アメリカ人の経営思想家、ダニエル・ピンクは「THE POWER OF REGRET 振り返るからこそ、前に進める」において、「行動しなかった後悔は、行動して後悔した場合の二倍以上になる」と「挑戦しない罪」について書いています。
たしかに、その仕事、私がやりたいです! と言えるか。いいなと思っている人をデートに誘えるか。仕事でもプライベートでも、しかるべきタイミングにさっと名乗りをあげられるかどうかで、人生はかわってしまう気がします。
その一方で、「ベルサイユのばら」の作者、漫画家・声楽家である池田理代子センセイのお言葉、「どんな生き方をしても、必ず後悔する」がふと頭に浮かんできます。今日は「続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」(文春新書)に収められた理代子センセイのお言葉をもとに考えてまいりましょう。
大学進学するも家出して自活、やがて漫画家の道へ
大学に進学した理代子センセイですが、時は学生運動たけなわ。学校の授業もなく、若者は政治批判を繰り広げます。若いうちに親や国家に不満を持つのは健全な証拠ではありますが、理代子センセイは「親に食べさせてもらっているのに、親を批判するのはおかしなことではないか?」と思うようになったそう。フツウの人なら、あまり深く考えこまないと思いますが、理代子センセイは真面目すぎるというか、置き手紙をして家出をしてしまいます。当然自活をせまられますが、ウェイトレスや工場のバイトをするうちに、「私は人と会う仕事が好きではない」、つまり会社員向きではないと気づいたそうです。
お話を作ってクラスメイトに見せることが好きだったことから、小説家はどうだといくつか賞に応募しますが、それほどいい成績は残せず、漫画を描いて出版社を回りはじめます。すぐに仕事はもらえませんでしたが、貸本屋に本を納めている出版社を紹介してもらい、漫画の基本、起承転結を学び、漫画家としてデビューします。もしかしたら家出までする必要はなかったのかもしれませんが、少なくとも、センセイにとっては経済的自活にせまられたことで「自分は何ができるのか、何がむいていないのか」を考える時間となったようです。
社会現象となった「ベルサイユのばら」、さらに47歳で音大を一般受験
理代子センセイの代表作と言えば「ベルサイユのばら」(集英社)。社会現象となった「ベルばら」は海を越えます。欧米はもちろん、中東にまで「ベルばら」のファンはいます。長いこと、漫画は「子どもが勉強しなくなるから、害悪」と思われてきましたが、大使館員関係者など、海外に駐在している子どもたちは、ベルばらで日本語を学んだそうです。 このように漫画家としてレジェンドとなった理代子センセイですが、47歳の時に東京音大を一般受験し、声楽の勉強を始めます。きっと多くの人が、そんなに声楽が好きなら趣味でやればいいのにと思ったことでしょう。しかし、家出のエピソードでもわかるとおり、センセイは思いこんだら命がけ。10代の現役生と同じ試験を受けて合格を勝ち取り、声楽家への道を歩き始めるのです。
理代子センセイの名言「基本的に後悔のない人生はないはずだと思っています」
出来る人は何やってもすごいんだなとため息をつくしかありませんが、理代子センセイは案外、恬淡としている。「私が漫画をずっと描き続けてきたのは描きたいものがあったからであって、名声というのは周りが与えてくれた結果にすぎません。音大に入った当時はよく、それを惜しげもなく捨てるのかと言われましたが、自分にとってそもそもそういうものではないんです」とお話しになっている。また、「後悔のない人生」という言葉にも懐疑的で「その選択が間違いではなかったか、他に道があったのではないかという迷い、後悔は誰にでもあるでしょう。ですから、基本的に後悔のない人生はないはずだと思っています」とクール。「私にとって一番怖い後悔は、あの時やろうと思えばできたのにどうしてやらなかったのかというもの」という、タイミングのよみちがえや、挑戦しない怖さを恐れていたそう。
人は物事の「いい部分」しか見ないので、「成功しているから、名声を欲していない、挑戦することに意味があると言えるんだ」と思う人もいることでしょう。でも、理代子センセイに関しては、本当なんじゃないかと思うのです。
姿を消した漫画界の女王は、住み込みのバイトも
過去のことを蒸し返して大変失礼ですが、理代子センセイがワイドショーを騒がせたことがあったことをご存じでしょうか。妻子ある政治家と恋に落ち、センセイは連載の途中で失踪してしまいます。写真週刊誌がセンセイの居場所をつきとめますが、少女漫画界の女王はなんと大阪のクリーニング屋さんで、住み込みで働いていたのでした。粗い画像でしたが、センセイがうつむいてお仕事をしている姿を、私はしっかり記憶しています。私はほんの子どもでしたが、理代子センセイが本気でこの恋にかけていることは想像できました。しかし、相手の男性は東大を出て、官僚から参議院議員に転じたエリート。こういう人は妻に愛情がなくなったとしても、選挙や子どもを理由に離婚なんてしないものです。実際、別れる別れるいいながら男性は離婚しようとはせず、二人の喧嘩が録音されたテープがワイドショーで放送されたのでした。
女性文化人の中からは、結婚なんて夢見ずに、生活面のことは妻にまかせて、恋人として楽しく過ごせばいいじゃないかという「あっさりした不倫」を進める人もいました。しかし、若き日の家出の件でもわかるとおり、それは理代子センセイの性格というか生き方にそぐわないことなんだろうと思うのです。その代わり、その恋をすることで生じる不利益や、住み込みでのバイトにプライドを傷つけられたりもしないと思うのです。
まずは飛び込んでみる、という理代子センセイの生き様
まずは飛び込んでみるという理代子センセイのお人柄がうかがえるのは、現在のご主人との結婚です。センセイと御夫君が出会ったのは、センセイが60歳の時。相手は25歳年下の35歳のオペラ歌手。センセイは歌人としての顔も持ち、「寂しき骨」(集英社)で短歌とエッセイを発表していますが、若い青年に愛を打ち明けられてとまどい、友達のままでいようと自分の心をおさえたり、別れた方がいいと手紙を書いては破り捨てたりしています。今はよくても、じきに捨てられるに違いないとか、周囲が自分たちをどんな目で見ているのかなど、いろいろな懊悩があったよう。
けれど、センセイは結局、結婚されてお二人は仲良くお暮しになっている。おそらく、先のことをあれこれ考えるよりも、愛していると手を差し出す人の手をつかまないでどうするというタイミングを重視したのではないでしょうか。センセイは4回結婚していますが、今回の結婚が一番長く続いています。
「ベルサイユのばら」はフランス革命をベースにしたフィクションですが、こうやって考えてみると、理代子センセイご自身が一番の革命家なのかもしれません。