようとする。
ふと上着の右側の内ポケットをさぐると、財布がない。しまった! 車両から降りた男に続いて、プラットフォームに降りて叫んだ。「スリだ! 盗まれた!! ストールン!!!」。英語で大声で叫ぶ。しかし、プラットフォ-ムに降りた男はどこかに消えていた。車両に残った男たちも知らん顔。誰にすられたのか、まったくわからない。今思えば、列車に残っていた男たちのほうが怪しかったのだが……。
被害状況を図にしてみた。A・B・Y・Zが犯人。犯人グループの動きが変なのがわかる。犯人たちは、タイミングを合わせるために、あるいは、背後に回るために停止していたことがわかる。もしかしたら、4人は一味ではなく、2人ずつの窃盗犯2グループに狙われたのかもしれない |
列車は私の大声で発車できない。すると、見送りにきていた紳士風の男性が、英語で事情を聞いてきた。訳を話すと、「もう無理だろう。警察を呼んであげるから待ってなさい」と言う。
11時20分頃だろうか、列車はグダンスク駅を出ていった。私は親切なポーランド人紳士に連れられて、鉄道警察へ。私が英語で話すのを紳士がポーランド語で、鉄道警察官に話す。すられた状況、被害金額などなど。財布に入っていたクレジットカードのことを心配すると、親切な紳士は自分の携帯電話をも貸してくれた。その紳士は途中で鉄道警察を出ていったが、私は盗難証明書(ただし現金は保険では保証されない)を作りに、青いサイレンを付けたポーランドのパトカーに乗った。そして、教会の近くの警察署で、英語がわかる女性の私服警察官の事情聴取を英語で受け、盗難証明書をポーランド語で作成してもらった(英語では作成できないそうだ)。
グダンスクの警察署で作ってもらった盗難報告書。6~7万円の被害か。クレジットカードの他に、TSUTAYAやヨドバシカメラのカードも報告書に記載 |
書類を受け取ったのが12時30分前。再び、パトカーで駅まで送ってもらったが、金がない。とりあえず、列車の切符、航空券、パスポート、予備のお金は別なところに入れておいたため、ワルシャワさえたどりつけば、なんとか予約していた明日の飛行機で日本に帰れそうだ。
カバンを抱え、カートを引きながらホテル近くのショッピングセンターの両替所に行き、わずかに残っていたユーロとドルをかき集めてそのすべてをポーランド・ズロチに替えた。また駅に戻り、なんとか次の次の特急の指定券を押さえ、約5時間の汽車旅にもめげず、ワルシャワ駅に着いたのは夜の21時頃だった。
改めて特急の指定席をとる |
昨年も泊ったワルシャワのホテルに着いたのは21時20分頃。唯一開いていた近くの「ケンタッキーキチン」でチキンナゲットを手に入れ、ホテルの朝食のバイキングで失敬したパンを頬張り、ポーランド紳士の親切に感謝しながら、ベットに身をなげて寝ることにした。