ヒラリー・ロダム・クリントン。第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン夫人にして、名門大学卒の弁護士。ファーストレディーを退いた後は自らが上院議員となり、アメリカ初の女性大統領候補となった。そんな彼女の自伝「リビング・ヒストリー」(ハヤカワノンフィクション文庫)を読みました。

まるで人間ブルドーザー。冷静でパワフルなヒラリー

一般的に自伝というと、こんなことがあった、あんなことがあったと若干センチメンタルを含んでストーリーが展開していく傾向がありますが、ヒラリーは違う。まるで、日記のようにこうしたああした、今度はこれだと、ブルドーザーのようにやりたいこと、やるべきことを片っ端から片づけていくのです。あまり感情がないというか、冷静でパワフルな人なのでしょう。

  • イラスト:井内愛

そんな彼女が意外な一面を見せたのが、ファーストレディーとしてパキスタンを訪問した時なのです。ヒラリーは長いこと国際開発庁(USAID)を支援してきたこともあって、ファーストレディーを追いかけてくるマスコミを逆に利用して、開発途上国でアメリカの提供したプログラムがいかに役に立っているかをアピールすることを思い立ちます。ヒラリーはパキスタン大統領のレスリ夫人を表敬訪問します。

ヒラリーは夫人について「軽快なイギリス英語を流暢に話した」、つまり高い教育を受けた女性であると感じたようですが、イスラムの習慣により、そのキャリアを活かすことなく、直系の男性以外の目にさらされない、隔離された空間で暮らしているそうです。外出もほとんどしないため、夫である大統領の就任式もテレビで見るしかない。その一方で、パキスタンからはイスラム国家初の女性大統領ベーナズィール・ブットーが生まれてもいます。ただし、彼女の父親が元首相であり、彼女自身が欧米で高い教育を受けられたのは、父親のポジションと全く関係がないとは言いきれないことを考えると、やはり彼女も男性の庇護の下に生きているとも言えるわけで、自分で自分の道を自分で切り開いてきたヒラリーともちょっと違う。

ヒラリーが貧しい国の女性を切り捨てない理由

自分とは全く違う常識や生き方をしている人と打ち解けることはなかなか難しいものですし、ましてや経済的に困窮している女性とは話が合わなくてもしょうがない。しかし、私にはなんだかヒラリーが貧しい女性に感情移入しているように感じられたのです。読み進めると、その理由が次第にわかってきます。バングラディッシュのグラミン銀行は、貧しくて担保を持たない女性に融資をしていますが、ここでお金を借りた女性たちはそれを元手に小さなビジネスをはじめ、ローンの返済もきっちりこなし、貯金をしたり、収益を家族のために投資するなど、いい借り手であることがわかっています。ヒラリーはアーカンソー州にいた頃、開発銀行や少額融資の企業グループ設立に尽力したこともあって、このスタイルを取り入れられないかと興味を持っていたのだそうです。

超大国のファーストレディーとヒンズー教、イスラム教の貧しい国の女性たちは、宗教も国籍も超えて、お金について話し合います。銀行から融資を受けようとしたら、村の男たちに「そんなことをしたら子どもがさらわれるぞ」と脅された女性もいました。ヒラリーに「あなたは家で牛を飼っている?」とたずねる女性もいました。ある既婚女性はこんなにふうにヒラリーにたずねます。「あなたには自分だけの収入があるの?」

ヒラリーはそこで「今は夫が大統領だから、自分の収入というものはないわ」「以前は夫よりも、収入があったのよ。またいつか自分で稼ぎたいと思っているわ」。そう、ヒラリーが貧しい国の女性たちを切り捨てないのは、女性が働き続けることの難しさを誰よりもよく知っているからだと思うのです。

「以前は夫よりも、収入があったのよ。またいつか自分で稼ぎたいと思っているわ」

ファーストレディーとなったヒラリーを、夫である大統領は医療制度改革委員会の座長に指名します。国民の誰もが保険証を持ち、医療を受けられると言う日本的なスタイルにしたかったのですが、今の制度で甘い汁を吸っている人にとっては、絶対に認めるわけにはいかないので、猛反発を食らいます。この改革が大失敗したことで、ヒラリーはファーストレディーに徹することを決断します。そのことについて、彼女は一言も不本意とは書いていません。しかし、ファーストレディーではなくなり、上院議員の選挙に勝ち、勝利宣言を終えた後の気持を彼女はこう書いています。「肩書はあっても職歴はなかった八年の末に、わたしは今“次期上院議員”となった」。おそらく、ヒラリーはファーストレディーになることが人生の目的ではなかったのでしょう。

女性差別は経済差別。お金がないことで、無限に差別が繰り返される

ヒラリーはファーストレディー時代から、女性の人権や差別について訴えてきました。女性差別とは何かを一言で言うのなら、私は経済差別ではないかと思います。出産や子育てで女性が仕事を続けにくく、退職せざるを得なくなることも多い。当然、お金はもらえません。夫婦の間に問題があっても、お金がなければ離婚もできないから、夫に従わざるを得ない。職場から女性が消えれば、「オンナはやめるから」と賃金格差が正当化されてしまうでしょう。男性ばかりの世界で女性が頭角をあらわそうとするとセクハラも起こりやすくなるでしょうし、オトコだらけの集団では、女性のルックスや年齢が重んじられるというふうにルッキズムやエイジズムが強化されていく可能性もいなめません。このように、仕事ができない、お金がないことで無限に差別が繰り返されてしまうのです。

自分の意志で働けない。それは超大国のスーパーウーマンも、イスラムの女性も同じ。もちろん、男女の賃金格差ワースト2位(OECD調べ)の日本の女性も……。こう考えると、ヒラリーの一言がとても重く感じられるのでした。