大物芸能人が芸能界を目指したきっかけを聞いていると、「母の夢を引き受けた」人がいることに気付きます。たとえば、中森明菜のお母さんは歌手になりたかった夢を明菜に託し、「ひばりさんは9才でデビューしたんだから、明菜は8歳で出ろ」とお尻を叩かれていたそうです。明菜はオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)で史上最高得点で合格していますが、実はそこに至るまでには何度も落選している。明菜本人もうんざりしていたそうですが、お母さんが行け!というので仕方なかったと歌番組で話していました。美空ひばりさんのお母さんは歌手志望ではなかったそうですが、芸能界に対する憧れがあったと言います。
宝塚音楽学校を首席で卒業したガッツと才能
今日ご紹介する歌手・小柳ルミ子も「歌手になりたかった」という母の夢を引き継ぎます。3歳の頃からクラシックバレエをはじめ、芸能人になるために必要と思われる8つの習い事(クラシックバレエ、歌、ピアノ、ジャズダンス、タップダンス、日本舞踊、三味線、習字)を始めます。当然、お友達とも遊べない。フツウの子どもだったら文句を言いそうなものですが、ルミ子にはガッツと才能があったのでしょう。どんどん頭角を現し、宝塚音楽学校に入学。
歌手になりたかったルミ子は、音楽学校在籍時に芸能界有数の大手プロダクション、ナベプロの社長のもとをおとずれ「私を歌手にしてください」と頼んだそうです。社長は「首席で卒業したら、考えてあげるよ」と言ってくれたそうです。オトナであれば、これはテイのいい“お断り”だと気づきますが、ルミ子は「首席になればいいんだ! 簡単じゃん!」とルンルンしながら帰り、首席で卒業したそうです。ナベプロ入りした後は、NHK連続テレビ小説「虹」のヒロインとなり、「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」と大ヒットを連発、おしもおされぬスターとなります。歌手、女優に加えて、最近では、サッカーの解説にも定評がありますね。
「お母さんの夢を引き受けてスターになった話」は女性に多い
さて、この「お母さんの夢を引き受けてスターになった話」というのは、なぜか女性に多い気がするのです。たとえば、大谷翔平選手や藤井壮太八冠は「父親の夢をボクが叶えました」とは言わない。これは決して偶然ではなく、母と娘には息子にはないものがあるのだと思います。
毒親という言葉が定着して久しいですが、毒親を心理学的に解説するなら、「子どもと自分が違う人間だと境界線が引けなくなっている状態」と言えます。驚かれる方もいるでしょうが、たとえ親子であっても別人格なので、「わたしはわたし、あなたはあなた」と「一線をひく」ことは必要なのですが、もともと母親はこれをすることが苦手で「私(母親)イコール子ども」と自分と子供を同一視しがちです。「この子がやりたいと言っています」と母親が言う時、実はそれが母自身の願望であることは多いのです。この状態を「境界がない」と呼んでいて、この状態が続くと、人間関係のトラブルが起きやすいと言われています。 母親が娘に医学部に行くことを命じ、9浪したけれど進学できず、娘が母を殺すという痛ましい事件をご存じでしょうか。母親は娘が浪人生活に耐えかねて家出すると、探偵をやとって家に連れ戻すなど、娘と医学部に激しく執着していたそうです。殺された母親は「娘のためを思って」「安定した人生のために」医学部進学を進めたのだと思いますが、ここまで来ると「娘のためではなく、自分のため」「母親自身が抱える何かがある」ことは明らかです。
それでは、なぜ娘たちは母の夢を引き継ごうとするのか。それは娘の持つ“共感性”が関係していると言われます。子どもは親の愛を得ないと生きていけないので、たえず親の意図を読もうとします。母と娘は同性なので、敏感な女の子は母親が何を望んでいるのかが察しやすい。さらに母親が何らかの不幸(経済苦や、しっくりいかない夫婦関係)を抱えていると「お母さんかわいそう! 自分が助けてあげなければ!私が喜ばせてあげなければ!」と奮い立つのだと思います。娘がうまく母親の夢をかなえてあげれば、日本人の大好きな努力・根性・親孝行話になりますが、失敗すると「お母さんの夢をかなえてあげられなかった」と娘は自分を責めてしまい、親子関係に深刻な亀裂が入らないとも限らない。「母の夢」を娘に託す、引き受けるのは、実はとても危険なことだと思います。
ルミ子とお母さんの間に不幸という名の起爆剤があったかどうかはわかりませんが、清純派として売っていたルミ子は自らの意志でヌードになるなど、独自の路線を切り開いていきます。年下のダンサーと結婚し、大手プロダクションから独立したのでテレビに出られないと言われていた時代もありました。しかし、こんな不遇にもルミ子は負けなかった。ダンサーの夫(当時)と「踊りながら、料理を作る」という夜中の料理番組に出演し、今のテレビだったら確実にNGですが、夫とぶちゅうと熱いキスをするなどして話題を集めていきます。芸能界の中心にいたルミ子の輝かしいキャリアを考えると、プライドが傷ついたかもしれない。しかし、それを完璧にやりきったことよって「やっぱり、ルミ子、ダンスもスタイルもすごい」と流れが変わっていったのです。
サッカーの魅力を「人生、社会、対人関係の縮図」というルミ子
最近のルミ子といえばサッカー好きとして有名ですが、ルミ子はサッカーの魅力について「人生、社会、対人関係の縮図」と話していました。仕事でもサッカーでも、全員が自分の役割をきっちり果たせば試合に勝てるはずなのに、自分が目立とうとして前に出たり、逆にタイミングを間違える人がいて、流れが変わってしまうという意味で学ぶところが多いのだそうです。サッカーのような団体競技は、自分の持ち場、つまり、自分の境界をしっかりと守ることが勝利の秘訣と言えるでしょう。今日ご紹介するルミ子の名言「報われるまで努力せよ」は、ルミ子が推すアルゼンチン出身のサッカー選手・メッシのものです。「報われるまで」というからには、「自分に足りないものが何か、反対に自分の強みは何か」がわからないといけないわけで、広い視野や客観性が求められるでしょう。
女優・宮沢りえのお母さんは、プロデューサーとして、りえにヘアヌードを撮ることをすすめたと言われています。ひばりさんのお母さんは、ひばりさんがデビュー前、やっとつかんだ大劇場の前座で歌う仕事の際、「子どもなのだから、童謡を歌ってくれ」と言われていたにも関わらず、ひばりさんの歌唱力をアピールするためにクビを覚悟でブギを歌わせ、大喝采を浴びたそうです。「母の夢を引き継いだ」はずのルミ子ですが、こういうステージママ特有のエピソードがない。それはルミ子自身にサッカーの試合を組織論として見つめるプロデューサー的な視点が生まれつき備わっていたからではないでしょうか。
ステージママとの二人三脚でやってきた女性タレントは、お互いに境界があいまいなので、いろいろな問題が起きます。親にお金を使いこまれる(娘のお金なのに、親のものだと錯覚してしまう)とか、恋愛を邪魔される(恋愛は娘の問題なのに、親が自分が思ういい相手を押し付けてしまう)など、近すぎる距離に悩むこともあります。しかし、ルミ子からそういう話を聞かないのは、ルミ子とお母さんが「自分の境界」をしっかり守れた稀有な人たちだったからかもしれません。